2. 退魔術の極意
その日は夢魔について調べながら、部屋の掃除や瞑想をしてすごした。なにせ、ついに試練が言い渡された日で、なかなか落ち着かなかった。
まずは、黒に相談しようと思っていた。
午後四時すぎに、近くのスーパーへ買い物に行った。家に帰ってくると黒がいた。
玄関へ入ってすぐキッチンがあり、その先の右手奥にリビングがあった。左側の手前に黒の部屋、奥に僕の部屋があった。
黒はリビングのソファに座り、犬の親子のドキュメンタリー番組を観ながら、『伝承と怪異』という本を読んでいた。
「器用なことしてるね。犬とオカルト本の二刀流って」
と僕が言うと、黒は顔を上げた。
「ん、ああ。
「別腹? オカルトはデザートってこと?」
「いや、逆だろ」
そう言って、黒はテレビに顔を向けた。ちょうど、白い仔犬が親犬に駆け寄ったところだ。
そこでふと、僕は尋ねた。
「僕の、父さんと母さんって、どんな人なんだろね」
黒はちらりと僕を見て、
「ああ。律儀で、優しい人たちだよ。まあ、おまえもわかってるだろうが。詳しくは言えない」
「そっか。そうだよね。黒も、掟にしばられた、退魔師だしね」
その僕のセリフには、棘があった。
昼間に見つけた、ビニールテープに巻かれた霊刀。退魔師の仕事をしているのかもわからない、黒の現状。そんな触れがたいところに、僕は切り込んでいったのだ。
黒はふと遠い目をして、視線をテレビの画面に向けた。親犬が顔をひきつらせて、懸命に吠えている。
「両親に、逢いたいか?」
黒はどこか、話をはぐらかしたようだった。それでも僕は答えた。
「どうだろね。試練を終えて一人前になるのが、いまは重要だと思ってるよ」
そうは言ったものの、僕は素直になれていなかった。
逢いたい。父さんと母さんに。
いったいどんな人たちなんだろう。どこに住んでいるのだろう。村の中か。東京か、別の場所か。
「素直でいることだ」と、高木先生はよく言った。
そうすれば、いつか両親に逢えるのだと。強くなれるのだと。
そのことを、はじめてしっかりと教えてくれたのは、僕が中学生になったばかりのころ。ある春の日のことだった。
いかにも田舎じみた、一戸建ての平屋に高木先生と僕は住んでいた。
その日、僕は窓を開け放った縁側で瞑想をした。
小さな庭には植樹した松と、石灯籠が置かれていた。鳥の餌台には、ときおりメジロなどがやってきた。風音と鳥の声の中で、僕は坐禅を組んで目を閉じた。
すると、高木先生のよく通る声がした。
「いいかい、翠。瞑想の中では、自分の行動を振り返るんだよ」
僕は少し考えたが、どうしたらいいのかわからなかった。だから目を開けて高木先生を見上げた。白いジャージに、いつものひっつめ髪が太陽に照らされていた。
「あの。振り返るって、どうやるんですか?」
すると、高木先生は深くうなずいて、
「目を閉じて、昨日や今日の、自分の行いを思い出すんだ。そうすれば、あれはよかったな、とか。あれはだめだったな、とか。そういう気持ちがわいてくる。だろう?」
「は、はい」
「それを、しっかりと憶えておいて、次はそうしないようにする。そして、後悔が少なくなってくると……」
「はい。少なくなると? どうなるんですか?」
すると、なぜか高木先生は勝ち誇ったように、
「ちょっと、気持ちよく生きられる」
僕はがっかりして言った。
「えー。なにか、退魔術の必殺技とかを使える、とかはないんですか?」
そこで高木先生は驚いたように、
「ほう、よくわかったね。それが極意なんだ。退魔術の極意は、素直でいること」
不満げな僕を見て、高木先生は続けた。
「妖魔のことや、それ以外の、普通の人間が感知しえない、この世ならざる働きについても。すべて、この自然の中でつながっている」
そう言って高木先生は庭を、それから遠い山を、空を順番に指さした。
「素直でいるということは、自然に身をゆだねるということだ。退魔術は、退魔師ではなく、自然がおこなうもの。……その媒体として、わたしたち退魔師は、体を捧げている」
僕はうなずいたものの、やはりよくわからなかった。わかりそうで、どうしても理解できなかった。
「わからなくて当然だ」と、高木先生は言った。
「それを知るために、翠。おまえは学んでいるんだからね。続けなさい。そうすれば、少しずつ、わかるようになる」
「は、はい。やってみます」
そう答えて、僕はまた目を閉じた。
「それでよし」
と、高木先生は満足そうに言った。
鳥の声が庭を横切った。
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