14. 山の奥へ
駅の構内は、休日の開放感とにぎやかさに包まれていた。
そんな中で、僕と黒は立ち食い蕎麦の店に入った。
僕はカレー蕎麦にかき揚げを付けた。黒は信じられないものでも見た、というような目で、
「なんだよその組み合わせ。うまいのかよ……」
そう言う黒は、キツネうどんにコロッケを載せて食べていた。僕はため息まじりに言った。
「おいしそうだね、黒のそれ。とっても」
すると黒はにこやかに、
「だろ? おすすめだぜ。やってみろよ」
徐々に黒の目が醒めてきたころ、僕らは改札口の前でリティを見つけた。
律儀にもリティは山歩きのかっこうをしていた。
グレーの登山帽にサングラス。グレーの薄手のパーカーに柔らかそうな紺色のパンツ。
「おはよう、リティ」
と、僕は右手を挙げた。高木先生ならもっと元気に言うだろうな、と思いながら。
リティは小さくうなずいてから、黒を見た。
黒は少し警戒しているようだった。僕はそんな黒に小声で、
「大丈夫だよ。リティは、安全だよ」
「ああ、わかってる」
黒はそう言ってから、リティへと近づいていった。
「よろしく。柄元黒だ」
その言いざまは、『妖魔を信用するつもりはない』と言っているみたいだった。
それに対して、リティはなにも言わなかった。
そのうちやってきた加藤さんは、カーキ色のサファリハットに、茶色のシャツを着ていた。
加藤さんは僕らの近くまでやってきてから、足を止めた。そして、背の高い黒を見上げて、すいと頭を下げた。
「ネコテックエンターテイメントの、加藤です」
それに対して黒も頭を下げた。
「はじめまして。こちらの橘花翠の友人であり、退魔にも関わっている、柄元黒と申します。よろしくお願いします」
すると、加藤さんはポケットから名刺入れを取り出し、黒に名刺を一枚渡した。
それに対して、黒も名刺を取り出した。
その名刺には、『退魔師 柄元黒』と書かれていた。
実のところ、黒のその名刺を見るのははじめてだ。
まるで会社員みたいに、あるいは高木先生みたいに、名刺を交換する。そんな黒を見て、僕はしばし唖然となった。
そのとき、黒は微妙そうな顔で僕を見た。
僕の脳裏に、黒への反感の気持ちがもたげる。――そんな顔をするなら、戦えよ、黒。なんで黒は、短刀をあんなふうに隠しているんだよ。
そんなことを思うと同時に、僕は黒に感謝した。
そうだ、黒は加藤さんを安心させるためにやってくれたのかもしれない。加藤さんへ、二人の退魔師が同行するから、安全なんだと伝えるために。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、やはり黒はリティを見張るように見ている。
リティは加藤さんと黒から距離を取ろうと、僕に隠れる位置にくる。
一方で加藤さんは、黒とリティに対し、様子をうかがうような視線を向ける。
これはいったい、なんというハイキングだろうか。
この圧力と緊張感がずっと続くのは、なかなかにつらそうだ。僕は逃げだしたい気持ちにかられていた。
それでも空気をなごませようと、僕は言った。
「さて、そろそろ出発しましょう。安全に注意して、よい旅をしましょう」
遠足に行く引率の教師みたいに。しかし、旅の仲間の緊張がほぐれることはなかった。
やれやれ、とため息をつきながら、僕は改札へと入る。
快速列車は、夏空の下を西へ向かって走ってゆく。
静かな旅だったが、それも仕方がない。
お互いが警戒しあっている上に、相原絵美さんの遺体を探しに行くという、陰鬱な旅なのだから。
電車を降りてからは、リティの案内に従ってタクシーに乗って、登山口まで行った。
リティは登山口の前で、僕らを見渡して言った。
「エミの落ちた場所は、そんなに高い場所じゃないの。一時間とちょっとくらいで、行けると思う……」
そんな話を聞きながら、僕は周囲を見まわした。
うっそうとした木々や葉があたりを覆っている。
登山口からは、横に置かれた丸太が階段状に連なって、上まで続いている。
湿った土と樹木のにおいが満ちている。
鳥や小動物の声が森へといざなうように、ひびいてきている。
リティを見ると、そんな森の奥に向かって懐かしそうな目をしている。
「どうしたの?」
と呼びかけると、リティは答えた。
「うん。よく、エミと来たからさ。いまでも、この先にエミがいると思うと……。なんだかね」
僕らはリティに続いて登山道に入った。
清々しくも濃密な山気の中を、うっすらと汗をかきながら登る。トレッキングブーツのゴム底が、ギュギュ、と鳴る。あたりは葉擦れの音と足音に包まれている。
黒は僕の真後ろにいる。加藤さんは、そのまた後ろだ。――加藤さんはふだんは運動をあまりしないのか、一番苦しそうにしていた。
みんな無口だった。
喋る余裕がなかったからだ。それは、身体的な意味でも、精神的な意味でも。
登山口から続く斜面を登りきると、傾斜はなだらかになったが、道は歩きにくくなった。
木の根や石が足元をはばむ。
それから一時間ほど歩くと、森はいっそ深くなり、緑の異界とも呼ぶべき様相を
湿気は強く、岩には苔がびっしりとついている。
緑は濃く、日の光は葉の天幕にさえぎられている。
そのとき、右手に崖があるところに出た。そこでリティは立ち止まった。
リティはその崖を見下ろしてから、僕らを振り返った。――その目は、とても悲しげだった。
なにも聞く必要はなかった。リティの目が物語っていたからだ。ここが、絵美さんが亡くなった場所だと。
とはいえ、ほんとうは僕の中にもわずかな疑念があった。
リティの言っていることは、どこまで事実なのだろうか、と。――その答えが、リティによって示されるならば、それを見届ける必要がある。
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