10. 追跡と疑念

 地下鉄の中では、少し離れたところからずっとシズクを見ていた。


 シズクはうつむきかげんに吊り革へつかまって、ときおりスマートフォンを見たり、黒い車窓を見て髪を直したりした。


 四駅目にシズクは電車を降りた。


 慣れない探偵まがいの尾行だったが、シズクは振り返ってこなかったし、不自然な様子も見せなかった。その体を覆う妖気さえなかったら、人間となんら変わらない。それに、周りの人間たちもまったく違和感を抱いていない様子だった。


 ともすれば、僕はとんでもない勘違いをしているのではないか、とすら思えるほどだった。――妖魔だと思って、人間を標的にしてしまう、という意味で。


 シズクは地下鉄を出て地上に出ると、しばらく歩いた。やがて住宅地の暗い道にたどりついた。じっとりとした夏の夜風が首すじや腕に触れて通りすぎてゆく。生ごみのにおいが漂ってきた。


 僕はシズクへの距離を詰めはじめた。


 周囲には乏しい街灯がともっていた。薄暗いひとけのない細い路地だ。


 となりを歩く黒を見ると、いちど、強くうなずいた。その目は『やれ』と言っていた。


 僕は息を呑み、ウェストポートを開いて、左手に霜月を掴む。


 前方のシズクを通り越して、その斜め前に立つ。足を止めたシズクに、僕は言った。


「すみません、あの」


 ――これは、最後の確認だ。


 人間に化けた妖魔と戦うときは、万一の間違いを防ぐため、こちらから仕掛けることはめったにない。当然、背中からぐさり、なんてのはもってのほかだ。


 シズクはうろたえるように、


「な、なんですか? いきなり……。あ、さっきの、お客さんですか? え? もしかして、追ってきたんですか……」


 僕は霜月を持った左手を背後に隠しながら、


「そうです。そこは、気味の悪い思いをさせてしまい、すみません」


 そんな小芝居をしながら、シズクの表情や仕草を観察した。シズクは怪訝そうな声で、


「え、怖い……。それで、なんなの?」

「すみません。実は僕は、退魔師なんです。僕らは妖魔と呼ぶんですが。妖怪とか、怪異とか、そんなやつらを退治する仕事をしているんです」

「え、ほんとに? ……聞いたことはあるけど。でも、お化け? とか。そういうのはちょっと、あんまり信じてなくてね」

「ありがとうございます。そういう方も多いですよ。それでですね。ちょっとだけ、確認したいんです。それだけなんです」

「確認?」


 と、シズクは首をかしげる。


「はい。手を、出してくれませんか? 手を触らせていただきたくて。……そうすれば、確認できるんです」

「手を? え、ちょっとやだ。なんで? わたしがその、妖魔ってこと? バカみたい」

「ですよね、ほんと、すみません。でも、それだけ確認したら、すぐに消えますので。ね、ちょっとだけなんです」

「なんでそんなのに、付き合わなくちゃいけないの?」


 シズクは不機嫌そうに言って、歩き出した。


 ――その体からは、間違いなく妖気が渦巻いているように見えた。九割型は間違いない。けれど、『やる』には絶対的な確信が必要だ。


 僕はシズクへと手を伸ばした。


「え、ちょっと。やだ! け、警察を呼ぶよ!」


 そう言ってシズクは眉を歪ませて、手を引っ込めた。香水の匂いがふわりと漂ってきた。


 そこにきて僕は、とたんに不安に襲われた。もしかしたら、勘違いだったのか。もし勘違いだったら、よくして不審者扱い。悪くすれば痴漢扱いだ。


 そんな迷いを感じて、ふと黒を見た。


 すると、黒は声を荒げた。


「バカヤロー! 隙を見せるなッ!」


 そのとき、視界の端に黒い影が見えた。とっさに振り向くと黒い刃が襲いかかってきた。――それは、刃のような鋭い爪だった。

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