7. シズクを召喚

 二階のエレベーターを降りると、目の前に黒いドアがあり、ドアにはデフォルメされた魔女のイラストとともに、『Night tears』と書かれていた。


 店の前に立つと、よりはっきりと店から妖魔の気配が漂ってくるのがわかる。薄墨のような黒いもやが漂ってきて、焦げ臭いにおいを放ち、体にまとわりついてくる感じ……。僕は黒に尋ねた。


「どう? いる感じするよね?」


 黒は目を細めて集中している様子だった。基本の三術のひとつ、『観気ノ術かんきのじゅつ』に入っているのだろう。やがて黒は口を開いて、


「ああ。たしかに、なにかがあるな」

「だよね。……そうなんだ。桂木さんが立ち寄った場所の中で、特にこの店から、妖魔の気配がするみたいで」

「なるほどな」

「桂木さんは同僚に誘われて、何回か通ったって言ってた。それに、この感じだと、やっぱり店の中にいると思う……」


 そうして僕は、ウェストポーチに手を当て、霜月の重さを確認した。まさか店の中で戦うことはないだろうが、無意識にそうしてしまった。


「ところでさ」


 と、僕は黒に声をかけた。


「黒は、こういうところ、きたことあるの?」


 黒は戸惑った様子で、


「いや、ない……」

「だよね……。未成年は、入れるのかな……。いまさらながら」

「ああ。店にもよるみたいだけど。ホームページには、ダメなんて書いてなかったぜ」

「そっか……」

「とにかく、入らなきゃ仕方がないぞ」

「わかってるよ。うん……」


 僕はそう言って、禁断の扉を開く気分で目の前の黒いドアを引いた。


 ドアベルの音とともに、店内の光景が見渡せた。ぱっとみた感じは、シックな感じのカフェのようだ。テーブルは八卓あり、半分くらいが埋まっていた。奥には小さなステージが見えた。


 入り口正面の壁には、さまざまなコスプレをした女性の写真と紹介が張り出されていた。


 魔女、ミイラ娘、キョンシー娘、悪魔っ娘など……。それから『サキュバス』らしき写真もあった。


 その写真の下には『サキュバスのシズクだよ。アナタの精気を吸わせてね❤︎』なんて書かれていた。


 黒は言った。


「夢魔、って言うか、サキュバスがいるな……。この、シズクってやつ」


 僕はそれにうなずいて、


「うん。でも実際は、標的としている夢魔かはわからないね。だいいち、この写真の中にいるのかどうかも……」


 そのとき、急に女性の声がした。


「よくきたな! ようこそ、ナイトティアーズに!」


 僕はその声にびくりとして、そちらを見た。そこには、赤いクロークに赤いとんがり帽子をかぶった『魔女』がいた。写真の下に書かれていた名前は『ライム』だった。ウェーブのかかった茶髪が、帽子からのぞいていた。


 僕がなにも言えず硬直していると、魔女――ライムは続けた。


「こっちにくるがいい!」


 とクロークをばさり、とひるがえして、空いているテーブルに向かった。


 黒はぽつりと言った。


「しゃべり方が、どことなく、あれだよな。高木先生? みたいな……」

「うん。高木先生が、さらに口調が強くなった感じだよね」

「そうなんだ。それが気になって」


 僕らが席に座ると、ライムはメニューを広げて、


「これがメニューだ。決まったら言うがいい。ゆっくりしていけ! それではッ」


 と、ライムはクロークをひるがえすと、コツコツとヒールを鳴らして去っていった。



 メニューにはモンスターのイラストとともに、さまざまな料理の写真があった。


 『魔女のきのこカレー』、『生贄いけにえ豚のポークソテー』、『血塗られたいちごパンケーキ』。


 それにドリンクも似たようなノリだった。



 やがてまたライムがやってきて、


「望みの品を言うがいい!」

「は、はい。あの、僕は『罪深きジンジャーエール』で」

「よろしい!」


 そこで黒は、「えーと。コーヒーで」


 するとライムはじろりと黒を見て、


「きちんと全部唱えなさい」


 黒はぎょっとした表情をしてから、


「あー、『深淵の暗きブレンドコーヒー』で……」


 ライムはにやりと笑い、


「よろしい!」


 そう言って奥に歩いていった。


 黒は「あいつは高木先生よりタチが悪い」とぼやいた。



 しばらくすると、『罪深きジンジャーエール』と『深淵の暗きブレンドコーヒー』がきた。


 それに口をつけて、あらためて店内を見渡した。キャストが何人かいたが、妖魔の気配を感じさせる人はいなかった。


 一方で、店の奥のほうから、黒いもやが漂ってくる感じがあった。


 そのとき、メニューを見ていた黒が、「これ、どうだ?」と言った。そこには、オプションのメニューが書かれていた。


 『あっちむいてホイ』、『魔物召喚チェキ撮影』、『魔物の歌声(カラオケ)』。


「おい、これって」


 と、黒は『魔物召喚チェキ撮影』を指さした。


「サキュバスのシズクを召喚してみようぜ」

「たしかに。いいかも……。よし」


 そうして僕は、テーブルの近くにいた猫娘に声をかけた。


「どうしたニャン?」


 と言う猫娘は、ふかふかの白い猫耳をつけていた。白いメイド服に、ちょこん、と尻尾しっぽが垂れていた。目はぱっちりして、ラメの光が輝く。吸い込まれそうな桃色の唇に、僕は見とれた。


「なにか注文ニャン?」


 そこで黒の声がした。


「おい、なんか言えって。なに照れてんだよ」


 僕は心の中で『照れるに決まってるだろ。メチャクチャかわいいだろ!』と思いながら、


「あの、魔物召喚チェキを……」

「わかったニャン! ありがとっ! だれを召喚するのかニャン?」


 僕は思わず、『目の前にいるよ!』と言いそうになった。しかし、その気持ちをこらえて、


「サキュバスの、シズクさんを……」


 すると猫娘はいきおいよくうなずいて、


「まかせてニャン!」

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