第三話 新しき世界へと(1)
「さて君のお昼寝も済んだところで早速、次の世界へ行って貰おうと思います」
「わざわざ確認を取らなくても、寝ている間にすっ飛ばしてくれても良かったんだが」
「いやいや、五十一回目にして初の世界を救う必要の無い旅を送るんだよ。今回はちゃんと見送りたいと思ってね」
しばらく仮眠を取り、目を覚ましたリンに改めてアリスは説明をした。とは言えその説明はリンにとっては今更なので、面倒くさそうにリンは頭を掻く。
「リンをどこに送ろうか考えたんだけど、その世界の中でも特に別世界からの干渉を受けやすい場所にしようと思うんだ。その方が、リンにとっても退屈はしないんじゃない?」
「ああ、それで構わない。妙なところで気を遣うんだな」
「今回のことを提案したのは私だからね、そのぐらいは考えるさ。それに加えて、今回に限りちょっと手を入れさせてもらうよ。いつもなら君に任せれば何の問題も無かったんだけど、そうもいかないかも知れないから」
「へえ……まあ、別にそれに関しては好きにしてくれ。気分転換なんだろ? 特にこだわりはしないさ」
「ふふふ、リンにとっても悪いことではない筈さ。……さて、準備は整った。そっちはどうかな?」
手に抱えている本に何やら書き込んだ後、アリスはリンの言葉を待った。椅子から立ち上がったリンは小さく欠伸をしてから、「いつでもいいぜ」と返事をした。どこからどう見てもやる気が無さそうに見える。しかしこれでも、直近の世界を救う前に送り込まれた時よりはずっと乗り気であった。ここしばらくは「早くしろ」とアリスに言って、椅子に座ったままだったのだから。
「あ、定期的に連絡はしておくれよ。私もその世界に行った君がどうなるのか、興味があるし。──それでは英雄よ、良き旅を」
アリスは先ほどまでの口調から一転、聞けば姿勢を正すような引き締まった声でそう言って、ぱたんっと手に抱えていた本を閉じた。
一瞬、リンの視界が光に包まれたかと思えば──体を撫でるように吹いている、優しい風をその身に感じた。相変わらず飛ばされるときはあっという間だなとリンは思いながら何度か瞬きをして光で眩んでいる目に慣らすと、段々とはっきり見えてきたその眼でぐるりと周囲を見渡した。
そこは眩しい陽が照らす、小高い丘の上だとリンは気づいた。
◇
(少し肌寒い……か? だけど空は晴れていて、天気は良いな。この前に行った世界とはえらい違いだ)
空を見上げて見ると、所々に小さな雲が浮かんでいる青空が広がっていた。あの書斎から一転して、開放感溢れるその青空をリンはしばらく見上げていた。
空から視線を前へと戻すと、小高い丘からは街が見下ろせた。この世界にアリスがリンを送り込んだその際、必要な情報をリンの頭に刻み込んでいる。リンが見ているその街──都市と言ってもいいぐらいに発展しているそこには、多くの人々が暮らしていることがリンには分かっていた。そしてこの街こそが、様々な世界の干渉を受けているとアリスが言っていたこの世界でも特に、それが顕著だという場所なのだとリンは理解した。
(今のところ、特にそれは感じないが……というか、服装が変わっているな。アリスの奴が手を加えたんだろうが、親切心かそれとも面白がってか……まあ、後者か)
リンは自分の服装が変わっていることに気づいた。若干ゆったり目のプルパーカーに、ズボンは黒のスキニーパンツ。足元に目をやればレザーシューズを履いていて、慣れないその感覚にリンは思わず眉根を寄せてしまう。まあ歩いていけばそのうち、気にならなくなるかとリンは立っていた小高い丘から下りると、舗装されている道へと移動した。その際に気づいたが、左腰にはリンがいつも装備している一振りの刀が鞘に収められ、差されていた。アンバランスな見た目ではあるが、この世界では武器を持っていることは何ら不思議なことではなく、一般的なことなのだと刻まれた情報から知っていた。
