12. 大発生
僕は木の幹に背中をあずけて座り、夜空に顔を向けていた。
周囲には猫たちがいるが、リラックスして、遠巻きに僕らを見ている。
同じ木に、リティも寄りかかって座っている。
「あたしはね、あの会社を、鼠から守ってるんだ」
リティはそう言った。
「え? 鼠から?」
それからリティは、こんな話をしはじめた。
リティが相原絵美さんとしてネコテック社に通いはじめてしばらくしたころ、鼠が出はじめるようになった。
また、会社には妙な妖気が漂っており、それにつられて鼠たちが集まってくるようだった。
リティはこれまで、鼠を退治しながら、会社に漂う妖気を抑え込んできた。
妖気の影響か、鼠たちは少しずつ大きく、凶暴になっているようだった。
――そしてきょうの昼間。
一匹の、特別大きな鼠が机に乗り、加藤に襲いかかろうとした。加藤は椅子に座り仕事にのめり込み、気づいていなかった。
鼠は机の上を走り、加藤さんへと飛びかかった。
そこでリティは立ち上がって駆け寄り、加藤さんを押した。万一鼠に噛まれでもしたら、病気になってしまう。
鼠は逃げていった。
しかし加藤さんは椅子から落ち、机の足に額をぶつけたようで、血を流していた。
リティは思わず、二本の尻尾を出してしまっていた。臨戦体勢だと、そうなってしまうようだ。
そこで加藤さんはこう言った。
「ひッ、バ、バケモノ……。こいつ、やっぱりバケモノだ!」
そうしてリティは、会社を飛びでてきた。
そこまで話すと、リティは黙りこんだ。洟をすする音。乱れた息づかいが聞こえる。
「あたし、もう、どうしたらいいか、わかんないよ……」
僕は振り返って、リティの横顔を見た。両手で顔をおさえている。茶色い髪と肩を震わせて。
「僕からも加藤さんに、いまのことを伝えてみるよ。それに、鼠の話が本当なら、それだって放っておけないし」
二日後の木曜日の夕方、僕はネコテック社の入り口に行った。
加藤さんに会いに来たのだ。リティのことを説明し、誤解を解くために。
それにリティにも、きょう加藤さんと話をすることを伝えていた。
インターフォンを押してしばらくすると、ドアが勢いよく開いた。
そこには加藤さんがいた。額には白いテープが貼られていた。
「翠くん、待ってたよ!」
その慌てた様子に僕は面食らった。
「え、どうしたんですか? いったい……」
すると加藤さんは社内を振り返って、
「大変なんだ! 鼠がたくさん出てきて!」
すると、加藤さんの後ろから、別の女性社員がやってきた。
「ちょっと、通してください! もうこんなとこで、仕事できません!」
そのあとから、メガネをかけたすらりとした男性――たしか澤田さんも現れた。
「あっ、きみは翠くん?」
「は、はい。おひさしぶりです」
と僕は頭を下げる。澤田さんはメガネを直しながら続ける。
「とんでもないことになったよ! 会社に鼠が出てきてね! ちょっとこれは、避難しないとどうしようもないかも……」
すると、ドアの先に灰色の影が見えた。やはりそれは鼠だった。
まずは十名近くの社員たちを会社から逃すと、あらためて僕は中を見た。
すると、床や机に鼠の姿があった。
ざっと見ただけで、二十匹近くはいた。
それに、それに鼠たちからは、妖気が立ち昇っているのがわかった。
そのとき僕は、はたと思い出してネコテック社のビルの脇に走った。
ネコテック社が入ったビルと、隣のビルとの隙間からは、先日と同じく妙な妖気が漂ってきていた。
その隙間は、狭いながらもなんとか体を差し込めそうな幅があった。
そしてその隙間の先には、土が剥き出しになっている場所があった。また、その土のあたりから、妖気が立ち昇っていた。それらの妖気はネコテック社のあるビルに吸い込まれていた。
まさに壁の向こうには、ネコテック社があるはずだ。
僕は加藤さんに尋ねた。
「ちょっと、すみません。あれは、なんですか? あの、土になっている、窪みのことです」
すると加藤さんは両腕を組んで、
「――え? なんだろ。わからないけど。管理会社の人とかに、聞いてみるよ」
「ええ。お願いします。鼠の問題と、関係がある気がするんです!」
「ああ。わかった……」
そんなやりとりをしながら、僕は迷っていた。
隙間に入っていって、土を掘り起こすべきか。
――いや、それにしては、リスクがありすぎる。
場合によっては、とんでもない妖魔を封印している場所かもしれない。いま、この場で掘り返すのは、やめておこう。
そういえば、と僕は加藤さんに話しかける。
「相原さんと、話をしてきたんです」
すると、加藤さんは眉をゆがませて、
「相原と? ああ。たしか、きょうはそもそも、その話だったか……」
「はい。まあこんなときで、それどころでは、ないかもしれないですけど」
「そうだな。まったく、なにもかも、メチャクチャだ。マイネコシステムも、もうじきリリースだっていうのき。くそッ。間に合わなかったら、大変なことになる」
そうして加藤さんは、こぶしを握って自分の腿を殴る。
「か、加藤さん……」
すると加藤さんはばつが悪そうに、
「あー、いや。すまない。ガキっぽいとこを見せたな。それにしても、この惨状……。もしかしたら、相原がなにか悪さをして、鼠を呼び寄せたのかもな。おととい、あんなことがあったから……」
「違いますよ。加藤さん。リティ……。いや、相原さんは……!」
「なんだよ。やけにバケモノの肩を持つな。翠くん。――やっぱり、退魔師ってのは、バケモノをけしかけて、そいつを倒して金儲けをする。そんな自作自演のマッチポンプみたいなことでも、やってるのか?」
胸が熱くなり、涙がこぼれそうだった。
違うんです。リティは、みんなや加藤さんを守りたかったんです。リティは妖魔なのに、絵美さんのために、がんばってるんです。リティは!
――そんなことを心の中で叫びながら、喋ることができなかった。
そのとき、加藤さんは「えっ」と声を出した。
僕は加藤さんの視線をたどり、振り返った。
夕日に染まりゆく街路に、リティが立っていた。
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