13. わたしが見つけた灯り


   ✴︎    ✴︎


 わたしは長く生きてきた。


 まだ夜が深く暗いころから。


 人間のことを学び、生活に入り込み、密かに生きてきたの。


 百年をゆうに超えて生きると、そうね。


 戸籍や、身分証明みたいなものも、手に入れる方法がわかる。いつの時代も、金と色香、そのどちらかで、たいていなんとかなるものさ。


 そうしてわたしは、人間の暮らしの中に潜み、男を刈り取り、精気を吸って生きてきた。


 それは、そんなに大変なことじゃない。


 翠……。あんたたちみたいな、狩人かりうどにだけ、気をつけていればね。



 いくらか同じ種族のやつとも出会ったよ。


 やつらは、夢魔と呼ばれたり、天女と呼ばれたり、山姥と呼ばれたり。そのときの姿や時代によって、いろんな呼ばれ方をした。妖怪とも、物の怪とも呼ばれた。まあ、なんだっていい。わたしは、わたしだから。



 それで、わたしはね、翠。


 蛇みたいに、待ち伏せる方法を好んだ。


 昔なら、娼館や、茶屋や、芝居小屋だの。


 いまでも似たところがあるね。


 けれど、どうもね。


 ああいうの店にくる男は、魂の味にクセがあるんだ。……わからないと思うけど。


 だからわたしは、もうすこしマシなところを探した。


 少しでも、澄んだ魂をおびき寄せる方法を求めた。



 笑えるかもねえ。……翠。


 わたしはあの、変わったカフェみたいなやつに目をつけた。


 知ってるさ。西洋ではわたしみたいな、闇に生まれた夢魔の存在は、サキュバスと呼ばれる。


 そいつに化けてみるっていうのも、いいんじゃないかって。


 ねえ、悪くないだろう?


 それで、結果も悪くなかった。月に二人ほどを抱いた。


 どいつも昼間は、死人みたいな顔してさあ。


 一方でやつらの果てるときの顔は、そりゃもう、うらやましいくらい、恍惚としている。


 そう、やつらは、夢の中で果てた。


 それって、死人のように生きて、人生にすり潰されるよりは、幸福だろう?


 快楽の中で、このわたしの、黄金の夢の中で果てるのさ。


 ――おっと、そんな目をしないで。


 わたしは、そんなふうに造られたんだよ。


 きっと、あんたたちが好きな、あいつらに。


 そう、神さま、仏さま。そんな存在に、わたしは魔性として造られた。


 あんたたちは、自分の運命をすぐに委ねるねえ。


 神さま仏さま。運命ですね。許してください。導いてください。


 アハハッ。


 わたしには神も仏もない。夜と欲望だけさ。



 ――で、桂木信也。


 あの人は、会社の同僚とやってきたよ。


 あんまり遊びなれていない感じだったけど、何度も来たよ。わたしを、呼んでくれた。


 あの人をしばらく獲物にしなかったのは、たんに、わたしの気まぐれだったのかもしれない。



 ある日の帰り、わたしはあの店のエレベーターを降りて、駅に向かっていった。


 そのとき、道の途中の路地で、二人、男が寄ってきたんだ。


 スキンヘッドに刺青をしたやつと、金髪のやつ。


 わたしのこの魅力には、歯止めが効かないというわけ。


 その男どもは「遊ぼうぜ」って。


 わたしは少し腹が減っていた。目の前のやつらの魂は、どんな舌ざわりなんだろうって。


 スキンヘッドがわたしの手を引いて、車に引っ張りこもうとした。黒い大きな車。そこを自分たちの棺桶にするつもりらしかった。結構なことさ。


 わたしは眉を寄せて、「いやです、やめて……」なんて可愛く言ったよ。そうしたほうが、やつらは喜ぶからねえ。



 そのとき、なにかが飛びかかってきた。


 とつぜん現れた、そのスーツ姿の男は、スキンヘッドのやつを突き飛ばし、わたしに言った。


「シズクさんですね? 大丈夫ですか?」


 そのあと、そのスーツ男は、ボコボコにされたよ。バカなやつ。


 そのうち警察がやってきて、止められたけれど。



 わたしは、スーツ男の顔に見憶えがあったんだ。


 でも、誰かはわからなかった。


「シズクさん、俺、桂木信也って言って。あの、コンカフェの。ナイトティアーズに、今日も行ったんですよ」


 そう言って、スーツ男――信也は青あざだらけの顔を、見てください、って感じで差し出してきた。もっとも、とても見られたものじゃなかった。



 ……ねえ、翠。


 笑いって、いろいろあるねえ。


 あいそ笑い。あざけりの笑い。勝利の笑い。


 わたしは、いろんな笑いを見てきたし、わたしも、たまに利用してきた。


 ――でも、そのとき。


 わたしは、そのどれとも違う感じで、笑ったんだ。


 なにか、腹の底がさ、震えてきておかしくって。


 あんな気持ちは、はじめてだった……。


 それからも信也は、あの不思議な気持ちを、店でわたしにくれた。


 そう、そんな男は、はじめてだった。



 わたしは信也のにおいを、憶えた。


 魂のにおいを。


 店で会うだけじゃ、気が済まなくなってきて。


 だから、その魂のにおいをたよりに、信也を探した。


 夜を飛んで、星をたどって。


 そうして、やっと見つけることができたの。


 でも、眠っている信也には、触れるだけ。


 ――抱きはしない。


 だって、それをしてしまったら、もう二度と、触れることができなくなる。会うことができなくなる。


 あの不思議な気持ちが、なくなってしまう。


 そうだろう?



 翠……。


 心から、笑うのってさ。


 気味が悪いね。


 人間を騙すためでもない。侮蔑するためでもない。


 なんだろね、あれは。



 そうか。


 ……あったかいって。


 あのとき、そう思ったんだ。


 あったかい。わたしは、そう思った。


 ああ、人間たちはもしかして、これを、求めていたのかなってさ……。


 わたしは、その気持ちを、食べてきたんだなって。



 暗かった。



 長い、長い、夜の先に。


 あかりを、見つけたみたいで……。


   ✴︎    ✴︎

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