13. 旅へのいざない

 しばらく加藤さんはリティを遠目に見ていた。


 そこで僕は加藤さんに言った。


「相原さんと、話をしましょう。本当のことを、すべて説明します」


 加藤さんは戸惑うようにリティを見つめる。僕は続けた。


「鼠の件にも関係があるんです。加藤さん、お願いします」

「そうか。わかったよ。そこまで言うなら、聞くだけ聞いてみよう」



 僕らはシャッターの降りた洋菓子店の前に移動した。


 会社の前だと他の社員の目もあるし、加藤さんとしては、逃げ場のないカフェなどに入るのは嫌そうだったからだ。


 僕と加藤さんとリティは、その小さなひさしの下に集まって話をした。


 加藤さんは警戒するような険しい表情で、腕を組んでいた。僕とリティはそんな加藤さんに、これまでのことを語った。



 本物の絵美さんが山から滑落して亡くなったこと。


 リティが絵美さんに入れ替わったこと。


 リティが加藤さんや会社のみんなを、鼠から守ろうとしていること。


 ――けれど、リティはひとつだけ言わなかったことがある。それは、絵美さんの、加藤さんに対する想いだ。たしかにそれは、秘められるべきものかもしれない。絵美さんの魂にかけて、いまはまだ。



 やがて、加藤さんは口を開いた。


「それを、どうやって信じろっていうんだ? 何もかも、荒唐無稽すぎる。はっきりしているのは、鼠の大量発生と、相原が猫又だってことだけじゃないか」


 そこを突かれて、僕は口ごもった。


 リティも言い返す言葉がないようで、黙ってしまった。




 そのとき、ふいにリティは顔を上げて、こう言った。


「連れて行きます」


 加藤さんは尋ねた。


「なに? どこへ?」


 リティはきっぱりと、決心をするようにうなずいて、顔を上げた。


「エミが滑落した、あの山へ。――エミの遺体がある場所へ」

「なんだって?」

「あそこに。あの谷にはまだ、エミの遺体があるはじだから。たぶん、まだそこに、証拠があります。真実を証明するための……。だって、加藤さんの性格だと。物証エビデンスを見ないと、納得しないですよね?」


 加藤さんはしばらく黙っていたが、やがてつぶやいた。


「俺に、猫又と山へ登れって言うのか?」


 それにリティは答える。


「はい……。そんなに、高い場所じゃないので」

「それで、本当に、証明できるんだろうな」

「はい、たぶん」

「――そうか。考えてみる」





 それから二日後の土曜日になると、午前八時に家を出た。


 僕はリュックを背負い、青いキャップ帽をかぶっていた。それにTシャツに薄手の灰色のパーカー着て、靴は濃いグレーのトレッキングブーツ。


 黒を見ると、白い登山帽をかぶっていた。クリーム色の長袖のTシャツに、コットンパンツ。


 こうして僕らはそれなりに山を歩けるかっこうをして、駅に向かっていた。


 黒は青い顔で、だるそうに歩いていた。まさに低血圧ゾンビだ。


「ねえ黒、大丈夫? やっぱり、朝ごはん、家で食べてきたほうがよかった?」


 すると黒は右手を難儀そうに挙げて、


「ああ。気にすんな」

「なんか、ごめん。――でもさ、山ってさ、早くから登りはじめたほうがいいみたいだから」

「わかってる。そりゃそうだ」

「ほんとは、僕ひとりで行かなきゃいけないのかもしれないね。僕の試練なんだし」


 すると、黒は呆れるような視線で、


「仕方ねえよ。もう、猫又の退治、なんてシンプルな話じゃなくなってる。――それに、場合によったら、相原さんの遺体を見つけることになるんだろ?」

「うん」

「だろ? そうなりゃ警察沙汰だ。だから、高木先生にも言っておいたんだ。おまえを放っておけねえって」

「そっか、ありがと」

「いいって。それに里から、交通費とかなんやらが、経費で出るみたいだし。領収書とか、忘れんなよ」


 黒とそんな話をしながら、僕はウェストポーチの中の霜月を意識する。


 遠出をすることもあり、念のため霜月を持ってきた。――使うようなことにならないといいけど。


 そんな思いと同時に、黒に対する疑問もある。


 やはり黒は短刀を持ってきた様子がない。いまも、机の下の奥に、隠されているのだろう。


 たぶん、黒は戦わない。戦うつもりがない。――少なくとも退魔師としては。


 僕は高木先生や黒に対して、その点についてだけは違和感を持っていた。


 試練の日々の中に、異音を放つ歯車が組み込まれているみたいだ。

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