[二人は愛のために生きているから]

 すめらみくに。ヴィルヘルム皇国は事実上の王を皇国の首とするが、実権は評議会のものが握っている。平和を好む王だとされているが、実際は人種差別の撤廃や貧富の差の収縮に手をつけていない。自国に興味を抱かない国民性は、王の計算そのものだった。

 そんな国の情勢に絡まれたヒバリとレティシア。二人は、今日目的としていた〈ルシャール〉に到着した。

 一晩経過し、昼過ぎに拠点の基地に車を駐車する。拠点の先、国境付近には有刺鉄線が張られ、白塗りの外壁は皇国の威光を示していた。

「やっと着いたぁ」

 身体を仰け反らせ脱力するロトをヒバリは一瞥すると、

「ごめん長かったね」

「ううん、そんなことないよ。これでレティシア姉さんが良くなるんでしょ?」

 本当に良くなるかわからないけれど──そんな言葉はおくびにも出さないで、ヒバリは笑った。

「緊張してる?」

 顔を伏せていたレティシアにそう声をかける。

「ちょっとね」

 じゃあ行こう、と声をかけて基地に入った。

 エアコンの効いた冷たい風が頬を撫でる。雰囲気は本部に比べて幾分か緩んだ感じで、廊下から軍人の笑い話が微かに聞こえてくる。

「どうぞ」

 受付にいた女性軍人は制帽の下から愛らしい表情を覗かせて、案内を始めた。

「お目にかかれて光栄です、レティシア准尉」

「えっ? ええ? はい……誰ですか?」

「名乗るほどの者ではございませんが、自分はクロエ三等曹長です」

「へ、へえ……よろしくお願いします」

 忘れてしまった。全く知らない文化にレティシアはきょどる。

(本来なら、レティシアは卒なくこなせるんだよなあ)

 ただの一般人であるレティシアはこれで見納めか、とヒバリは思った。

「中で、研究員の方がお待ちしています」

 限りないスペースに色々な部屋が並んでいる。物々しい部屋名は、馴染んでいない者には恐れを抱かせた。

 クロエはタッチ式のキーでロックを解除して、御目通りを叶えた。

「はじめましてレティシア准尉。〈ルシャール〉で研究員をしております、リーと申します」

 手を差し出され、レティシアはその手を握った。リーは目を覆うほどの前髪が似合う女研究員だ。

「早速、ここにいらっしゃられた用件を済ませましょうか……?」

 リーは仕事が出来るタイプのようだ。今さっき到着した集団に一息つかせる気配りはするものの、自分の職務を早く全うし面倒くさい仕事からは逃げない人柄のようだ。

「善は急げ、です。お願いします」

 過去と戦うと決めたあの日からの待望の瞬間はあと少しで訪れる。

 〈ルシャール〉の研究室は、本部のよりだいぶ広く見えた。本部の研究室は、奥に部屋がいくつかあるが、ここは大部屋に全てが詰まっている。

 視界の前方に位置するのは、ヘッドレストの周りに電脳が設置された大きな椅子だ。

「ヒバリくん、じゃあね」

 リーに手引きされて、レティシアは行ってしまった。

 ヘッドレストに頭をはめると、何度か質問を受けていたようだった。その周りを同じく白衣を着た研究員が作業する。リーは電子キーボードを打ちつけた。

 一人の若い研究員が、左奥の棚から何かを取り出した。それは文庫本ほどの厚さのケースに入っており、リーはそこからチップを抜き出した。

 チップはレティシアから右側のヘッドレストに挿入されていく。

 その準備をロトとヒバリは固唾を飲んで見守った。

 ヘッドレストの上から、ヘルメットのようなものが降りてくる。それはレティシアの目元まで覆う。

「準備ができました。申し訳ないですが、ご退室願えますか? 機密情報ですので」

 ロヴェインの姿はいつの間にか無く、二人は見守れない虚しさを抱えながら退室した。

 ロトとヒバリは廊下に備え付けられた長椅子に腰掛けた。扉一枚に遮られた空間にレティシアがいると思うと、ヒバリは緊急手術室の状況と重ねてしまう。実際そうなったことはないのだが。

