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──招集を知らせる緊急アラームが微睡んでいたレティシアの脳に響いた。二段ベッドの下、戦友のレベッカは既に支度を始めている。
「レティシア、のろい!」
のそのそと動くレティシアにレベッカは、腿を叩いた。
「痛! なにすんの、レベッカ」
「また上官に怒られるよ? 私までとばっちりくらうんだからやめてよ!」
侮蔑の視線を混ぜた物言いに、さすがのレティシアも目を覚まし、いそいそと着替える。姉御肌のレベッカは咥えていたタバコを捨てると一足先に出て行った。
(まったく、言葉遣いが荒いんだから)
自分の鈍さが戦場では命取りになることを自覚しつつも、その短所を捨てきれないところにレティシアの最大かつ最良の弱さがあった。
アラームの内容は、どうやら待機していたレティシア達を戦場に派遣するためのもので、整列し始めていた隊で一足遅く列に入った。
上官であるカトライエ一尉が顔を見せた。びしっと整った敬礼をし、緊張が張り詰めていく。
「二二○○。我々、特殊作戦部隊は〈ルシャール〉鎮圧作戦を実行する。準備はいいな⁉︎」
「「「はい」」」
女性だけで構成された特殊部隊。通称レンジャー。各々にカスタマイズされたパワードスーツをまとい敵兵を滅ぼすための部隊。
二二○○まであと三十分。それは、死ぬまでの三十分とも言えた。
「レティシア、遂に出陣だね!」
通常の攻撃部隊は、朝の十時より駆り出されていた。試験的なレンジャーでは、手の内を見せすぎないこと、言葉通りの試験調査を兼ねて出陣は見送られていた。しかし、劣勢に立たされた皇国軍はこれを機と見た。
「レベッカも、びびってんじゃないでしょーね!」
訓練兵時代からの同期と鼓舞しあうのは、レティシアにとって最大の励みだった。
「びびってないわ! それこそ、そっちの方がお漏らししないでよね!」
レベッカがレティシアに小突く。一瞬でも闇に引き込まれれば、戦々恐々として力は出せるはずもない。
基地の地下に設けられたレンジャーの工房。それは開発・装着・修理・出撃を一手に担う基地最大の要所だった。
「レティシア三曹、レベッカ二曹揃いました!」
工房にいる研究者の職員が二人を確認する。他の隊員は既に準備を八割型終えていて、ひとまわり大きいパワードスーツに、天井から鎖で釣られた大型の銃器を手に持つところだった。
レンジャーでは、軍の戦い方とは一線を画す。各々が十数人分の働きをし、衛生兵にあたる救護もパワードスーツがある程度代用してくれるので、基本的な戦い方は二人一組となる。
つまり、レティシアとレベッカは、同じ手綱を引くバディなのだ。
互いにパワードスーツに包まれていく中、二人は笑みを絶やさなかった。
出撃の陣となった時、二人は帰還することを誓い合った。
──そこから一度、レティシアの悪夢は途切れた。
その悪夢は、まだ序章に過ぎない。
*
ロヴェインの運転で、ヒバリたち三人は故郷であるマルデノ孤児院へと赴いた。独り立ちしてから一度も顔を出していなかったというのもあって、ちょうどいい機会だと思えた。その手土産が、宜しくないのは気がかりだったが。
マルデノ孤児院は〈ルシャール〉からそう遠くない。
午睡から目覚めたかのように、レティシアはぱちりと目を開けた。
「起きたかティア。大丈夫か?」
ヒバリの問いに何事かもわかっていないレティシアは首を傾げた。
「んー。ここはどこ?」
目覚めたレティシアがどの時期のレティシアなのかヒバリにはわからない。恐る恐る確かめていった。
「そろそろ孤児院に着くよ」
「なんで? 着くってどういうこと? 私たち、マルデノを離れるの?」
「違うよ、休暇でマルデノに遊びにいくんだ」
ヒバリの説明でも、レティシアは腑に落ちない。
(今のティアは、最近のティアじゃないのか? だとしたらいつの……)
「ヒバリ。この人たちは誰?」
ヒバリはびくっと身を震わせた。レティシアがヒバリを呼び捨てで呼ぶことはない。付き合って互いに思いを通わせてから一貫して「ヒバリくん」と呼んでいるからだ。
「レティシア。よく聞いて。今の君はちょっと物忘れをしているんだよ。大丈夫。すぐに思い出す」
帰り際に聞いたリーの予見では、これも想定内だと言う。その想定内の先には、レティシアの覚醒。つまり現実を正しく捉えること。それが成功した先の未来だと──そう言っていた。
幼児退行もその一つ。
「そうなの? 頼りないヒバリに任せて大丈夫なのかしら?」
「安心してレティシア」
「そう」
言葉通りに安心したかはわからないが、落ち着いた状態でレティシアはまた眠りに入っていった。
それを助手席から眺めていたロトは複雑な気分だった。突然姉として慕っていた人が、自分より年下の存在になるなんて、どう扱っていいかわかっていない様子だ。
ヒバリはレティシアの頬を撫でる。レティシアがヒバリのもとに帰ってきて以来、変わらない感触にヒバリは何も問題ないということを実感した。
──俺はまだ、レティシアを愛せている。
