第7話 暴力団の影


 捜査二課へ顔を出す前に、昼食の際に頼んだ件について大迫と会うことになっていた。内海と田端の三人で話し込んでいる間に返事があり、最上階の展望室で待つとのこと。

 十四階から十九階の展望室までノンストップで駆け上がる。軽く上がった息を整えながらあたりを見渡すと、待ち人は喫煙ルームでのんびり煙草を燻らせていた。庁舎内唯一の喫煙ポイントであるため、内密の話も兼ねて利用する捜査員は多い。見たところ、今は大迫一人のようだ。

「よお、遅かったな。せっかく謹慎中なのに待ちくたびれて手が伸びちまったよ」

「時間が過ぎたのは悪かったが、禁煙破りは俺のせいじゃない」

 地上十九階の県警本部庁舎、その最上階に位置する展望室は三百六十度をガラス窓で囲まれていて、窓越しには立浜市の街並みが広がっている。整然と並んだ高層ビル、白い外壁の船がいくつも停泊する立浜港、韓国や中国をはじめとするアジアの店が立ち並ぶ〈オリエンタル街〉、立浜市のシンボルともいえる〈立浜スカイタワー〉など、立浜を象徴する建物や観光地を一望できるため民間の庁舎内見学でも人気のエリアだ。

「悪いが、三十分後に捜査会議を控えているんだ。たまには立浜のパノラマを拝みながらのんびり話したいところだが、またの機会だな」

 ガラス張りの窓に背中を預ける大迫。高所恐怖症の者ならほんの一瞬振り返っただけ気絶するかもしれない。

「すまないな、貴重な時間を割いてもらって」

「お前に謝罪されると妙にそわそわするな――んで、さっきの件についてだけど、やっぱりこっちにも情報は入っていなかった。例の特徴を持った連中に関して、少なくとも組対部は把握していないってことだな。お前が言った通り出来立てほやほやの組織かもしれんし、半グレかもしれん。そもそも目撃された人物が組織に所属しているのか個人なのかすらわからん以上、例の特徴だけを手掛かりに探し当てるのは至難の業だ」

「まったく同じ特徴でなくとも類似する組織の情報もないのか」

「刺青入れたマルBを探すなんて、立浜市民の中から黒子がある人間を探すようなもんだろ」

「それもそうか……なあ、小林誠和のヤマだが大迫たちが動いているということはマルBが関与しているのか」

「何だよ、やけに気にするじゃねえか。やっぱりお前もあのヤマを追っているんだろ」

 無言で肩を竦める時也に、大迫は「まあいいさ」と含みを持たせながらもあっさり引き下がる。

「ハムは色々と秘密主義だからな……小林誠和の殺しにマルBが関わっているのか、そこも含めて捜査しているところさ。何しろ、傘下に東凰会のフロント企業があるし、マルBとの癒着が強いと噂だったからな。だが、殺しイコールマルBと即結びつけるのは短絡的だ」

「組対内部での見解は出ているのか」

「正直、半々ってところだ。殺し方は手慣れているが決定打にはならない。銃声を聞いたとかいう話があれば、一気にそれらしくなってくるんだがな。遺体に銃痕はなかったし」

「小林誠和のことだが、組対は以前からマークしていたのか」

「警戒網には一応入っていた、くらいだ。最近のマルBは妙に賢くなっていてな。企業への目立った出入りも避けているし、水面下に上手く潜り込んでなかなか尻尾を出さないのさ」

「八年前に暴対法が改正されて、より厳しい制限や罰則が追加されたからな。指定暴力団の数も大幅に減少したし、動きづらくなったんだろう」

「検挙数も年々右肩下がりだしな。けど、俺の個人的な見解を言わせてもらうと今どきのマルBは昔よりよほど厄介だ」

 スーツの胸ポケットから煙草の箱を出して、指先でくるくると玩ぶ。

「奴らは暴力団のクセして、暴力じゃすべてを支配できないって悟りやがったんだ。それも、最近じゃ名門大学の卒業生がマルB相手に入れ知恵をするケースも出ていてな。幹部相手に経済学や法学のレクチャーをして金を受け取る、そして授業料と引き換えに幹部連中は法の網をすり抜ける手立てが得られるってわけだ。フロント企業を経営しているマルBにも、時々そういう奴がいるんだ」

