第四話 新しき世界へと(2)

(おかしい……どうしてこうなっちゃったの!? 私が見ている配信や動画じゃ、皆が皆、余裕そうだったのに! 思わず、うぎゃー! なんて声上げちゃったよ!)


 とある少女はそんな思いを口には出さずに、心の中で声を上げていた。もし口にだしていたとしたら、切羽詰まった声だというのは間違いないだろう。少女が浮かべている余裕の感じられない表情からして、そう判断できる。


 少女の名は如月涼音きさらぎすずね。この渡世わたらせ市に住んでいる、高校二年生になったばかりの少女だ。黒髪はやや長めのボブカットで、背はこの年代の女子の平均よりは高いぐらいだろうか。恐らく彼女が通っている高校の制服──ブレザータイプのそれを着用しており、その両手には刀の柄が握られていた。制服姿の少女が慣れない様子で刀を構えているのはコスプレか何かの撮影に見えるが、そうではないというのを彼女の周りの状況が説明してくれていた。


 少女──涼音の周りには、せいぜい涼音の膝ぐらいまでの大きさしかない人型の生物がざっと見ただけでも二十匹以上確認できた。人間と同じなのは二本の脚でしっかりと自立していることぐらいで、その眼は爬虫類のようにぎょろぎょろと蠢き、皮膚は緑に近い色をしている。男根のような生殖器が確認できることから、性別があるとすれば環奈を取り囲んでいるこの生物は、雄なのだろう。


 涼音を取り囲んでいるのはこの世界で生きていれば誰もが一度は直接見たことがある生物、ゴブリンである。様々な世界からの干渉を受けているこの世界、特にその影響が最も強く現れている渡世市では珍しくも何とも無い生物であった。現にこういった異形の怪物たちとの戦いが配信されるほどに当たり前になっているこの世界では、いわゆる雑魚狩り──配信者及び視聴者のストレス解消のために、ゴブリンを蹴散らす配信や動画が良く見られた。


 そして涼音もその御多分に漏れず、ゴブリンをボコボコにする動画配信のためにゴブリンが良く出没するポイントでもある、郊外へとやって来たのだが──二つの問題があった。まず一つ目の問題は涼音は動画配信の初心者であり、経験など殆どないままに、一人でここに来てしまったというもの。しかしゴブリンの数匹程度なら問題は全くないだろうと、涼音はタカをくくっていた。


 二つ目の問題は、涼音の想定以上の数のゴブリンに囲まれてしまったというもの。自分の周りをぐるりとゴブリンの集団が取り囲んでおり、逃げ道がない。複数人で来ていれば強行突破も可能だったのだろうが、この場には涼音しかいない。そして一人でどうにかできる実力や経験も、涼音には備わっていなかった。


「やばいって、これ──いや冗談抜きで! ……はっ、そうだ! こんな時にこそ、私の配信を見てくれている、リスナーたちの知恵を借りる時!」


 涼音は刀の柄から左手を離すと、その左手で制服の上着の胸ポケットからスマホを取り出した。その画面は涼音と、涼音を取り囲んでいるゴブリンの集団が上から見下ろすように映し出されていた。

 この様子を撮影し、スマホと連動して配信を行っているのは、涼音の頭上を飛んでいる小型の撮影用のドローンだ。安い買い物ではなかったが、涼音は記念すべきこの初配信のためにアルバイト代などをつぎ込んで購入していた。


「何かゴブリンたち、距離を詰めて来てるんだけど! 私の愛すべきメンバーシップの諸君! 力を貸して!」


 涼音はやや芝居がかった口調で言うと、スマホの配信画面に視線を落とした。きっと多くのコメントが寄せられているのだろうと思っていた。

 結果はこれだった。



 【タイトル】スズネのドキドキ!初配信!

 総来場者数:3 現在の視聴者数:0 総コメント数:1


 コメント欄


 <死にそうやんけ>



「……だ、誰も見ていない……!? 記念すべき配信デビューだっていうのに、リアルタイム視聴者がゼロ……!? 死にそうやんけじゃないんだって……!」


 ここで配信を見ている視聴者たちのアドバイスや応援を受け、この困難を切り抜けて鮮烈な配信者デビューを果たし、一気にバズるつもりだったのだが、そもそもの話として、誰もこの配信を見てはいなかった。郊外で住宅地からも離れているのもあり、周囲に人気は無い。つまりは孤立無援状態だ。


