19. 命が巡るなら

「こんなことになるなんて……」


 僕はそうつぶやいてから、目をきつく閉じて、シズクの脇腹に霜月を突き出した。


 シズクの鋭い叫び声。


 桂木さんの怒鳴り声。


「やめろ。やめてくれ!」


 そう言って、桂木さんは僕の体を掴んできた。そんな桂木さんを、黒がとめる。


「やめるんだ、桂木さん! 離れろッ!」




 シズクは崩れ落ちるように倒れ、仰向けに横たわった。


 シズクの顔や体の色は、灰色を通り越して、白っぽくなっていた。妖気もほとんど消え失せた。


 そこへ桂木さんは、シズクの顔に自身の顔を寄せ、わめきはじめた。


「シズクゥ。早く、気づいてやれなくて、ごめんよォ。シズク…………」


 すると、シズクは唇をぴくりと動かして、


「ああ。あったかい。こんな、にも…………」


 そうしてシズクは目を閉じた。


 桂木さんはシズクに覆いかぶさり、すすり泣く。


 シズクの体からは薄墨のような妖気が漏れてきた。


 シズク自身も、しぼんで、ひと回り小さくなっているようだ。次第にひからび、夜の中に溶けていく。



「くそッ!」


 と、僕は腿を殴りつけた。


 自分が不甲斐なかった。こんな結末になったことが悔しかった。


 ほかの結末はなかったのか。どうにかならなかったのか。



『妖魔のことや、それ以外の、普通の人間が感知しえない、この世ならざる働きについても。すべて、この自然の中でつながっている』


 なぜか高木先生の、その言葉がふと思い返された。


『素直でいるということは、自然に身をゆだねるということだ……』


 そんなことを、高木先生は言っていた。


 自然の中で、すべてがつながっている。


 ――たしかに、そうなのかもしれない。


 人間も、妖魔も。形のあるものも、形のないものも。


 自然の中で環流してゆく。


 なんとなくは、わかる。


 ――いや、それよりもなぜ、そんなことを思いだす?


 高木先生が空を指さす。そんなイメージが浮かぶ。


 空には雲が浮かび、形を変えながらゆったりと流れている。


『そうだね。せっかくだから勉強もかねて、変わったものでも、見せてやろう』


 なんだっけ、あれは。


『そうさ。こいつは、わたしが昔に戦った妖魔だ』


 そうか。ビンの中の妖魔。小さな蠅の妖魔。


 なにかが、僕の中で形をなそうとしている。――そんな感じがする。


 小さな蠅の妖魔。高木先生と戦った、巨大だった蠅の妖魔。


 ――すべてが、自然の中で形を変えながら。


 そうか。


 人間の命も、草木の命も。そして…………。




 僕は目を見開いた。


 そして、薄れてしぼんでゆくシズクの体を見た。


 泣きくずれる桂木さんを引っぺがし、僕はシズクの顔をのぞきこんだ。


 それから目を閉じて、両手でシズクの顔を、そっと包む。


 ――高木先生。教えてください。


 妖魔の姿を。そのありかたを変える。


 あなたはそれをやった。


 どうやって? 僕にできるんですか?


 高木先生。お願いです。


 僕は今、心から、素直に、シズクを救いたい。


 大いなる自然の中で。宇宙の中で。


 あらゆる命が円となって巡るのならば。


 この哀れなシズクの命も。


 仮に妖魔であったとしても。


 それが命と呼べるのならば。




「今ひとたびの、命の形をーッ!」


 気がつくと、僕はそう高らかに声を上げていた。






 まるで長い夢でも見ていたようだった。あたりはやはり、夜の公園だ。


 シズクの姿は消えていた。


 振り返ると、呆然と座り込んだ桂木さんの顔が見えた。


 僕はいったい、なにをやっていたのだろうか。シズクは消えてしまった。


「すみません。なにも、できなかった……です」


 そう言って、また僕は桂木さんの顔を見た。


 桂木さんは僕の頭上に目を向けて、口を開けていた。


「キキッ」


 と、甲高い声が聞こえて――僕はぐるりと首をひねって、空を見上げた。


 そこには、小さなコウモリの姿があった。


 桂木さんの、うわずった声がした。


「シ、シズクさんが、光とともに。……コウモリになって」


 コウモリはぱたぱたと翼をはためかせ、ぐるりと僕らの頭上を周ると、「キキッ」ともう一度鳴いて、ベンチの上に飛んでいった。


 そのとき、ぱっと光を放ったかと思うと、そこに、夢魔――シズクの姿が現れた。


 僕は唖然として、絶句した。


 シズクはベンチの上で片膝を抱え、じっと桂木さんを見ていた。


 そして、その口元が動いて、


「ありがと」


 そんな声が聞こえた気がした。


 しかし、また再び光がまたたいて、シズクの姿が消えた。


 代わりにまた、コウモリの姿が見えた。――厳密には、コウモリの形をした妖魔だが。


 コウモリはぱたぱたと飛んで、今度は桂木さんの頭上のあたりの街灯にぶらさがった。


 するとまた、「キキッ」と鳴いた。


 黒が近づいてきて、


「よくわからんが、翠。おまえ、とんでもねえ術に、開眼かいがんしたみてえだな」

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