 十分ぐらいだろうか。実際の時間はヒバリにはわからない。三十分か、それ以上待たされた気もする。

 シュッ、と扉が開き、リーが出てきた。

「どうですか」

 聞きたくないけれど、心の準備をするには自分から訊いた方が、心構えが出来るというものだ。

「安心してください。成功しました。ただ、」

 成功という言葉に胸を撫で下ろす。が、リーは油断させないよう不穏な声でもって言葉を継いだ。

「レティシア准尉は、今無意識の狭間で戦っておられます。ご家族の方には、レティシア准尉の言動が本意ではないことを気に留めておいてください」

「それは、つまり──」

「以前、スミノフ室長が説明された内容と一緒です。記憶、すなわち人二つの人格を競合させ、一つの人格に成立させる。このために、准尉は激しい頭痛と恐怖と困惑に耐えなければなりません。一種の恐慌状態に陥るはずです」

「なるほど」

 ヒバリは再び覚悟を決める。本質は変わらない。レティシアを愛し抜き、支えるだけだ。

「こちらへどうぞ」

 レティシアに近づくことを許可される。未だヘルメットを外していないレティシアは、どうやら眠っているようだ。

「この装置を外せば、准尉は目覚めます。よろしいですね?」

 ヒバリは頷く。リーが電子キーボードを叩いて、作動音と共にヘルメットは上がっていく。

 一瞬の沈黙の後、レティシアの呼吸音が聞こえた。

「う、うああああああ」

 レティシアが発狂する。目を開けない。リーの言った通り、レティシアは無意識の中で戦っているのか。

 レティシアの叫喚は続いた。苦しみや、怒り、殺意、綯い交ぜになった声質はヒバリの良心を刺激する。

「くうッ! ああああああああ」

 レティシアが目をぱちりと開けると──、ヒバリに目掛けて襲いかかった。ヒバリはレティシアの力にいとも簡単に押し倒され、体を強く打ちつける。

「ティア! レティシア!」

 ヒバリは痛みに堪えながら、名前を呼んだ。レティシアの意識は応えない。

 レティシアはヒバリの上に乗り、拘束した。ヒバリは歯を食いしばり耐えるも、肺が押され息が漏れる。

 レティシアは流れる動作で、ヒバリの頭上に指を構えた。それは、夜半に襲撃に遭った時のあの──、レティシアが人を殺す存在たらしめる動作だった。

 銃身である人差し指は伸びている。引き金の条件である発声は、うううと獣のように唸っていることで なんとか免ていた。

 リーは、最悪のケースとしてそれを予見していた。皇国の軍事状況としてヒバリが死のうと関係はない。しかし、自爆をされてしまうと自分の生命ひいては要である皇国の軍事力がひとつ潰れてしまう。それは避けねばならぬことであり、そうでない現状ではリーは静観していた。

 ロトはさっきからずっと叫んでいる。しかし、ヒバリとレティシアには最初から届いていない。

 レティシアの人差し指とヒバリの額の距離が縮んでいく。そんな時、ヒバリは辛うじて残っていた力で、そっとレティシアの左頬を撫でた。

「……レティシア──」

 ヒバリの熱が、莫大なエネルギーを持つレティシアに触れる。レティシアの頬は激情で熱くなっていた。しかしそれ以上に、自分以外への生命に対する恐怖で怯えていた。

 ヒバリの微かな温かさが、じっとレティシアに遷移した。

 レティシアの根幹でもあるヒバリに触れられた──何度も何度も触れられた記憶が刺激して、活動を止めた。

 懸命な抵抗に反して、事が切れるのは一瞬だった。

 レティシアがヒバリ目掛けて倒れてくる。ヒバリはレティシアを抱きしめた。

「もう大丈夫だ」

 リーが言った。

「はあ、はあ……」

 ヒバリは肩で息をしている。満足に膨らむ事が出来るようになった肺が目一杯に酸素を取り込もうとしていた。

「なにが、大丈夫だ……! 全てわかっていたでしょう」

 リーはとぼけるでもなく、

「ええ、わかっていましたよ。予想ぐらいは出来ます。だから最初に説明したじゃないですか」

「あそこまでとは、思わないじゃないですか……!」

 ロトがレティシアの肩を持って介抱する。自分の声が届かないことに、虚しさを感じた。やるせなさから、ロトの瞳は涙で滲んだ。

 ヒバリとロトはレティシアをなんとか椅子に座らせた。

「レティシア准尉が起きましたら、状況によって判断してください。続けるのか、続けないのか。ま、一度知ってしまったら先も知りたくなるのが人の性でしょうけど」

 ヒバリは言葉が出なかった。

(全てはティアが決めることだ。しかし、その先に何を望めと? 過去を知るため? 俺はもういい)