車が止まった。見慣れた、いや懐かしい外観の建物がヒバリの目に入った。
記憶より、小ささを感じる。身長はそこまで変わっていないはずなのに。
「お出迎えありがとうございます院長」
先に降りたロヴェインが老婆の出迎えに挨拶を交わす。ヒバリは慌てて車から降りた。
ヒバリの姿を認めた院長は、にこりと微笑んだ。
「久しぶりですわね、ヒバリくん」
「お久しぶりです、院長。院長もお元気そうで安心しました」
今年六十五になる院長、ベラ・フェネット。数十年前からこの孤児院で奉仕するお方だ。ヒバリもレティシアもこの人の教えが根底にあり、その教えのおかげで今まで生きてきた。
「それで……?」
置き所のない言葉を繋ぐように、ベラ院長はあたりを見回した。彼女にも「ヒバリとレティシアはセット」という感覚があった。
ヒバリはベラ院長の怒る反応を覚悟した。命を大事にすること。
人を愛し、大切にしなさい。
かつて刷り込まれるようにして言われた言葉が蘇る。
「レティシアは車内にいます。大変なことになっていますが、まずは落ち着いて聞いてください」
うんうん、とベラ院長は頷く。「大丈夫、老人の胆力をなめないでよね」とすら言った。
「レティシア、レティシア。起きて。着いたよ」
寝起きの悪いレティシアとは思えないほど、簡単に起こすことができた。
「帰ってきたのね」
一言、そう言うとレティシアは反対側のドアから降りた。
ヒバリは怖くて院長の顔を直視出来ない。置き所のない視線を彷徨わせていると、自然とロトと目があった。
レティシアは、ヒバリに握られた手を離そうとする。公然の場で手を握られるのが恥ずかしいらしく、照れている。
「あっ。院長先生!」
レティシアの秘めるパワーを瞬時に使われて、ヒバリは半ば吹っ飛ばされそうになる。それをなんとか堪えて、レティシアに突撃される院長に視線をやった。
驚く暇もなく、レティシアに抱きつかれて院長は息を吸えない。
「院長先生! ヒバリがね、ひどいの」
十歳ぐらいの女の子にありがちな、男子との距離に困る女の子を演じられて院長先生は言葉が出ない。というより、息を吸えていない。
レティシアの扱いきれていないパワーは、確実に院長先生に及んでいた。
「いいよって言ってないのに、手を繋いできたの」
「わかったわ。わかったから、落ちつきなさい」
「はい……ごめんなさい」
「とりあえず中に入りましょう」
孤児院の食堂。ここでは家族である孤児の皆、神父や院長まで集う大きさを持つ食卓の場だ。
そこから離れたところに、二、三箇所くつろぐためのソファスペースある。
ヒバリはどこから話していいか、とベラ院長に打ち明けた上で事のあらましを話し始めた。用意されたコーヒーの味が、思いのほか苦い。
「それで、レティシアちゃんは、三年戦争のせいであの体に?」
ベラ院長の理解は早かった。
三年戦争、そう名付けて読んでいるのはメディアぐらいのものだが、そう呼称する以外他にないのも事実だった。
──三年戦争。ヒバリは、その呼び方を嫌う。
院長の言葉の使い方に嫌悪感を示す、なんてことはせずに淡々と理由を説明した。
「ええ、俺もわかっていることは少ないですが。こっちに来たのは療養の為なんです」
ベラ院長はコーヒーカップに口をつけた。ヒバリもそれに倣ってコーヒーを含む。
院長はコーヒーを飲み干して、
「わかりました。そういうことならゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます」
ふと、院長は視線を窓の外にやった。外では孤児達がボール遊びをしている。懐かしい光景だ。とヒバリは思った。
「今でも、ここから巣立っていった子たちのことは思い出すんですよ。元気にしているか、真面目に働いているか。私の教えは忘れていないか……。毎日。毎日。それで、蓋を開けてみれば──、こういうことに……」
ベラ院長は俯いて、涙を零した。
「ごめんなさいね、私のせいかしら……こんなことになったのは」
「いえ、そんなことないです。院長先生は、俺たち二人の支えでした。間違っても、先生のせいなんかじゃありません」
「でも、現に私のせいでレティシアちゃんは傷ついてるじゃないの」
「──それは、レティシアの選択です。レティシアの意思です。何人たりともその意思を尊重するべきだと俺は思っています。他ならぬ、院長先生であっても」
「ええ、そうね。そうだわ。ごめんさい」
ベラ院長はハンカチを取り出して、頬を拭った。
「とりあえず、事情は把握したから。困ったことがあったらなんでも言いなさい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」
ヒバリもコーヒーを飲み干して、席を立った。好きにさせているレティシアの様子を見に行こうと思ったのだ。
「じゃあ、これは私が片付けておくから」
ヒバリはベラ院長に頭を下げて、その場を立ち去った。
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