第6話 自分の命を自分で終わらせないで

「危ない!!」

その声と同時に、高所作業中の工事現場から鉄骨が落下し、地面に叩きつけられた。一人の男性が下敷きになり、すぐに救急車で搬送された。その男性は、一命は取り留めたものの、腰から下が麻痺した下半身付随になり、生涯車椅子の生活が待っていた。



冬の晴れた朝。薫は店を開ける前に、駅前のショッピングモールで、食料品や店内の装飾など、両手に荷物いっぱいの買い物を済ませ、店に戻るところだった。休日は人で賑わう駅だったが、平日の午前中の今日は人気が少なく、穏やかだった。

薫が踏切の前で電車が通過するのを待っていると、後ろから車椅子に乗った男性が近付いてきた。警報音が鳴り、遮断機が降りているのにも関わらず、その男性は踏切に向かって車椅子を進めたまま、止まる気配が無かった。

薫は動揺した。もしかしたら、目が見えないのか、それとも耳が聞こえないのか。何とか教えて気付かせてやろうとしたその時、その男性は遮断機を手で持ち上げ、くぐり抜けて線路に出た。目が見えない訳でも、耳が聞こえない訳でもない、その男性はそのまま電車が来るのを待っていた。自殺を図っていたのだ。

遠くから徐々に電車の音が近付いてくる。このままではあの男性は轢かれてしまう。


薫は黙って見ていることができなかった。鼓動が速まる。

「あの…!す、すみません!危ないですよ!」

必死に声を振り絞ったが、その声は男性には届かず。電車がかなり接近したところで、薫は思わず両手に持っていた荷物を投げ捨て、遮断機をくぐって、車椅子を握って線路の外に出た。あまりの勢いに男性も車椅子から身を投げ出され、薫も地面に倒れ込んだ。そのすぐ後、2人の目の前を電車が通過した。


「あっ…勝手な事してすみませんでした…。」

薫が男性を持ち上げ、車椅子に座らせると、男性は小さく吐き捨てるように言った。

「邪魔すんなよ。」

「え…。」

このまま放っておけば、この人はまた同じ行動に出るだろう。

「ちょっと…一緒に来てください。僕の店、この近くなんで。早く行きましょう。」

「は?何でお前の…。」

「とにかく来てください。」

薫は車椅子を押して、男性と一緒に店に戻った。薫は控えめな性格だったが、今まさに目の前で命を絶とうとしている人をそのまま見過ごす事はできなかった。自分でも驚くべき行動力だったが、そのおかげであの男性は、"死ねなかった"と後悔しているのだろうか。


店に着き、男性をテーブル席へと案内した。ホットコーヒーを淹れると、薫も隣のテーブル席へ座った。

「名前は…?」

「何であんたに…。」

「僕は星名薫です。あなたは?」

「…田辺希(たなべ のぞむ)。」

「希くん。何があったの?」

「だから何で…。」

「僕も自殺しようとした事あるから。」

「え…。」

「でも止めてくれた人がいた。今は、あの時死ななくて良かったなと思ってる。だから、希くんにもそう思える日が来てほしい。」

薫は、希の足元に目を移した。

「その脚が原因?」

希が静かに頷く。

「治るの?それとも、もう歩けないとか?」

「一生これだってさ。」

希が車椅子を撫でながら答えた。

「それは…辛いよね…。」

希がコーヒーを一口飲み、こう続けた。

「脚が使い物にならないなんてさ、もう俺が生きてる意味なくなっちゃったんだよね。…俺は勉強ができないから、その分スポーツに捧げてきたんだ。中、高6年間サッカー部で、今は大学で体育教師目指して勉強してた。でも、もう勉強する必要もないし。」

「そんな事はない。」

「そんな事あるんだって。いくら勉強したって、この脚じゃ無理でしょ。」

「車椅子でも、教師にはなれるんじゃないかな。」

「普通の教師ならね。でも俺は、体育を教えたいんだよ。体を張って、スポーツの楽しさを伝えたかったんだよ。それが夢で、勉強を頑張れる励みになってた。だから…今はもう、夢も頑張る気力もない。空っぽ。」