 ふと、ヒバリはロトを見やった。まだ心配そうに、レティシアの顔を覗いている。

(ロトがいる。過去より未来を作っていくべきなんじゃないか? それがロトの為でもあるはずだろうに)

 レティシア、とヒバリは呟いた。紛れもなく、ヒバリの心から漏れ出た声だった。

 それに呼応するように、レティシアが目を覚ます。人知れず過去と戦っていたのが一目瞭然だったほど、顔色は憔悴しきっていた。

 今何があったのかわかっていないようで、ぼんやりと正面にいるロトを見ていた。もしかしたらロトをロトだと判別すらしていないかもしれない。それほどまでに、魂の抜けたレティシアが居た。

「レティシア姉さん」

 ロトがまず声を掛けた。こく、と僅かに顔が動いた。

「ヒバリ」

 ロトが呼ぶ。

「ティア。大丈夫か?」

 氷が溶けていくように、レティシアの意識は覚醒していく。表層が打ち解けて、視線が合った。

「ヒバリくん? なんでここに。戦場だよ? ここ」

 やはり記憶の混濁が起きているようだった。

「戦争は、終わったよ」

 諭す口調でヒバリは言った。言い終わった後、ヒバリに後悔の念が浮かんだ。レティシアを悲しみの底から掬いあげるという行為は、自分の弱さが浮き彫りになった気がしたからだ。

 ぴく、とレティシアは反応したが何も言わない。

 リーがなにやら右手の時計デバイスを見て言った。それは小型の通信デバイスになっていた。

「レティシア准尉。カトライエ二尉がお見えになるそうです」

「──⁉︎ 今ここに? リーさん」

 レティシアは既にリーと面識があったようだ。そして、これから来るというカトライエ二尉のことをヒバリは気にして、身なりを整えた。

「ええ。二尉はもうすぐでお見えになるそうです」

 レティシアは状況把握を済ませると、ヒバリに向き合った。

「なんでここにいるのかわからないけど、」

 レティシアはヒバリに上目遣いでそう前置きして、

「来てくれてありがとう。それに二尉が来るって言うから緊張してるの? ヒバリくん」

 レティシアの中では、ヒバリと別れて少し経った頃で止まっているらしい。すぐに状況を把握出来た割りに、ヒバリの存在を訝しがるのは、ここまで一緒に来たレティシアの人格は眠ってしまっているのだろう。

「うん、緊張してるかな?」

 ヒバリはロトの方を見た。レティシアの中では完全にないものにされて、それはヒバリにしても少し寂しいことだった。

 全体は、自動ドアの開く音で振り返る。

 視線の先には、黒い軍服を完全に我が物とした少女がいた。少女は腕にヘルメット、より近い形態で言えばマスクを腕に抱えて近づいてくる。歳はレティシアと同じくらいで、しかしレティシアの時間は三年止まっているので、実際はレティシアより年下なのだろう。

 レティシアのクリーム色に近い金髪をした女の子だった。レティシアは少女の姿を認めるや否や、敬礼をした。慌てた動きでビシっと決まってはいなかったものの、回を重ねた印象を与えた。

「久しぶりだね、レティシア」

 少しあどけなさの残る声色だった。こんな若い人間が軍に──、ヒバリは少し面を食う。年上で仕事の出来る厳しい大人を想像していたからだ。しかし、裏を返せばこの上司の実力は折り紙付で、レティシアの遥か上をいくと言うのだろう。

「? お久しぶりです。カトライエ二尉」

「はは、今日はそんなに堅苦しくなくていいよ。それに、」

 カトライエはヒバリに目を向けた。そして、手を伸ばしてくる。

「アンジュ・カトライエです。よろしくお願いしますヒバリさん」

「え、こちらこそよろしくお願いします二尉……?」

 恋人がぺこぺこしているのを見るのが新鮮だったからか、はたまた恥ずかしかったからかレティシアは頬を膨らませた。

「アンジュで結構です。ヒバリさん」

「じゃあ俺も、ヒバリで」

「はは、それはレティシアが嫌がりそうなのでやめておきます」

 そう言うと、カトライエはレティシアの視線を拾った。

「……隊長……言いませんよ、そんなこと」

 じっと睨んだ様子は、まさに獲物を奪われる動物の目をしていた。

「それは一体、何のものなんですか?」

 ヒバリは、カトライエが大事そうに抱えるマスクに目をやった。どうみてもオシャレでしているものではない。 

 カトライエはわかりやすいようにとマスクを被った。両耳の上あたりに羽のデザインがあしらわれていて、全体的に無駄のない、しかし角ばったマスクだった。前面のシールド部分は黒くなっていて外からは様子が見えない。しかし、中からは見えるのだろう。もしかしたら視線が合っているかも、と考えるとヒバリはドキッとした。

