第五話 新しき世界へと(3)

「ゴブリンか。そういえば久しぶりに見たな。どの世界でも似たことをするもんだ」


 リンは感心したようにそう口にしながら、まるで散歩中と見間違えそうなぐらい、ゴブリンの群れに向かって悠然と歩いていく。先ほど、涼音に飛びかかったゴブリン数匹を投石による攻撃で倒したが、まだ二十匹近い数のゴブリンがいる。涼音はいきなり現れた見知らぬ少年に加勢した方が良いのかどうか迷っていたが、それをリンはお見通しのようだった。刀を構え直そうとした涼音を、リンの鋭い視線がその動きを止めた。


(こっわ……同い年ぐらいに見えるのに、あの迫力は何? ……手を出すなってことで良いんだよね?)


 リンの視線を受け、彼の言いたいことが言葉を通さずに理解できた涼音は、こくりと小さく頷いて、この場をリンに任せることにした。

 そして涼音よりも、仲間を殺害したリンに優先順位が移ったのか、ゴブリンの群れは涼音を置き去りにして、その全てがリンに向かって駆け出していく。一匹一匹の力は脅威ではないが、あの数のゴブリンに同時に襲われるというのは厄介だ。


「さて、最初の戦いか。俺もやることは変わらないな」


 まずリンは涼音と同じように、自分に向かって飛びかかってきたゴブリン数匹を、虫を振り払うかのように繰り出した刀の一閃で、悉く両断してしまう。一匹ならばともかく、数匹をいとも簡単に断ち切ったリンが握る刀の刀身には、一滴も血は付着していなかった。


 だが飛びかかってきたゴブリンに対処している最中、リンの足元にはその他のゴブリンたちがうじゃうじゃと群がっていた。リンが逃げられないように両足をしっかりと掴んでおり、動きを封じたところで多勢の利を生かし、一気に嬲り殺しにするつもりなのだろう。リンを見上げるゴブリンたちの目が、獲物を存分に弄べるという喜びに満ちているようにも見えた。


 しかしリンは表情を涼しいものから変えることはない。ゴブリンたちが押さえつけている両足──その内の右足をひょい、と軽々と上げれば、そのまま一直線に地面に向かって右足を振り下ろし、足裏を地面に叩きつけた。


 この場所でだけ、局地的な地震が発生した。涼音がそう思ってしまうぐらいの震動。


 リンが足裏で地面を叩きつけた瞬間、轟音と共に地面を舗装しているコンクリートが砕け、網目状の大きなひびがリンを中心として周囲に広がった。その際に浮き上がった無数のコンクリートの破片が宙を舞っている。


 この世界において震脚しんきゃく、あるいは踏鳴ふみなりと呼ばれる、足で地面を強く踏みつける武術の動作にも見えたが、リンが行ったそれは本当に地面を震わせ、そして砕いていた。しかし今のは何の技術でもなく、ただ足裏で地面を踏みつけただけである。


(まずったな、場を荒らしたか。大分加減したつもりだったんだが)


 リンはちっ、と舌打ちをしながら地面への一撃の際、踏み殺したゴブリンの血で赤く汚れた右足を振り払い、今の衝撃で足元から離れたゴブリンたちに強烈な蹴りを放つ。体勢を立て直す間もなく、リンの蹴りをまともに食らったゴブリンたちは首の骨をへし折られつつ、勢い良く吹き飛んでいく。


 リンが戦っている様子を食い入るように見ていた涼音の頭上を飛び越えて、ゴブリンたちが地面に落ちると涼音の後方からどちゃ、という音が聞こえたが、涼音はそちらを振り返ることはしなかった。

 涼音の興味は今、リンにあるからだ。


(あの人──本当に何者なの? あれだけ強い人だったら、配信や動画に絶対出ているはずなのに……!)


