第19話 おじいちゃんの背中

「お前みたいなこまっしゃくれたガキは嫌いだよ。」


 おじいちゃんはよく僕のことをよくそう言いました。こまっしゃくれた、という意味はよくわからなかったので、調べました。子どもの仕草や口の利き方が変に大人びていること、って知りました。


「あんたまた煙草ばかり吸って!仕事もないんだから少しは手伝ったらどうなの。」


「うるさいわ。お前の顔を見たくないからだよ!」


 おじいちゃんとおばあちゃんはケンカばかりです。なぜこの二人が別れないのか、僕は不思議でなりません。別れてしまえばいいのに。僕のお父さんとお母さんみたいに。お母さんは夜遅くまで、仕事しています。疲れて帰ってくるので、僕は、おばあちゃんが作った夕食を、お母さんの為によそいます。


「この卵焼き、僕も手伝ったんだよ。」


「わあ、ありがとう。本当に、貴方は本当にいい子ね。」


 お母さんは笑って僕の頭を撫でます。


「ちょっとお父さん!夜に窓開けないでよ、虫が入ってくるじゃない!」


「うるさいな、ここは俺の家だ。」


 そう言って、おじいちゃんは窓際に座って煙草を吸います。いつも使ってるジッポで火を点けて。煙が部屋の中に入ってきます。せっかく笑顔だったお母さんがイライラした顔になりました。僕はおじいちゃんの方がよほど子どもだと思います。お母さんを笑わせるなんて簡単なのに、いつも煙でお母さんとおばあちゃんを怒らせる、おじいちゃんの方がよほど子どもに見えます。


 いつだったか、おじいちゃんは趣味のゴルフに僕を連れ出しました。やけに広い芝生があるところでした。


「ほら、打ってみな。」


 おじいちゃんは小さいゴルフクラブにビニールテープを巻いたものを僕に渡して、打たせたけれど、僕には何が何だか全然わからなくて。熱い中、連れまわされて僕は倒れました。熱中症、ってやつでした。


 点滴を受けた病室の中でおじいちゃんはこれでもか、ってくらいお母さんとおばあちゃんに怒られてました。おじいちゃんは珍しく言い返しませんでした。


 散々言って、二人が病室を出た後、おじいちゃんは僕をのぞき込んでいいました。


「大丈夫か。」


「うん。」


「そうか。」


 そういうと、僕の頭を撫でて、まるで当たり前のように煙草に火を点けて。病室は禁煙だったらしく、またおばあちゃんとお母さんにしこたま怒られてました。今度は「うるさい!」とはねのけていました。


 それから、おじいちゃんは僕を連れまわすことはありませんでした。何度怒られても怒鳴られても煙草に火を点けるおじいちゃんの背中は大きな子供みたいでした。僕はこんな大人にはなりたくないと思いました。おじいちゃんの背中もお父さんの背中も同じです。僕は人を泣かせる人になりたくないと思いました。


 そんなおじいちゃんはある日、入院しました。末期のすい臓がん、ってやつらしいです。体中痛いらしくて、どんどんおじいちゃんは細くなっていきました。それでもおじいちゃんは病院を抜け出して、煙草を吸いました。怒鳴られても怒鳴られても、煙草に火を点けました。あれの、何がそんなにいいのか、僕にはちっともわかりません。


 とうとうおじいちゃんはベッドから出られなくなりました。おばあちゃんもお母さんもあまりお見舞いに来ません。僕は暇だったので、おじいちゃんの側で本を時々読んでました。


「なあ。」


「なあに?」


「そこの、引き出しに、煙草が入ってる。」


 おじいちゃんは息も切れ切れに言いました。


「煙草は、もう駄目だよ、おじいちゃん。」


「お前に、やる。」


「いらないよ。」


「いつか、母さんの前で吸って、泣かせてやれ。」


 何を言ってるんだろうと思いました。僕は、お母さんを泣かせたくはありません。僕はおじいちゃんの顔を覗き込んで言いました。


「僕、お母さんを泣かせるようなこと、しないよ。」


「だから、こまっしゃくれたガキは嫌いなんだ。」


 そう、息も絶え絶えに言うのに、随分と細くなった手でおじいちゃんは僕の頭を撫でました。


 その日、おじいちゃんは死にました。


 お母さんとおばあちゃんは忙しそうだったので、僕はそっとベッドの隣にあった引き出しを開けました。箱の空いた煙草とジッポがそこにそっとありました。ジッポには「THIS IS MY CHOICE」と掘ってありました。意味はよくわからなかったけれど、僕はそっとポケットにそれをしまいました。


 おじいちゃんのお葬式にはたくさんの人が来ました。僕にはそれが不思議でした。あの背中のどこにこんなに人がいるのか不思議でした。もっと不思議だったのは、おばあちゃんとお母さんが泣いたことでした。あんなに怒っていたのに、あんなに嫌っていたのに、なぜそんなに泣くのか僕にはちっともわかりませんでした。


 なぜだかとても気持ちが悪くて、僕は会場の外に出ました。外には黒い服をきた人が、2,3人、煙草を吸っていました。


「僕にもそれ、吸わせてください。」


 そう言ってみたら、お兄さんは困ったような顔をして、


「子供にはまだ早いよ。」


 そう言って僕の頭を撫でました。おじいちゃんと同じ匂いがしました。お兄さんたちが行った後、僕は煙草に火を点けてみました。全然、おじいちゃんみたいに火が点かなくて、やっとついた火に、煙草はすぐに煙を失いました。


 僕は大泣きしました。お父さんが家を出ていった日も、友達と別れておじいちゃんの家に行った日も僕は一度も泣かなかったのに。やがて来たお母さんは火が点いたみたいに泣きじゃくる僕をおろおろしながら見ていました。


 そして、おじいちゃんは煙になりました。僕を唯一子ども扱いしたおじいちゃんは煙草の煙みたいに空に消えていきました。




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