第六話 新しき世界へと(4)

「ささ、どうぞ遠慮なさらず! なんてったってリンさんは、命の恩人ですからね!」

「大げさじゃないか、そりゃ。まあ折角のご厚意にはあやかろうか」


 にこにこと笑みを浮かべる涼音。その涼音の笑顔から手元にあるメニュー表に視線を落としたリンは、何を頼もうか考えているようだ。


 リンは涼音に案内され渡世市の郊外から街の方にやって来ると、涼音が度々利用しているという小さなカフェに入っていた。店内は余計な装飾などはされておらず落ち着きのある雰囲気で、リン個人としてはこういう場所を利用した記憶がここ最近訪れた世界ではないので、新鮮さを感じていた。


 店内には他に数人の利用客がおり、読書や談笑などのんびりとした時間を過ごしている。そんな中でついさっきまで、異界の存在と戦い、その体に返り血を浴びたリンがいては非常に浮きそうなものだが、リンの服や靴には血の痕がまったく見当たらなかった。


 様々な異界からの干渉を受けるこの世界にやってくる、異界の住人たち。彼らが本来の居場所ではないこの世界で命を落とすとどうなるかというのは、リンの今の姿が答えである。


 異分子とも言える彼らがこの世界にいたという痕跡は、綺麗さっぱり消えてしまうのだ。それこそ血の一滴に至るまで。だからあの戦いの場になった郊外の一角に放置されているはずの、無数のゴブリンの死骸は既にこの世界から消え去っている。誰も確認することはできていないが、元の世界に戻ったのだろうという考えが一般的である。


 だが戦いの際に破壊されたものはこの世界にあるものなので、それが何もせずに元通りになるということはない。リンが踏み砕いた地面は、あのままだ。これらのことは知識としてリンの頭に刻まれているので、リンは出来るだけ場を荒らさないようにしたつもりだったのだが、それは上手くいかなかったということだ。


(あの周辺で、監視カメラや他に人影は見当たらなかったから、修理費を請求されるってことは無いだろ。……ん? でもこいつ、配信していたみたいだから、俺も映ったのか?)


 とリンは考えを巡らせていたが結局、「まあいいか」という結論に至れば注文するものを決めた。


「アイスコーヒーと、チーズケーキで頼む」

「分かりました! では私は、カプチーノにしましょうかね。あ、すいませーん。注文お願いしますー」


 涼音が店員を呼んで注文をする。程なくしてリンと涼音が頼んだ品が、丸いテーブルの上に置かれる。そのテーブルを挟んで二人は向かい合って座っており、傍目から見たら昼下がりのカフェでデートをしている高校生にしか見えないが、実際は知り合ったばかりの二人である。そしてリンに至っては、この世界の住人ですらない。


「いやあ、でも本当に助かりました。せいぜい数匹ぐらいにか遭遇しないだろうと思っていたんですけど、私の考えが甘かったですね」

「基本あいつらは、複数で行動する種族だろ。あのぐらいの数なら珍しくも無い。むしろ、何でそっちは一人だったんだ?」

「折角の配信デビューだったので、ここは一人で格好よく決めたいと思いまして……結果はああなっちゃいましたけど」


 あはは、と涼音は苦笑する。リンはアイスコーヒーを一口飲んでから、シンプルなベイクドチーズケーキをフォークで切り、口に運ぶ。そして小さく頷いた。


「うまいな、この店。気に入った」

「お目が高いですね、リンさん。ここは私のお気に入りの店なんですよ。雰囲気が良いのもそうなんですけど、渡世市内の中でも扉が開きにくい場所にあるので、ゆっくりとできるのも良いですよね。ちなみにさっき確認した扉予報では、この周辺の警報確率は1%以下なので問題無しです」


 と涼音は自分のスマホの画面をリンに見せる。その画面には「本日の渡世市の扉予報」と表示されていた。


 この世界はずっと昔から、様々な世界の干渉を受け続けてきた。技術が発達して、天気予報でその日の天気を調べられるように、異界への扉が開く確率や、その場所もある程度は予測が立てられるようになっていた。しかしひとつの街の中で事細かにそれらを表記しているのは、世界中でもここ渡世市だけだ。だからここに住む人々は今日の天気よりも、今日は街のどこで扉が開くのかというのを気にしている。


「なるほど。確かに他の客もゆっくりと過ごしているな」

「はい、なので私たちものんびり休みましょう。──ところでリンさんは、この渡世市に住んでいる方ですか? それとも、別の地域から配信目的で? 見たところ、私と同い年ぐらいですよね」

「いや、俺はその配信者ってやつじゃ……」


 リンはそう言いかけたところで何かが引っかかったのか、「ん?」とチーズケーキを食べようとした手を止めた。そしてカプチーノを美味しそうに飲んでいる涼音に質問をする。


「如月だったか? そっちはせいぜい十五、十六歳ぐらいにしか見えないんだが、俺もそう見えるのか?」

「? はい、私は高校二年生になったばかりですけど、リンさんもそれぐらいなのかなと……ちょっと待ってくださいね」


 涼音はスマホを取り出すとカメラをリンに向け、かしゃり、と音を鳴らして写真を撮った。涼音が「リンさんの写真ですよ」と向けた画面には椅子に座ったリンが映っていたが、その自分の姿を確認したリンは、何とも言えない表情を浮かべた。僅かに引きつっているように見えなくもない。