「でもまた、そのうち他にやりたい事とか見つか…。」

「もう綺麗事は聞きたくないんだよ…!」

薫の言葉を遮るように、希が声を荒げた。


「生きてても、この体なんだぞ…?!自分一人じゃ何にもできない。周りに迷惑ばっっかりかけて、そんな奴、生きてるだけで邪魔だろっ。もう誰かに何かを頼んだり迷惑かけたりするのは嫌なんだよ。惨めになるんだよ。恥ずかしくて、ダサくて…申し訳なくなるんだよ。消えたくなるんだよ…。」

希が涙をボロボロ流しながら必死に訴えた。

「あんた俺と同じこの体になってもさっきと同じ事言えんのかよ?!一生自分の脚が動かなくなったら!一生自分の脚で歩けないってなったら!一生誰かに助けてもらいながら生きなきゃいけないってなったら!そんなの…そんなの死んだ方がましだろ…。」

薫の頬を涙が伝う。

「希くんの言ってること…よくわかる。僕も同じ状況になったら、辛くてどうしようもないと思う。でも、希くんはもう、人生で一番辛い事を経験をしたんだ。だからもう、この先に何が待ち受けていても、希くんなら大丈夫。それに…。」

薫が言葉を詰まらせた。辛い過去が胸に押し寄せて、ズキズキと傷んだ。それでも、声を震わせながら続けた。希に伝えたかった事を、薫だからこそ伝えられる言葉を。

「僕も、自分から死のうとした事があるから、希くんの気持ちはもう痛い程よくわかるんだ。僕も、あの時止めてもらえなかったら、そのままホームに落っこちて、電車に轢かれていたし、今ここにはいないと思う。でもあの時僕が助けてもらえたから、今僕が希くんを助けられているって…思いたいんだ…。」

「薫さん…。」

「どんなに悲しくて辛い事があっても、どんなに明日が怖くても、自分で自分の命を終わらせるのは絶対にだめだ…。生きていれば、きっと何かある。"生きていて良かった"と思える出来事が。僕は、さっき希くんを助けられて良かったと思ってるよ。」

「ありがとうございます…。」

希がコーヒーを飲み干し、水色のカップを握りしめた。

「俺…この美味しいコーヒーを飲めて…良かったです…薫さんに止めてもらえて…話聞いてもらえて良かったです…。これからも、"生きていて良かった"を探しながら、生きていきます。」

「希望を、見失ったらだめだよ。」

「はい。」


しばらく話しているうちに、希も気持ちの整理がつき、朝までどんよりと曇っていた心もほんの少し晴れた気がしていた。

「そう言えば…あっ、話したくなかったら大丈夫なんですけど、薫さんも自殺しようとした事あるって。もう大丈夫になったんですか?」

「大丈夫だよ。…かなり前だしね。」

「…。」

「聞きたいのは、何があったのかって事だよね?(笑)」

「はい…。」

「心配しなくても大丈夫だよ。それに話すと長くなるし、止まらないと思うから。」

「…聞いてもいいですか?」

「聞かない方がいいよ。」

ここまで笑顔で話していた薫から、急に表情が消えた。

「…それなら大丈夫です。…失礼な事、すみませんでした。」

「ううん、ごめんね。…そしたらそろそろオープンしようかな。」

「では、僕は帰りますね。長居してしまってすみません。」

「ゆっくり話せて良かった。近くまで送ろうか?」

「いえ、大丈夫です。俺はもう、きっと大丈夫です。この先も。」

「そう。またいつでもおいで。」


希が店を出た後、オープンする予定だったが、今の薫の精神状態では仕事はできそうになかった。

「今日は…このまま休もうかな…。」

時刻はまだ昼過ぎだったが、薫は店の片付けを始めた。

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