ぽわぽわとした生温かさに包まれていた──。包まれた毛布を蹴飛ばして、ヒバリは呻き声をあげる。

 悪夢を見ていた。しかし、その嫌悪感はものの数秒で薄れてしまう。視界がぼんやりとする。ゆらゆらと揺れる蝋燭の火。眠気が襲ってきて、ヒバリは仰向けになった。体が酷く痛む。

 ヒバリには意識を他に回す余裕がなかった。

 数時間ほど眠った。蒸し暑さで目覚めると、プレハブ小屋のような一室にロトとロヴェインと一緒に雑魚寝をしていた。

「どこだ、ここ」

 直前の記憶を遡る。漠然とした記憶は思い出せるものの、なぜかそのうちの一ピースが足りない。

「ロト、起きて。ロヴェインさんも」

「……ヒバリ。あッ、痛ッ──」

 寝惚け眼をこすりながら起き出すと、ロトも同様に体に痛みを覚えるようだった。むち打ちのような痛みだ。

「ヒバリ様。ここはどこですか? レティシア様は?」

「ここはどこだかわからない……。それに、レティシアって誰だ?」

 ロヴェインは絶句する。ロトは、信じられないといった表情で、その後呪うように唇を噛んだ。

「レティシアお姉ちゃんだよ! 忘れちゃったの?」

「本当にわからない……」

 三人に目立った外傷はない。ヒバリは、レティシアは誰なのか思考を放棄して、いかにここから脱出するかを思索する。

「すぐに思い出すさ」

 ヒバリはレティシアに関わる記憶を一時的に失っていた。精神的に強いショックを受けたのもあるだろう、車が崖下に落下した際、ヒバリは一度頭を打った。寝起きで頭が回っていないせいもあるのか、「レティシア」という単語は現在ヒバリの頭には存在しない。だから、唯一のレティシアを記憶と結べなかった。

 プレハブの扉に鍵はかかっておらず、簡単に脱出ができた。転落で身動きがとれなくなった三人を追手が確保した線は薄まった。しかし、その線が薄れると第三者の線が色濃くなる。何か別の企みがあったりしないだろうか、とヒバリは思う。莫大な賠償を支払うことになるケースを想像して、頭が痛んだ。

 日の光が強い。随分寝てしまった。ヒバリは体内時計を設定し直すと、目が日の光に慣れるまで辺りを見回した。

 ちょっと行ったところに母屋を見つけた。鉄のプレートやマシンが玄関口に並べており、マッドさを醸し出していた。

「どうする?」

 ヒバリは他の二人の反応を伺う。

「行ってみるべきでないかと」

 ロヴェインの進言に納得し、ヒバリは頷いた。ヒバリは彼の言うことに従うことが多い。年配の経験は頼りになるものだし、ロヴェインの人柄を好いていた。

「──失礼します」

 刺激的な雰囲気が漂う中、ヒバリは中へ進んでいく。フラスコや工具が投げ捨てられたように床に落ちている。

 家主はすぐに見つかった。茶色のキャップを被り、その上に防塵ゴーグルをかけている。油や汗で染みたタンクトップからは筋骨隆々の肉体がはみ出しており、細腕のヒバリからしたら考えられないような太さだった。歳は三十を超えたばかりに見える。汚れた体は実年齢よりも老いてみせた。

「おう、起きたか」

「あなたは──?」

「お? オレは、インディゴ。近くで爆音があったからなんだと思ってきてみればお前さんたちが倒れているからさ。あれは事故だったのか? そうは思えないほど、車とかボロボロだったけどなァ」