「それはまた……インテリヤクザのことは小耳に挟んでいるが、一般人がわざわざ自分からマルBに関わっていくのか」

「それが逆なんだ。マルBが有名大卒の連中に目をつけて近づくのさ。無論、自分たちの正体を明かさないように工夫を凝らしてな。そして適当なきっかけを作り対象に接近して、『起業したいが学歴も知恵もないから助けてほしい』と低姿勢で懇願する。優秀な人間ほどプライドが高く他人から頼られることに優越感を感じるから、簡単に乗せられてしまうんだ」

「学歴がなくても悪知恵が働く奴は、総じて世渡り上手なんだよな」

「そういう連中ほど法の穴を上手く使い徳をして、まともな奴が損をする。神も仏もあったもんじゃないぜ」

「しかし、その接触をきっかけに前途有望な若者がマルBの世界に足を踏み入れて……なんてケースもあり得るんじゃないか」

「どうだろうな。俺が関わった事案にそういう奴はいなかったが、レクチャーの報酬に幹部からヤクを受け取りそこからずぶずぶ嵌ってしまった、って話は聞いたことがある。サツにパクられたら最後、せっかくの経歴もそれまで積み上げてきたものもすべて水の泡さ」

 やるせねえよな、と小さく呟く。時也も軽く頷いて同意を示しながら、それとなく探りを入れる。

「マル害の経歴はとっくに調べているんだろ。もしかして、名門学校の卒業生なんてことは」

「いいや。県内の国立大の出だが特に高学歴ってわけでもない。卒業後は自動車メーカーや携帯会社などの営業職を転々として、五年前に小林誠和へ入社した。堅実な仕事ぶりで社内外の評判も上々だったらしい。交友関係はいたって狭く、借金や異性関係のトラブルもなし。一見すると攻め所がないようだが、そんな男がスーツケースに詰められて遺棄されると思うか? しかも遺体には拷問の痕跡まで残っていた」

「単純な怨恨や通り魔、ってわけじゃなさそうだな。やはり、どこかでマルBと密かに繋がっていたか」

「まさにその線を洗っている最中なのさ――っと、あまりべらべら喋ると上から睨まれるな。ハム相手だと尚更だ」

 おどけた表情の大迫に、時也は笑い返す。

「色々話を聞けてよかった。俺は組対部の経験がないし、落合部長は組対部上がりといっても十年以上前の話だ。マルBを取り巻く環境はここ十年で大きく変わったし、現役のお前のほうがより新鮮な情報や知見に触れているはずだからな」

「まあ、他部署とはいえ俺とお前の仲だからな。何かあれば俺は組織を捨て個人の側につく。お前や寛さんなら尚のことだ。こう見えても義理堅い質でね」

「頼りにしているよ――なあ、最後にひとつだけいいか」

「何だよ」

 振り返った大迫が眩しそうに目を細める。時刻は午後四時。立浜市の空は明るく、太平洋に沈む夕日を拝むにはまだ早い。

「小林誠和と堂珍仁の関係は洗っているのか」

「元共産推進党の堂珍仁か? いや、現段階で堂珍の名前は特に挙がっていないが……そういや、小林誠和の関連企業に共産推進党が支持基盤の会社があったな」

 顎を撫で険しい顔をする大迫。やがておもむろに時也と目を合わせると、蚊の鳴くような声で「まさか」と囁く。

「堂珍仁がこのヤマに関係しているのか」

「さあな。ただ、堂珍と小林誠和の関係を調べると、もしかしたら面白いことが判るかもしれないぞ」

「けど、どうしてそんなことを」

「俺はアンフェアが嫌いなんだ。それに、借りも作りたくないんでな」

 ふっと微笑を浮かべた大迫は、回れ右をすると颯爽とした足取りでエレベーターへ向かう。一方の時也は、アーチ窓の傍に立ちジオラマのような立浜市内をしばらく眺めてから展望室を後にした。

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