 少なくとも涼音が日々欠かさずチェックしている有名勢や、新進気鋭の配信者たちのどれでもない。だがそれは当然のことで、リンはつい先ほどこの世界にやって来た人間なのだ。リンを知っている者は、この世界には一人としていない。


 涼音がそんなことを考えている最中にも、リンはまるで害虫駆除をするかのようにゴブリンたちを屠っていく。一匹のゴブリンの足を右手で掴み、リンはそのゴブリンを棒きれのように乱雑に振り回す。だが高速で振り回されたゴブリンの体は鈍器と化しており、周囲の地面がひび割れて素早い動きが取れなくなってしまっているゴブリンたちに、それを回避することはできなかった。


 振り回される仲間の体が直撃し、骨をひしゃげさせられて薙ぎ払われていくゴブリンたち。リンはそれを振り回しながらも、足元にいる連中は先ほどのように無慈悲に踏み潰しつつ、殲滅を進めていく。


 そしてあっという間に二十匹近くいたゴブリンの群れは、一匹を残すのみとなった。リンに振り回されて鈍器として使われていた、ぐちゃぐちゃになったゴブリンの死骸をリンは放り投げると、その残った一匹に歩みを進めていく。


 だがそのゴブリンは大きく鳴き声を上げると、リンに向かっていくことはせず背中を向けて、リンとは逆方向へ駆け出していた。その先には、リンの戦いを見ていた涼音がいる。自分に向かってくるゴブリンを見て涼音は「へ?」と、気の抜けた声を漏らした。本来、ゴブリンと戦おうとしていたのは自分だったはずなのだが、涼音はリンの戦いぶりを見ていて、それを忘れてしまっていたようだ。


「おい、そっちに行ったぞ!」


 リンは明らかに慌てている涼音にそう言った。その声ではっとなった涼音は抜身の刀を構えると、自分に向かいゴブリンが襲いかかる瞬間を狙い、刀を振り払った。地面から足が離れた瞬間では身をかわすこともできず、ゴブリンの喉元が深々と切り裂かれる。


 涼音は今の一振りでゴブリンを倒したことが分かれば、リンと同じように腰に差している鞘に刀を収める。そして配信用のドローンがまだ起動中であることを思い出し、涼音は今日のために考えてきた、決め台詞を言い放った。出来るだけ良い声で。


「今日もってったぜ! ……あっ! チャンネル登録お願いします! 切実に!」


 その謎の台詞を言った後、涼音は慌てて付け足した。そして懐からスマホを取り出し、操作を行うと、頭上に浮かんでいた小型ドローンはゆっくりと涼音の元に降りてくる。配信が終了したので、ドローンも起動を終えたらしい。


「楽しそうで何よりだ。じゃあな」


 リンも刀を鞘に収めると、ズボンのポケットに両手を入れて踵を返し、この場を後にしようとした。リンにしてみれば殆ど気紛れで助けたようなもので、この後に涼音がどうしようが知ったことではなかった。


 そんなリンの背中に「待ってください!」と、涼音の声がかけられる。リンがぴたりと足を止め、振り返ると──目の前には、今にも泣きそうな顔をしている涼音がいた。


「助けてくださって、ありがとうございます! 正直、ゴブリン舐めてました! 貴方がいなきゃ、私は今頃、ゴブリンたちの餌食に……!」

「お前が景気良く自殺するつもりだったら、助けることはしなかったんだけどな。どうも違いそうだったから、手を出しただけだ」

「うう、そんな風に思われていたんですね……あ、あの、もしよろしければ、お礼をさせてください! そうだ、お茶でもいかがでしょうか!」

「あー……」


 ぐいぐいとくる涼音。リンはこのまま去ろうと考えていたのだが、リンはこの世界のことを頭に刻まれた知識で知ってはいても、実際に過ごしてはいないために、非常に違和感があった。それを無くす上でも、こうしたコミュニケーションを取っていくのは重要か──と結論を出した。


「そうだな。じゃあご馳走になるか」

「はい! あ、自己紹介が遅れましたね──私は如月涼音と言います! よろしくお願いしますね!」

「俺は……そうだな、とりあえずリンと呼んでくれ」


 涼音の名を聞き、リンもそう言った。リンのその言葉が少し不思議だったのか涼音は首を傾げるも、「リンさんですね!」と笑みを浮かべる。自分を助けてくれた人間ということで、そこまで気にはしていないのだろう。


 この世界にリンを知る人間は、ついさっきまでいなかった。だが今は一人いる。


 それが彼女、如月涼音だった。

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