第6話 詐欺事件


 午後二時ぴったりに再会した二人は、車を走らせある人物を訪ねた。〈立浜ベイブリッジ〉に程近いマンションで一人暮らしをする友枝雅樹の同僚だ。

 一階の駐車場に車を停め、エレベーターで十二階まで上がる。フロアの最左端である一二〇八号の住人は、呼び鈴を鳴らしてから五秒も経たないうちに扉から顔を出した。

「県警本部の新宮です。お休みの日に申し訳ありません」

「同じく内海です」

 森野一裕は、二人の客を丁寧に迎え入れた。ポロシャツにチノパンというラフな出で立ちだが、髪はワックスできちんと整えられ髭も剃り清潔感がある。通されたリビングも掃除が行き届き、突然の来客に慌てて片づけた感じではない。大きな掃き出し窓からは柔らかい日差しが入り、パンフレットに掲載しているモデルルームのようだ。

「森野といいます。今日は、友枝先輩のことで話があるとか」

「ええ……といっても、そんな大袈裟なものじゃありません。最近の友枝さんの様子とか、どんな話をしていたかとか、そういうことを少し聞きたいだけです。森野さんは友枝さんの同僚だそうですね」

「ええ、入社時期が同じですので。でも私より三つ年上だから、一応先輩って呼んでいました。実際は先輩後輩の枠を超えて良くしてくれていました」

 解放感のあるシステムキッチンには有名ブランドのドリップ式コーヒーメーカーが置かれ、森野は慣れた手つきで二人分のコーヒーを用意する。

「先輩のことを聞いたときは、非常にショックでした。悪い冗談かと思って、課長に『エイプリルフールですか?』ってきき返したほどです。しかも、事故や病気じゃなくて殺人だなんて」

 芳醇な香りを漂わせたカップが時也と内海の前に並ぶ。星座の刺繍が入ったコースターが洒落ていた。二人の向かいに腰かけた森野は、意気消沈した声で話を続ける。

「先輩は、他人から恨みを買うような人間じゃありません。顧客からの評判も良かったみたいですし、社内でトラブルを抱えている様子もありませんでした。二課の大村課長からも信頼されていましたし」

「あなたは、友枝さんと同じ課にいたわけじゃないんですか」

「私は三課の所属です。友枝先輩のことも三課の課長から聞いたんですよ。先輩も昔は三課にいたんですけど、三年前に二課へ異動したんです」

 一礼司が事務所を契約したのも三年前だ。そのときの担当者は友枝雅樹。偶然の一致だろうか。

「異動は友枝さん自身が望んだのですか」

「いえ。うちは社長の方針で、社内の定期的な人事異動があるんです。先輩はその対象になったんですよ。業務の担当者が毎年変わるものだから引継ぎが大変で、不満を持つ社員が多いですけどね」

「たしかに面倒ですね。友枝さんも、引継ぎのことは何か言っていましたか」

「法人の顧客情報は膨大な量で把握が大変だ、とは話していました。でも、先輩は滅多に文句を言わない人でしたから。淡々と仕事に向き合っている印象でした」

「二課へ異動してからも友枝さんとの交流は続いていたんですか」

「そうですね。ただ、昔は仕事終わりに飲みに行くこともありましたが最近はめっきり減っていて」

「それはやはり、仕事に追われて?」

「それもありますし……そうですね」

 流暢に動いていた森野の口が、初めて閉ざされた。時也は隣に坐る相棒を一瞥し、コーヒーカップに手を伸ばす。女刑事はボールペンを手帳の間に挟み、森野に微笑みかけた。

「友枝さん、もしかしてプライベートで何か困ったことがおありだったのでは?」

「それは、その……はあ、実はそうなんです」

 嘘が下手なのか、警察相手に隠し事をしても無駄だと早々に悟ったのか、森野はあっさりと認めた。

「家庭内での問題ですか」

「ええ。あの、私から聞いたとは」

「もちろん口外はしませんし、捜査上知り得た情報が外部に漏れる心配もありません」

 ほっとした表情で、森野はぽつぽつと話し出す。

「友枝先輩の奥さん、ユリさんといって……百合の花で百合さんですけど。実は、彼女のことで一時期参っていたんです」

「具体的には?」

「実は……あの、百合さんは詐欺の被害に遭っていたんです」

「詐欺、ですか。よろしければもう少し詳しく教えていただけますか」

「はい。その詐欺というのが、いわゆる美人局っていうんでしょうか。しかもただの美人局ではないんです」

 コーヒーで一息ついてから、森野は事件のあらましを話し始めた。

「きっかけは、百合さんが占いに通い始めたことでした。私の同僚の女性がよく行く占いの店で、とても当たると評判のところがあるんです。評判のわりに料金も安価だからお勧めだと言われて。それで、友枝先輩を介して百合さんにもその店を教えたんです。思い返せば、それが事件の引き金になってしまったのですが」