(少なくとも十歳……いやそれ以上は、若返っている。道理で体の感覚がどこか噛み合わないと思った。これもアリスが言う、手を加えたってやつか。親切心か、面白がってか……まあ多分、後者だろうな)


 はあー、と溜息を吐いたリンを見て「何か気に障りましたか?」と、涼音が慌てる。ここで「十歳以上若返った」なんて言っても信じてもらえないのは目に見えているので、リンは適当にはぐらかすことにした。


「あー、気にしないでくれ。年齢の割に老けてるって言われることがあるからな、そう言われなくてほっとしただけだ」

「そうなんですか? うーん、リンさんの顔立ちは綺麗だからそんなこと無いと思いますけどね。でも、言動は確かに大人びてるかも……あ、老けているってことじゃないですよ!」

「変なところで気を遣うんだな」


 とリンは呟き、チーズケーキを食べるのを再開する。そもそも五十もの異なる世界を救っている中でどれだけの時間を過ごしたのかさえ、リンは自分自身で把握していないのだ。正確な年齢も分からなくなっていたところで、若返った今の自分が目の前の涼音と同い年ぐらいというのが分かれば、じゃあ十六歳ということにしておくか、とリンは決めた。


「でも私と同い年ぐらいなのに、あんなに強いなんて。リンさんは本当に配信とか、やっていないんですか?」

「ああ。でも如月はあの時、配信していたんだろ? なかなか愉快なことになっていたな」

「愉快と言えば聞こえは良いんですけどね。でも、あの時の配信……私の記念すべきデビュー配信だったのに、総視聴者数がたったの三人だったんですよ! 悲しすぎます!」

「三人が景気良く、ゴブリンに嬲られるお前を見れるチャンスだった訳だ」

「何のチャンスですか!? これでも私、ちょっとはショックを受けているんですよ。来週、学校に行ったときに友達やクラスメイト達に初配信を見せようと思っていたのに……あんなんじゃ、見せても馬鹿にされるだけです」


 涼音はしょんぼりとしながら、カプチーノをちびちびと飲んでいた。リン個人としては面白いと思っていたのだが、あまり慰めにはなっていないようだ。


「まあ別のチャンスが来るだろ、この街に住んでいれば」

「確かにそうなんですけどね……でもここ最近、渡世市に来る配信者たちが近年に比べて増加しているんですよ。渡世市は配信をするにはうってつけの場所ですから納得ですけど、配信者同士の小競り合いも頻発していて、それも問題になっているんです」

「火事場泥棒が、火事場泥棒に遭遇したみたいなもんか」

「うーん、言い得て妙ですねえ」


 二人は会話を続けていき、カフェに入ってから小一時間ほどが経過したところで、とっくにアイスコーヒーとチーズケーキを片付けていたリンは席から立ち上がった。


「さて、俺はそろそろ行くか。ご馳走になったよ。なかなか面白い話も聞けたしな。やっぱり知識だけじゃなくて、実際に自分で見聞きしないとしっくり来ない」

「いえいえ、私が一方的に誘っただけですし……でも、お役に立てたようで何よりです」


 見上げる涼音にリンは「まあ配信の方、頑張れよ」と手短に言えば、背中を向けて出入り口のドアへと歩いて行った。だがリンが店を出る前に涼音に「あの!」と声をかけられ、リンは足を止めて振り返る。後ろにはスマホを手に立ち上がっている涼音がいた。


「よ、よろしければ──連絡先を交換するというのはアリですか?」

「まあ……アリだろ。別に断る理由も無いからな」


 リンはこくりと頷き、自分もスマホを取り出した。そして改めてアリスがわざわざ持たせてくれたスマホを操作してみると、ひとつだけ登録されている連絡先があった。そこには「愛しのアリスちゃん」と表示されており、リンは盛大に顔をしかめてしまう。


「その顔、やはりナシですか!?」

「いや、アリだ。この顔は気にするな」


 リンははあ、と溜息を吐いてから、涼音と連絡先の交換をした。「ありがとうございます!」と頭を下げる涼音に、リンはこう言った。


「基本的に暇していると思うから、いつでも連絡してきていいぞ」


 その言葉を涼音に伝えると、リンはまた背中を向ける。そしてそのままカフェから出て行った。

 リンを見送った涼音はふう、とひとつ息を吐いてから椅子に座り直す。自分が配信していた際の映像を見直しながら、涼音は考えていた。


(リンさんの協力を得ることができれば、私も……ううん、でもリンさん配信とかに興味無さそうだし、そもそも知り合ったばかりだし、どこの高校に通っているかも聞いていなかったし……)


 うーん、と考えを巡らせる涼音。そして映像を見返していて、涼音はあることに気づいたのだった。その映像ではリンがゴブリンの群れを蹂躙しているのだが──


「……これ、めちゃくちゃグロくない?」

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