「これは……」

 躊躇うように中から声が聞こえた。マスクを被るとカトライエの声は一段冷たい表情に変わる。

「私がレティシアと同じような能力を得るためのものです」

 プシュ、とマスクから空気が漏れ出て、カトライエが顔を出した。マスクを外したカトライエは説明を続ける。

「聞いていると思いますが、レティシアの部隊は、パワードスーツを着用した実験的な部隊だったんです。それを率いる隊長の私も同様、最初はパワードスーツを着て戦っていました。ですが、レティシアがより強く最適化されていく兵士だったようにパワードスーツも改良され軽量化され、そしてジャケットと呼ばれるようになりました。このマスクは、パワードスーツで処理していた重量制御や知覚全体を補うためのものですね」

 それなりに重さがあるだろう、マスクをクルクルと指に乗せて回す姿は、果たして人に出来る技なのか疑いがかかる。機械然、いや幽霊然とした佇まいには一種の凄みを利かせるが、ヒバリはレティシアを見ることで打ち消した。

「うっっ。あ──」

 突然レティシアが頭を抱え始めた。痛みに堪えている様が、ヒバリの胸を痛めた。

「想定内です」

 リーが後ろからぶっきらぼうに言った。ロトがレティシアの背中を摩る。

 カトライエがレティシアを一瞥して言った。

「それでね、ヒバリさん。ここに来たのは、」

 ヒバリは早くレティシアに駆け寄りたいところだったが、カトライエの視線がそれを捉えて離さない。

「これをあなたも使いませんか?」

 カトライエは自身のマスクをヒバリに差し出した。ヒバリはそれを受け取ることなくカトライエを見定めた。カトライエは息をつくとマスクを脇に抱える。

「それは徴兵ですか?」

 カトライエはかぶりを振ってそれに答えた。

「徴兵、というわけではありません。いずれ欲しくなる時が来ます。大事なのは、必要な時にそれを手にしていないことです。守るべきものも守れませんから」

 カトライエは目を背けると、その言葉の意味を匂わせた。

 ヒバリは、それがどんな意味を為すか存分に理解していた。しかし扱いきれぬ力は身を滅ぼす。体現者が近くにいるヒバリにとって、その破滅を呼び寄せることだけは避けなければならなかった。

 ヒバリが何も言わずにいると、

「そうですか。ヒバリさんならわかってくれると思ったのですが」

 さほど気に留めてもいない様子でカトライエは言った。ヒバリは改めてマスクを注視する。デザインは悪くない。むしろこれを被って戦ってみたいものだ。

「なら、マスクだけでも渡しておきますよ。汎用タイプのが最近出来たので」

「わかりました。記念に受け取っておきます」

 カトライエはヒバリの言葉を認めると、足早と去っていった。

 レティシアの叫びは次第に収まっていく。それは誰かの慰めによるものによってではなく、活動を縮小したことによる疑似的な終わりだった。無限の愛があればかける言葉も見つかったのか。ヒバリは喪失に囚われるレティシアの手を握るたび、自責の念に駆られた。

「ヒバリくん、私……」

 朦朧とする意識の中、レティシアは最後にヒバリに何かを託そうとした。死ぬわけじゃない。レティシアの漠然とした意識の中に死があったのは、そこに諦めがあったのは、最後まで尽くそうとしていたヒバリにとって悲しいものだった。

「約束は、もういいよ」

「何を言っているんだレティシア。馬鹿……」

 そこでレティシアは眠りに入った。

「起きた時にどちらの人格でいるかで、今後の指針が決まってきます」

 リーは決して崩さない冷静な態度でそう言う。予定されていたものが経過して、研究室は緊張が解れていた。トラブルの種が解決したおかげで、研究員は以前の通常業務に戻っている。最早ヒバリたちは邪魔者扱いだった。

 三人が研究室の端に寄った時、カトライエが頃合いを見計らったかのように戻ってきた。

「これよ、ヒバリさん」

 汎用タイプのマスクは、汎用というだけあって白型のヘッドギアという形をしていた。ヘッドギアは過剰な表現だが、マスクとヘルメットの中間をいくジャケット補助のマスクは、少し大きめに作られていてヘッドギアと似通っていると言われてもしょうがない。