 顔を歪めながらも、森野は懸命に話を続ける。

「その占いの店で、占い師の女性が〈チャタラット〉というアプリを百合さんに紹介したらしいんです。チャタラットは海外で開発された無料のインスタントメッセージアプリで、テーマごとに〈部屋〉を設定してそこでチャットができる仕組みです。部屋への入室人数を設定すれば、一対一でもグループでも会話ができます。写真や動画の送信、ライブ配信も可能でアジアを中心に利用者が多いと聞きました。このアプリの大きな特徴は、メッセージ履歴が一定時間経過すると自動で削除されしかも一度削除された履歴は二度と復元できないことです。なんでも開発者自らそのようにプログラムしたらしく、どんな科学捜査技術を用いても復元不可能なんだそうです」

「でも、それじゃ犯罪の温床になるのでは」

 眉をひそめた内海に、森野は「そうなんですよ」と食い気味に返す。

「それでも、電話番号の登録だけで気軽に始められるので、世界中にユーザーがいるようです。やり取りの中身は高度な暗号化によってセキュリティ性が保持され、開発会社の管理者でさえユーザーのやり取りを覗き見ることはできないそうです」

「占い師の女性は、そうした特徴を知ったうえで百合さんにアプリを勧めたのですか」

「さあ、どうでしょう……百合さんは『たまには家族以外の外の世界と繋がってみるのもいい。実際に会うわけではないのだし、不特定多数の人と気軽にやり取るができるSNSくらいに思えばいい』と占い師の方に言われたそうです。僕がチャタラットのことを詳しく判っていれば、そこで止めさせられたのに」

 唇を噛みしめる森野に、内海はやんわりと話の続きを促す。

「百合さんはチャタラットを始めてしばらくしてから、ある男性と仲良くなったようでした。その男性はある部屋の主催者――部屋を最初に開設した人がそう呼ばれるらしいです――で、百合さんはその男性が主催する部屋へよく出入りしていたそうです。そこには百合さん以外にも複数の女性ユーザーがいて、主催者の男性含めて他愛もない話で盛り上がっていたとか。

 その程度だったら、先輩も心配しなかったのでしょう。ですがそのうち、友枝先輩から相談されるようになったんです。『最近妻を気にしてやる余裕がなくて、どうすればいいだろう』って。突っ込んで聞いてみると、『妻が不倫しているかもしれない』と打ち明けられたんです」

「それは、チャタラットで交流している男性と親密になっている、という意味でしょうか」

「ええ。最初は先輩の思い過ごしというか、考えすぎなんじゃないかと言いました。けれど、百合さんが頻繁に誰かと連絡を取り合っていたり、家の中でもスマホを肌身離さず持ち歩くようになったり、そういう典型的な怪しい行動がいくつか見られるのだと。まさか百合さんに限って不倫なんて、とは思いましたけど」

「そこからどうしたのですか」

「最初は、探偵を雇おうかという話もありましたが、外出の頻度が増えたり見た目がガラリと変わったりという大きな兆候がなかったので却下になりました。それからも色々考えて、最終的には本人に直接問い質すことになったんです」

「不倫の事実確認をしようとしたわけですね」

「はい。どんな結果になっても真摯に受け止めるつもりだ、と先輩は覚悟を決めたんです」

「それで、結果は?」

「結果だけ言うと……たしかに百合さんは不倫をしていました。ですが、ただの不倫じゃありません。あれは詐欺です、彼女は騙されていたんです」

 唾を飛ばさんばかりの勢いで主張する森野を、女刑事は「落ち着いてください」と宥める。

「百合さんは、どのような被害を受けたのですか」

「彼女が親密になっていたのは、あるアメリカ人の男性でした。数年前に仕事で日本へ来て、そのまま国内に住んでいると自己紹介していたそうです。百合さんはその男性とチャタラットで交流するうちに、ただのユーザー同士の枠を超えた関係に発展してしまって……チャタラットはプライベートチャット機能というものがあって、その機能を使って二人きりで何度もやり取りを重ねていたようです。男性は百合さんに『愛している』『これが罪だと理解していても、君を好きな気持ちを止められない』といった言葉を送って、それで百合さんもつい魔が差したのだとか。