 涼音を取り囲んでいるゴブリンたちも一応は警戒しているのかすぐには襲い掛かってはいないが、涼音が慌てているのを理解したのか、涼音に対する警戒は緩んでいるようだ。じりじりと距離を詰めているのがその証拠だ。一斉に飛び掛かれる間合いまで、もうあと少しと言ったところだろう。


「ちょ、ちょっと待って! 話せば分かるって!」


 涼音はぶんぶんと刀を振り回しながら、声を上げる。だがどう考えても人語を理解していないゴブリンたちに言っても、何の抑止力も無い。


(どうしよう……無理矢理、駆け抜けてみようか? でもあの数のゴブリンに纏わりつかれたら、ちゃんと走れないよね……もし転んだりでもしたら、ゴブリンたちの餌食?)


 そう考えた涼音はぞっとしてしまう。ゴブリンは単体では簡単に倒せる相手だが、今回のように群れで襲われてしまうと自分の力を過信していたり、単純にゴブリンを舐め切っていると、悲惨な目に遭ってしまう。その上、女性であればゴブリンたちによって犯されるというケースも多々発生していた。


「うう、それだけは嫌だ……!」


 涼音は震える声でそう口にすると、刀を構える。可能な限り周囲のゴブリンを警戒するため、慌ただしく視線を動かしていた。

 その涼音との距離を詰めていたゴブリンたちの足がぴたりと止まる。一斉に飛び掛かれる距離まで間合いを詰めたのだ。無数のゴブリンの息遣いを耳にし、それほど暖かくはないというのに嫌な汗が涼音の背筋や頬を伝っていた。


 そして次の瞬間、涼音の前方にいる数匹のゴブリンが飛び掛かる。仮に刀で攻撃をしたとしても、その隙を狙って左右そして後方から残りのゴブリンが襲ってくるだろう。涼音にはそれに対応できるだけの戦闘技術は現状、持ち合わせていなかった。つまりは詰みである。


 涼音は決死の覚悟で刀を振るう。だがその刃が飛び掛かって来たゴブリンに届く寸前、小気味の良い炸裂音が複数鳴り響くと同時に、涼音に飛び掛かった数匹のゴブリンが涼音の視界から消えた。その際に赤い液体を飛び散らせていたのを涼音は見たが、それが何なのかその瞬間には分からなかった。


「え?」


 思わず気の抜けた声を漏らした涼音は、視線を真横に向ける。その先には頭部の半分ほどが破裂したゴブリン数匹の死体が転がっており、びくびくと体を痙攣させていた。涼音が見た赤い液体は、ゴブリンの頭部が破裂した際にぶちまけられた血だったようだ。


 突然仲間が殺されたことでゴブリンたちも驚いたのか、涼音に攻撃を中断していた。一体何が起こったのかと、涼音が呆気に取られているところに、少年の声が聞こえてきた。


「邪魔したようで、悪いな。俺はてっきり、景気の良い自殺でもしてるのかと思って観察していたんだが、どうも違ったみたいだ。戦おうとしていたなんてな」


 この場にはミスマッチとも思える、少年の軽い調子の声。涼音がゴブリンの死体からその声がした方へと視線を向ければ、そこにはパーカー姿の少年が悠然と立っていた。少年の右手がぽーん、とお手玉のように宙に放り投げ、そして右手で受けたのはピンポン玉ぐらいの大きさの石だった。


 そして少年はその右手を振るう。ふっと霞んだようにしか見えなかった右手から投げ放たれた石は、群れの中の一匹のゴブリンの頭部に直撃し、頭蓋骨もろとも脳を粉砕した。再び目の前で飛び散るゴブリンの脳の一部と鮮血を今度ははっきりと目撃した涼音は、「ひゃあ!」と悲鳴にも似た声を上げてしまう。


「な、なな、何ですか貴方は! 貴方も配信者ですか!?」

「配信者? ……ああ、なるほど。そういう風に見えるのか、ここでは」


 涼音の必死の問いを聞いて、少年は納得したように頷いた。そして首を横に振る。


「その配信者とやらじゃないが、結果的にお前を助けることにはなりそうだな」


 少年は何の躊躇いもなく、涼音を取り囲んでいるゴブリンの群れに歩みを進めていくと、腰に差している刀の柄を右手で握り、鞘走りの音を軽やかに鳴らしながら、刀を引き抜いた。


 突然現れた謎の少年──リンを、涼音の頭上に浮かんでいる配信用のドローンはしっかりと捉えていた。

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