まずこの世界は、様々な世界から干渉を受けている。それはすなわち、別世界からこちらの世界へと繋がる扉が非常に開きやすく、簡単に世界を超えて来訪できるということだ。リンは都合五十回世界を救っておりその都度世界を渡って来たが、その五十回の間、一度も自分以外に「その世界の住人ではない」存在を確認したことがなかった。だがこの世界においてはそれは非常にポピュラー、というより最早日常と化していた。
ある世界ではゴブリンと呼ばれる者たち、またある世界ではオークと呼ばれる者たち……その異形の者たちがそこらかしこで確認できてしまう。そして当然ながらその殆どは友好的ではなく好戦的であり、この世界では害をなす者たちと広く認識されている。
故にこの世界に住む人々は古くから、扉を開けて異界からやってくる者たちと戦っていた。当然だ、放っておけば侵略されてしまうのだから。
そしてそれはあまりにも当たり前になってしまい、アリスがリンに説明をしたのだがその様子を配信するという娯楽にまで発展していた。ここにやって来るまで、リンにとっては意味不明なことであったが、知識や情報としてリンの頭には入っている。しかし実際にそれを見ていないので、多少ながらも好奇心はそそられていた。
道路を歩き始めたところで、ズボンのポケットに入っている何かが振動した。リンはポケットに手を入れて振動している物体を手に取る。それはこの世界では誰もが使用しているスマホだ。そのスマホの存在、そして使用方法も頭では知っているが実際に目の当たりにしてみると、違和感しかない。リンは画面をタップし、その着信に出てみた。誰からの連絡なのか、分かり切ったものではあるが。
『やっほー、リン。無事にそっちの世界に行けたみたいだね。初めてのスマホでの通話はどうかな? 新鮮だろう?」
やはりアリスからの連絡だった。リンははあ、とため息を吐いてから通話を始める。
「知っているのに初めてという感覚が気持ち悪い。……おい、そもそもどうやって俺と連絡を取っているんだ?」
『ん? まあ、細かいことは気にしないでくれ。頭に直接話しかければ済むんだけど、それじゃつまらないからねー。リンを転移させる際、最新機種のスマホを仕込んでいた意味も無くなるし。多少の現金もポケットに入ってあるはずだよ。先立つものがないとね』
「ご親切にどうも。で、いきなり何の用だ? こっちはそもそも、まず何をすればいいのかも分からないんだ」
溜息交じりのリンに、アリスは「うーん」と一拍挟んだ。
『とりあえず街に下りて、適当に散策してみればいいんじゃないのかな? 世界を救う必要も無いんだ、のんびりやりなよ。それに誰かが配信をしている所を目撃できるかもね』
「ああ、知識として頭には入っているが……化物と戦っているのを見世物としているんだろう? そんな頻繁に街中で起こっているものなのか?」
『リンを送った街はその世界の中でも、特に異界との干渉が活発な街なんだ。どうも配信の聖地になっている街らしいね。数多くの配信者がいるようだ』
「することは戦いなのに聖地か。ちぐはぐだな」
『そう言わなくてもいいじゃないか。これから君が暮らす街なんだから。とりあえず無事に転移完了したのを確認できたから、切るね。バイバーイ』
とアリスは言うと、通話が切れた。アリスが最新機種と言っていたスマホをまじまじと眺めてから、リンはズボンのポケットにそれを戻す。
(のんびりやれ、ねえ。……まずは街へと向かうか。どうもここは、郊外みたいだからな)
肩の柄に手を添え、リンは道路をゆったりとした足取りで歩いて行く。街へと到着したら、まずは腹ごしらえでもしようかと考えていた矢先、リンはぴたりと歩みを止めた。真剣な表情でその場から動かない。耳を澄ませているようにも見える。
それは当たっていたようだ。リンの耳は確かに「うぎゃー!」という、叫び声を聞いた。声の高さからして女の声だろう。
しかし叫び声にしてはどことなく、間抜けな声にリンは聞こえた。だが声を上げてしまう程度には、何かが起こっているということだ。
「様子を見に行ってみるか──気分転換にな」
そう呟くリンの口元が楽し気に、小さく吊り上がった。
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