 ところが、しばらくしてから百合さんにある女性からプライベートチャットでメッセージが送られたんです。その女性は、百合さんと親密な関係だったアメリカ人男性の妻で『あなたと夫の浮気の証拠を見つけた。慰謝料を請求したい』と迫ってきたのだそうです」

「それってまるで……国際ロマンス詐欺と美人局のミックス型ですね」

 国際ロマンス詐欺は、外国人あるいは外国人に扮した犯人がSNSやインターネットを通してターゲットと知り合い、やり取りを重ねるうちに相手に好意を持たせその好意を悪用し現金を騙し盗る。SNSの普及により手軽に異性と出会える現代ならではの詐欺手法だ。時也たちが以前受けた講習でも、警察への相談件数がこの数年で増加傾向にあると説明していた。

「つまり、その男性は自身が既婚者であることを隠して百合さんと関係を続けていたわけですね」

「そうです。男性の妻は慰謝料として五十万円を要求してきて、百合さんは夫である先輩に知られたくない一心でこっそりお金を送ったのだそうです。ところが、お金を渡してからの百合さんの様子がおかしいと勘付いた先輩が百合さんを問い質し、そこから警察へ相談して事件が明るみになったんです」

「話を聞く限り、そのアメリカ人男性と妻の女性が共謀していると考えられますね」

「ええ。ただ、警察が捜査を始めた頃にはその男性はアプリを退会していて……その後の詳細は私も聞いていないのですが」

「それから、百合さんと友枝雅樹さんはどうなったのですか」

「百合さんが詐欺に遭ってしまったのは、彼女の様子をきちんと見ていなかった自分に責任があると先輩は言っていました。そこから色々と話し合って、事件の後は元通りの円満な夫婦仲に戻ったようでしたよ。百合さんからも『おかげさまで夫とはすっかり仲直りできました』とメールが来ましたから」

「その後、雅樹さんの様子が変わったようなことは」

「少なくとも私が知る限りでは元気そうでした」

 一通り話し終えてから、森野はすっかり冷めたコーヒーを一口で飲み干す。

「刑事さん。先輩の命を奪った犯人を早く捕まえてください。そして然るべき罰を与えてください。私は、それだけを願っています」

 苦渋の表情を浮かべ、友枝の同僚は深々と頭を下げた。



 森野宅から県警本部に戻った時也と内海は、DVD解析担当の田端警部補と顔を合わせた。今まで二人が得た情報を共有すると、友枝百合の詐欺事件にいたく興味を抱いたようだった。

「そういえば、二年ほど前にその手口の詐欺が県内で続発した時期がありましたっけ。もしかすると友枝百合の事件もその時期に被っているかもしれませんね」

「それを調べに今から捜二へ行くところです」

「よろしくお願いします。こちらの解析も、一通り終わりましたよ。封筒の鑑定も済んでいます」

 自動販売機が並ぶ休憩スペースで、三人は一息つく。時也は缶コーヒーを三つ購入し、うち二つを内海と田端に手渡した。

「ありがとうございます」

「ああ、これはどうも――朝の会議の後、科捜研に頼んで封筒とDVD映像を分析してもらいました。封筒に関しては、指紋をはじめ唾液や毛髪そのほか微細な繊維や組織まで徹底的に調べましたが、ごく一般的に流通しているものということ以外に何も発見はありませんでした。封筒の入手ルートから犯人ホシを割り出すことは無理ですね」

 時也はプルタブを開けながら、「砂浜から特定の砂粒を探し出すようなものですからね。映像のほうは?」

「堂珍仁が小林誠和の建物に出入りする前後の様子を撮影していて、おそらく数回にわけて撮ったものを一枚にまとめて焼いたと思われます。面が割れている堂珍仁と中陣豊以外に映り込んでいたのは、通行人が数名程度。その全員の顔を警視庁の前科者データベースと照合しましたがヒットした人物はいませんでした。撮影日時についてですが」

