15. 言わなきゃ

 翌日の月曜日。放課後に桂木さんと会うことになっていた。


 僕はブレザーにいまだに慣れず、まわりのテンションにもなじめず、じっと席に座っていた。


 共学だったが、彼女どころか、男友達もほとんどいなかった。


 昼休み、僕は購買で調達した、しなびた焼きそばパンをかじる。焼きそばパン……こんなものでも一番人気だ。周りからは雑談が聞こえてくる。



 ――でさ、その病院にバケモンが出るんだって!


 あー、仕事を増やさないでほしい。



 ――あいつマナと付き合ってるらしいぜ。


 あー、人間の恋愛はシンプルでいいよな。



 ――体育、次は三十分マラソンだぜー、だりい。


 あー、高木先生には二時間半、小突かれながら走らされたなー。



 そんな感じでみんなの会話に心の中でつっこみを入れながら、焼きそばパンとカレーパンを食べ終えた。


 それから体育館の隅で、陸上部員の横で腹筋と腕立てと腿上げをした。一日で合わせて百回はやらないと、心の中の高木先生に叱られる。



 そうしながらも、ずっとシズクのことが心の中にあった。


『長い、長い、夜の先に。あかりを、見つけたみたいで……』


 そう言ったシズクの、伏せたまつ毛の悲しさが忘れられない。


 妖魔は僕らとは違う。


 だとしたら、妖魔とは、なんなのだろう。


 シズクに救いはあるのだろうか。桂木さんと出会い、狩りをやめて、傷ついて、衰弱してゆく妖魔。そんなシズクに。


 いや、妖魔への同情自体が、バカげているのだろうか。




 夜の六時過ぎ、桂木さんのアパートの近くにやってきた。


 夕暮れの住宅街には、仕事帰りの人々がそぞろ歩く。顔には汗と、安堵の表情を浮かべて。


 地面には昼間の熱気が染み込み、空気は生暖かい。夕飯のにおいがそこかしこから漂ってくる。


 しばらく待っていると、駅のほうからスーツ姿の短髪の男性――桂木さんがやってきた。


「あ、橘花さん、おひさしぶりです!」


 そう言って、桂木さんは右手を軽く上げた。


 僕はおじぎをして、


「おひさしぶりです」

「お待たせしました。……それで、きょうは話したいことがあるって」

「は、はい。そうなんです」

「そうか、それじゃ、近くの喫茶店にでも、入りましょうか。いいところがあるんです」


 入ったのは、古びた裏通りのビルの一階にある喫茶店だった。外観の割に内装はきれいで、よくニスの塗られた木のカウンターが印象的だった。白髪混じりの無口な男性店主ひとりの店だった。


 席は窓際のテーブル。僕はアイスカフェオレを、桂木さんはアイスコーヒーを頼んだ。


 なかなか口火を切れず、本題に入る前にアイスカフェオレがきた。僕はそれで唇を湿らせると、やっと喋れそうな気がしてきた。


「僕は、おととい、夢魔と戦いました」


 ちょうど店主が桂木さんのアイスコーヒーを持ってきたが、まるでなにも聞かなかったように、カウンターの向こうに戻っていった。


 桂木さんはアイスコーヒーには手を付けず、


「え、なに? 夢魔? やっぱり……。夢魔だったんですね。やってきていたのは……」

「は、はい。そうです」

「それにしても、どうやって、夢魔を探し当てたんです?」

「僕は桂木さんに聞いた店とかを、見て回ったんです。そこで、ある店から、妖気を感じて……」

「妖気? そこに、夢魔がいたってことですか?」

「はい。そうなんです。……それで、桂木さん。あなたは、ナイトティアーズってコンカフェに、通ってましたね?」


 すると桂木さんは照れるように頭を掻いて、


「あ、まあ、はい。そうですね」

「それで、あなたは、シズク……さんと、親しくしていた。そういうことですね?」

「そうです、はい。お恥ずかしい……。まあいろいろありまして。もう二十回とかは行ったかな。いや、もっとかな。でも、それが、夢魔とどう関係があるんですか?」


 そこで僕はアイスカフェオレのグラスを掴み、ストローをくわえ、カフェオレを吸い込む。冷たいほろ苦さが舌に広がる。そう、現実なんてものはたいてい、冷たくほろ苦い。


 言わなきゃ。言うんだ。僕は覚悟を決めて、


「シズクさんは、夢魔だったんです」


 桂木さんはきょとんとして、


「え、ああ、はい。夢魔、って言うか、サキュバスですよね。フフ、似合ってたなあ」

「違うんです」

「違う?」

「はい。シズクは、人間じゃないんです。いわば、人間のコスプレをした、サキュバスなんですよ」


 そこで桂木さんはアイスコーヒーを軽く吹き出して、むせはじめた。


「ちょ……。ちょっと。どういうことですか?」

「僕はあの店に行って、シズクを、あのチェキ撮影で召喚したんです。そのとき、確信しました。あの体を包む妖気。気配。それは、あの夜に出会った、夢魔だって……。夢魔が、サキュバスのコスプレをしているんだって」


 愕然とする桂木さんに、僕は夜の公園での戦いについても話をした。しかし桂木さんは、納得できないようだった。


「こうなったら、行ってみよう! ナイトティアーズに。今日は、出勤のはずだから……」


 そうして僕らは喫茶店を出て、駅に向かった。





「おかえり! よくきたな! ナイトティアーズに!」


 その声にびくりと肩を震わせて、僕は立ち止まった。


 出迎えたのは魔女のライムだった。赤いとんがり帽子とクロークが、あまりにビビッドに、視界に飛び込んできた。

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