「被ってみてください」

 左耳の下にあるスイッチを押して、マスクを被る。汎用型は使用者の顔の大きさに合わせた可変のアイテムだ。

「電源ボタンはここ。個人の認証はここを操作してください」

 マスクの顎の部分にはタッチパネル式のボタンがとりつけられている。そこでジャケットを着用した時に、思考AIと同調して高い身体能力を得られると言う話だった。

「説明は以上です。では」

 ヒバリがマスクを外すのを確認し押し付けるように説明した後、相手の質問を受け付けずにカトライエは去ろうとする。

「待ってください!」

 ここで取り残されてしまうとヒバリたちは、次に向かう第二拠点〈サーレ〉に行くことを考えなければならなかった。しかし、状況は芳しくない。このままの状態でレティシアに更なる刺激があってはならない。

 咄嗟の機転でカトライエを捕まえることに成功する。振り向いたカトライエは一言、

「──何ですか?」

「アンジュさん、──あなたのことを教えてくれませんか? レティシアの上官なんでしょう?」

 カトライエはヒバリの顔を見た。窺っている節があった。

「それは戦争のことで? ヒバリさんのことですから、戦争に関わることは彼女の口からお聞きになるものだと思っていましたよ」

 図星、というかそうしようとしていたことを当てられてヒバリは上官の洞察力に心服する。彼女にはレティシアと自分の全てが筒抜けなんじゃないかとすら思えた。

「そうではないんです。いや、そうなんですが……。俺が聞きたいのはアンジュさん自身のことです。レティシアと一緒に戦った人のことを知りたいと思うのはおかしいことですか?」

 願わくば、それに縋りたいと思いながら。

「そうですね。私のこと……、うちの隊の構成員は全員、孤児院出身なんです。それは隊長である私を含めて。私は、モルボン孤児院なんですよ」

 そこがどういう場所だか、ヒバリはすぐに思い当たった。

 モルボン孤児院──国立の孤児院の中で最も優秀なにものを輩出するという場所だ。

 全員が孤児であるも、選別に選別を重ねた優秀な人間だけが入れる、いわばエリートコースの人間だ。

「ヒバリさんとレティシアは、マルデノ孤児院出身だと伺っていますが」

「ええ、その通りです」

 対してヒバリの故郷、マルデノ孤児院は国立の中で上から三番目で、凡人、中にはそれより少し秀でた人間がいるだけの平均と揶揄される孤児院だ。

「まあ、あまり詮索はしないでおきましょう。私も、あの場所が大嫌いなので」

 わりかし幸せだった孤児院時代のことを思うと、ヒバリの口から嫌いという言葉は出てくるはずもない。それはレティシアも同じだろう。ほどほどに満たされた生活が何年も続いたあの頃のことを悪く言うことはない。

 それを察したのか、カトライエは、

「ごめんなさい。嫌いだったのは私だけだったようで」

 カトライエは訂正して、続けた。

「で、私に聞きたいことって他にありますか?」

 詮索を避けるように言われると、もうヒバリに思いつく質問はなかった。強いて言えば、なぜレティシアがこうなったか──だけだ。

「レティシアがこうなってしまうのを、なんで止められなかったんですか? 上官なら止めるべきだったんじゃないですか?」

 これが正当な言い分なのかもヒバリはわからない。ただ、戦争においてレティシアの非は一つだけ思い浮かぶ。

 ──弱かったから。

 カトライエの強く刺すような視線で、そう言われているように感じた。

「っ──」

 ヒバリは単純に慄いた。愚者を正すような視線に飲み込まれそうになる。

「レティシアは、私の部隊でも一二を争うほど弱かったですよ。それは間違いありません。けど、彼女は最後まで戦場に居残った。頭がおかしいんです。ジャケットは最初の頃は、ただ邪魔でしかなかった。技術不足、そして使用者の技量不足。軍は、手軽な兵器が欲しいんですよ。だからレティシアは、レティシアの体はああなってしまった。責任なんて生やさしい言葉はありません。私はこれでも罪を背負っているつもりです」

 では、とカトライエは本当に去っていった。

 ヒバリは心の中が空っぽになった気持ちだった。レティシアを見やる。端の方で寝かされている。

「ロト、これから俺たちはマルデノ孤児院に行こう。俺とレティシアの故郷だ」

 レティシアの憔悴に合わせてロトもだいぶ疲れが見えていた。

「孤児院? 何しに行くの?」

「療養だ。レティシアには救いのある現実が必要なんだよ」

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