第21話 知られ過ぎたアイビー

 知られ過ぎたノトーリアスアイビーなんて仰々しい異名を持っているらしいドレスの彼女ではあるが元々特殊部隊マンフレッドは正体不明なはずだ。


 だからこそこうして戦うにあたっての下準備が碌にできていないのだから。


「思い出したぞ!」


 俺の隣の席で見ていたミハイル隊長が突然大きな声を上げる。


「何を思い出したんすか?あぁ、俺との楽しい―」


「音楽家アイビーか!成程どこかで見た顔だと思ったんだよ。」


 小さな肩を揺らしながらうんうん頷く隊長に疑問を解消してもらうとしよう。


「音楽家っつーことはアレすか?グレイディの中でもトップみたいな。」


「そうだ、音楽家アイビー、彼女がグレイディにおいて最も有名な存在と言ってもいいだろう、まさか特殊部隊マンフレッドに所属していようとは思わなかったが。」


 音楽家と特殊部隊の二足の草鞋わらじか、いよいよネームレスと似たような境遇だが。


「ねェ、君ってゆーめーなの?アイビー。」


「えぇ、とってもね。貴方は知らないみたいですけれど。」


 歩き方から佇まいまで全てが優美さを漂わせている彼女はどうやらネームレスには知られていないらしい。


「ま、結構ですわ。私は貴方の事を十分に知っていますし。」


「へェ、光栄だね。どォでもいいけど。」


、成程。怠慢もいい所ですわね。」


 やわらかな立ち振る舞いから一転、緊張感が場を支配する。


「私達表現者は常に多くの人間に己の血肉すべてを届ける義務がある。そう私は信じていますの。」


「…僕は画が描ければそれでいいんだけど。」


「それがだというのです。」


 くるり、煌びやかな服をはためかせながら彼女アイビーは一回転するといつの間にかその手にはが抱えられていた。


「前語りが長くなっては本末転倒。まずは一曲お聞かせしますわ。」




 第1楽章 ―燃え盛る大河―




 彼女はそうつぶやくと演奏を開始する。当然ネームレスも筆にインクを落とす。


 音楽家、その名は伊達じゃあない。バイオリンひとつで奏でる演奏であろうとその情熱的で荒々しさすら感じる曲は美しかった。


 燃え盛る大河が


「ッと。」


 ネームレスの足元にが襲い来る。




「今日の気分は退屈の紫だ。」




 一文字に筆を横薙ぎするとを示すような紫の壁が立ち上る。


 炎の流れは壁に衝突するとその勢いを失う。まるで壁に


「退屈は何もかもを奪うンだ。深く深く、吸い込まれていくように。」


「無粋ですわね。貴方という人は本当に。」


 演奏は終わり、燃え盛るような大河すらも掻き消えていく。まるで初めからそこに何もなかったかのように。


 大闘技場に残されたのは横に並んだ紫の壁。




「今度は僕から。題名は… ―憂鬱の羽―」




 流れるような筆さばきで描き出したのは。たった一羽が壁の中に溶け込むと壁がぐにゃりと歪んで…、




「第2楽章―朽ち果てた街―」




 新たな演奏を始める彼女に向かって無数の小鳥が壁から飛び出してくる。いや、壁が小鳥になって飛んで行っているというべきか。


 数多の襲い来る紫の鳥と彼女の間に乱立するのは


 ズガガガガ!!!という音で衝撃と共に廃墟は削り取られていくが同時に小鳥もだんだんと形を保てなくなっていく、形を保てないほどに腐ッテいく。


 寂しげで聞くだけで苦しくなるようなその曲がまさしく廃墟を形づくり、そして小鳥を腐らせる。


「何もかもを吸い込む退屈。いいでしょう、誰にだってそんな気分の時はあります。ですがいつまでもそうしてはいられない。ならば腐れを与えましょう。停滞するぐらいならばの方が人を動かすこともあるのです」


 大きくそびえ立っていた壁はいつしかなくなり最後の小鳥が飛び立つ頃には廃墟も姿を消していた。


「ふうん?そういう曲も描けるんだ。」


「私はグレイディで有名トップでなくてはならないのです。優美さや歓喜だけではない、絶望や空虚、それらすらも奏でてこその一流でしょう?」


 にこやかに微笑む彼女の姿は戦う者というよりはまさしく奏者であると表現するのが相応しい。


「そういえば思い出したよ、聞いたことがあるんだ。」


 戦闘中ではあるが筆をおろして話を始めるネームレス。


「ボクは画にしか興味がないけどサ、だからって他の芸術家の事を全く知らないってわけでもないんだ。」


 どこか妙な空気が漂う中で、アイビーもその言葉に耳を傾ける。




「ある人から聞いたんだ。グレイディには魔王がいる。他者を許さない独善的なたッた一人の魔王がいるッて。」




「それがどうかしましたか?」




「君じゃないよね?知られ過ぎたノトーリアス、いや蹴落としたノトーリアスアイビー。」




「さて、知りませんわね?そんな。」




 さっきまでと変わらないやしい笑顔がどこか残忍な貌に映ったのは気のせいだろうか。


 ◆◇◆


「ふゥ…。」


 ネームレスの足元に紫の槍が突き刺さる。画と曲その数々のぶつかり合いの応酬は別の意味でも観客を魅了し続けていた。


「まさか第5楽章 ―人の夢と終わり― まで弾くことになるとは思いませんでしたわ。」


 戦闘開始からずっと肌身離さず抱えていたバイオリンを消してしまうアイビー。


「そんなあなたに敬意を表して少しだけ語りの続きをしてあげましょう。」


 アイビーの言葉に構えを解くネームレス。両者ともに緊張感が緩んでいるわけではないが、奇襲を仕掛けるほど無粋でもない。


「私、貴方の画を見に行ったことがあるのです。レイメイにおいて最も心のある画を描くというその台詞が耳から離れなかったもので。」


 誰かから聞いてネームレスの画を見に行ったという事だろう、俺も見たことは何度もあるが正直という感想しか抱けなかったが。


「そして画を見て思ったのです。なんて画だろう、と。」


「…僕の画をどう感じ取るかはその人の自由だからね、でも参考までに教えてよ。どォしてそう思ったのかな。」


「だって貴方の画ってじゃない。」


 心底見下すような表情で吐き捨てるアイビーは傍から見ても怒り狂っているように見えた。


「芸術家というのはの一流。たいした努力もせずに音を奏でるフリをした三流ぼんくらなんてもってのほか。」


 魔王、ネームレスはそう言っていたがまさかグレイディの他の音楽家は碌にいないという事なのか。


 他の音楽家の追随は決して許さなかった魔王、なるほど彼女しかまともな音楽家がいないが故にたった一人知られ過ぎた存在ノトーリアスアイビーなのだろうか。


「ですから、貴方にも理解させてあげましょう、誰かのための曲がどれ程のか。」


 パチン!と指を鳴らすと豪奢なピアノが闘技場に現れる。殺風景の中にこの美しいそれはある種の趣さえ感じられる。


 バイオリンだけでなくピアノまで弾けるのか、成程一流を自称するだけの事はある。




「では最初で最後の1曲を、曲名は…」




 貴方のための唄ネームレス




「演奏と歌手は魔王で御送りさせていただきますわ。」




 たった一人のためだけの芸術ステージが始まった。

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