 いつの間にか手にしていた手帳をパラパラ捲りながら、

「自動ドアのガラスに向かいの喫茶店の看板が写っていまして、看板の文字を拡大するといずれの映像でも〈三月のおすすめメニュー〉と書かれていました。また、すべての映像が比較的天気の良い日に撮影したものでしたので、気象庁に問い合わせて先月一ヶ月分の気象データを入手。映像とすり合わせてみたところ、十九日分が該当しました。さらに映像内のあらゆる影の形や大きさ、向きなどを分析した結果、どの映像も昼過ぎから夕方にかけて撮影された可能性が高いことが判明。それと、小林誠和不動産本店の道沿いに設置されている監視カメラを検め、先ほどの十九日分の映像の中から通行人の顔や服装などを基に一致する日時を割り出していくと――」

 手帳から顔を上げ、眼鏡のフレームを指先で押し上げる。

「三月の四、八、十二、十六、二十四。この五日間がすべての条件に該当しました。つまり、映像は五日間の午後の時間帯に撮影された可能性が高いと推察できます。ちなみに撮影位置ですが、映像の中で拡大機能を使ったタイミングがある点から一定の距離がある位置から撮ったものと思われます。先ほど実際の現場を見てきましたが、小林誠和不動産本店の自動ドアに写っていた喫茶店。大通りに面した席もありましたし、ターゲットの建物との位置関係も完璧です。試しにスマートフォンで撮影してみましたが、DVDの映像とかなり似通った動画を撮ることができました。おそらく、この喫茶店が撮影場所かと」

「撮影者に関する情報は?」

 時也が思わず食い気味に訊ねたのは、それが最も犯人に繋がる情報だったからだ。しかし、眼鏡の警部補はいたく残念そうな面持ちで首を横に振る。

「喫茶店の店員に片っ端から聞いて回りましたが、よほど奇天烈な見た目の客でない限りどんな客がどの席に坐ったか憶えていないと。監視カメラも検めましたが、小林誠和不動産が見える席はちょうどカメラの撮影範囲から外れていました」

「それでも、撮影日時と場所が特定できたのはかなりの収穫じゃないですか」

 内海の興奮冷めやらぬ声に、缶コーヒーのプルタブを開けた田端は「優秀な科捜研のお手柄ですね」と控えめに笑ってみせる。

「水前署の聞き込みはどうですか?」

「署に設置しているすべての監視カメラを過去三ヶ月まで遡って調べましたが、特に怪しい映像は見つかりませんでした。正面玄関のカメラに関しては、ギリギリ死角になっている位置に封筒が置かれていて封筒を届けた一般市民しか映っていません。それから事件の前後に不審人物が署内を訪れていないか虱潰しに聞き込んでいますが、今のところ収穫はゼロです」

「玄関の監視カメラはたまたま死角ができていたのか、あるいは封筒を置いた人物がカメラの角度を予め把握していたのか……はたまた、誰かが意図的にカメラの位置を変えたのか」

「ちょっと待ってください新宮部長」

 内海がストップをかける。「DVDを置いたのは水前署の関係者だというんですか」

「あくまで想像だが、考えられなくはないだろう」

「私も同意見ですね」眼鏡の警部補も賛同を示す。「灯台下暗し――署の職員や関係者であれば監視カメラのあちこちに姿が写っていても自然ですし、『まさか警察官が事件に関与しているわけがない』という先入観を上手く利用したとも考えられます。警察関係者であれば、遺留品に証拠を残さない術も心得ているはずですし」

「身内が事件に関わっている、ということですか」

 時也は田端と目配せをしてから、

「あくまで仮説のひとつだ。イギリス生まれの名探偵も言っているだろう。〈あらゆる可能性を排除して最後に残ったものがいかに信じがたくてもそれが真実である〉。逆に言えば、どんな可能性も一度は検証してみろってことだ」

 田端と別れて、二人は残った缶コーヒーを無言で飲み干す。先に空き缶をゴミ箱に放り込んだ時也は、

「俺はちょっと捜二に行くから、悪いがボスへの報告を頼む……内海、おい聞いているのか」

 コーヒーの缶を手にぼんやりとする後輩の肩を、時也は軽く小突く。

「あ、はい……ボスへの報告ですね。了解です」

「何度も言うが、さっきの話はあくまでも仮説だ。あまり本気にするんじゃないぞ」

「はい……でも、先輩のおっしゃる通りですね。どんなにあり得ない可能性でも検討するのが刑事です。それがたとえ身内を疑うことになるとしても、そこで及び腰になっていたらこの仕事は務まりません」

 空き缶をゴミ箱に投げ入れ「ボスへ報告に行ってきます」と一礼する内海。足早に遠ざかる後ろ姿を見送りながら、時也は小さく息を吐いた。

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