第20話 故郷が死んだ

 故郷が死ぬなんて思ってもいなかった。両親が事故で亡くなったと聞いてから、実家がこのがれきの山になるまでがあっという間過ぎて全部夢みたいに思える。変わり果てた両親との対面からはじまり、葬儀、墓、遺産、遺品生理、その間にバカみたいにある事務手続き。父、母の思い出に浸るよりもはるかに「死亡 手続き」「遺産 やり方」みたいな検索結果をスマホで見る時間の方が多かった。


 大学から東京に出て32年。ここ数年、実家には戻ってきていなかった。通帳の場所もなにもかもわからなかった俺はとても忌引きの10日間ではうまく処理できず、いったん戻るかと思っていたが、会社側が「有休有り余ってるんだから全部使ってしまいなさい」と寛大な処置が出るとは思っておらず、恐縮したが、甘えることにした。有休を使ってしまうなんて初めてのことだった。そんなこと許されるんだなぁと20年働いて初めて知った。


 いろいろな処理にも困ったが、一番困ったのは実家の取り壊しだった。実家は一軒家でここで生まれ育ったのだが、なんと借家だったのだ。そういう事さえも親と話してこなかったことに激しく後悔した。「そろそろ取り壊したいとずっと言ってたんだ。悪いが、早急に取り壊させてもらうよ。」と大家に言われれ、家の中にあるもの、何を残すかの取捨選択まで早急に決めなければならなくて本当にわけがわからなかった。とりあえずアルバムは全部自分の家に送った。他、母親の服も、父親の服も特に思い出のものはなかった。ただ父親がずっと使っていた腕時計は残そうと思って段ボールに入れた。家中を漁ってみると、幼稚園の頃の自分が書いた絵が出てきたり、母の日に送ったエプロンが新品のまま出てきたり、とても一人暮らしの我が家に収めることができない数々の品をどうしていいかわからなくなっていると友人に相談すると「とにかく全部写真に残しておきな。」とアドバイスをもらったのでとにかくくまなく写真に撮ってみた。生まれ育ったはずの我が家が急に他人になったようで、どうしようもない頼りなさがずっと付きまとっていた。この無機質な家を、生活でなじませてくれていたのは、間違いなく両親だったのだと気づいて、情けなくも涙が出た。


 どうせなら最後まで見届けよう。休みはたくさんある、と近くのホテルで長期滞在をして、今、がれきになった我が家を見ている。


 家に帰ったらたくさん送った段ボールをどう処理しようかな、なんてぼんやり考えながら、もう自分はここにくることはないなと思った。ここにはもう何もないのだから。親父とクリームソーダを食べさせてもらった喫茶店はコンビニになっていた。何かの記念日には訪れていた焼き肉屋は名前も内装も変わって新しい焼き肉屋になっていた。地元にいた友人とは当に疎遠になっていた。


 数年家に帰っていなかったのだ。また数年家に帰らない、それが続くだけだ。それなのにこの喪失感は一体何なんだろう。帰らなくても会わなくても自分の中には実家というふるさとが間違いなくあり、それはどこかでちゃんと自分の核の一つとして機能していたのだとようやく理解した。


 立ち入り禁止のロープをくぐり、がれきの上に座った。怒られてもいい。俺はポケットから煙草をだして、がれきの上で一服をした。両親は俺が煙草を吸うことを知らない。そして、俺も最近の父親の運転が危ういものになっていたか。母が少し足を悪くしていたことも知らなかった。


 煙草の煙は緩やかにけぶる黒い空に浮かんでいって、まるで一匹オオカミの遠吠えの後みたいだと思った。随分と、弱弱しいが。

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