 インディゴが座る先には、ガラス張りの寝台に載せられたレティシアの姿があった。

 天井から伸びた工具なりなんなりが、レティシアの体の周りを覆う。

「レティシア姉さん!」

 ロトがいてもたってもいられず叫んだ。

「こいつ、レティシアっていうのか」

 面白そうにロボットの名前を聞き届けたインディゴが、レティシアの体の細部を観察する。

「何するの! やめて!」

「おお⁉︎」

 ロトがインディゴの前に立ち塞がる。インディゴに比べると、ロトはあまりにも小さい。華奢な少女は、筋肉の化け物を前にしても怯まない。

「ちょっとロボットを見るだけさ、安心しろよ」

「ダメなの! レティシア姉さんはロボットじゃないの!」

「じゃあ、ヒューマノイドか?」

「違う! レティシア姉さんは人間だよ!」

 は? と疑いの表情を顔に出して、アホなことを言う少女からヒバリの方へと振り返った。

「ロト様の仰る通り、レティシア様はヒバリ様の婚約者です」

 一番真面目そうなロヴェインにそう言われ、呆れてものも言えないインディゴにヒバリは直立不動で呆けていた。呆けていた、というのもおかしい、ヒバリは昨日の一部始終がフラッシュバックしていたのだから。ピースがかっちりと嵌る快感を覚えたヒバリは、しかし惨状に見舞われているレティシアの体を直視できずにいた。

「見た感じ、オレには修理することが出来そうだが、どうする?」

 ロヴェインはヒバリの顔色を伺った。先ほどから何も言わないヒバリを案じて、代弁しようとした。

「直せるの⁈」

「ん、ああ。だけど、この娘は人間だったんじゃねえのかよ嬢ちゃん。修理するって言葉は、人間には不適じゃねえか?」

 軽く悪ふざけでロトを嵌めるインディゴ。ロトはそんな男を睨んだ。

「ヒバリ、私この人嫌い!」

「はは、そう言わずに」

 ヒバリは貼り付けた笑みで、ロトにそう返した。ロヴェインはヒバリの様子が元に戻ったことにほっと胸を撫で下ろした。

 レティシアにまつわる記憶を思い出したヒバリは、直せるものなら直してほしいと頼む。

「出来れば元通りに」

 それは、修理する条件でもあった。これ以上悪くされたらたまったものではない。それに形になったとしても改悪されていたら、それも許せない。

 ヒバリはレティシアに限りない愛を誓うのだから、その体も求めるのは以前と変わらぬ姿にすることだった。

「わかった。やってやるよ」

 不敵な笑みを浮かべるインディゴに一抹の不安を覚えながらも、ヒバリはインディゴにその条件を飲ませた。

 修理は半日かそこらの時間がかかるという。それまでの間、ロトとヒバリはプレハブで寝込み、ロヴェインは車の点検やその他業務があると言って出て行った。


 ヒバリが気づいた時にはすっかり夜になってしまった。昨夜の襲撃のせいもあってすっかり予定が狂ってしまった。このあたりの警備状態はどうなっているのか、と軍のに一喝したい気持ちを抑えて、そろそろ修理が終わっているだろうインディゴのもとへ動いた。

「よお、旦那」

「どうだインディゴ。ティアの容体は」

「まずまずってところだなァ。俺の技術が悔しいぜ。この体はどこのもんだよ。俺の知らない技術で埋め尽くされて、イジるのもちと大変だったぜ」

「ティアは皇国の軍人だ」

「皇国の⁉︎」

「なんだよ、何か気に触るのか?」

 ヒバリの気の抜けた態度は、インディゴが願い出たものだった。「堅っ苦しいのは嫌いでよ」まるで数年来の友人のような振る舞いにはヒバリも少し落ち着くところがある。この頃ずっと気を張り詰めていたからだ。

「いや、そうじゃねえけどよ。ま、とりあえず見てくれや」

 含んだ言い方にヒバリは気を留めつつ、修理されたレティシアに視線を移した。

「工房にあったパーツでなんとか傷は直せたぜ。と言っても、表面だけだがな。中は一体どうなっているか訳わかんねえぜ。ちぎれた右腕も修復しておいた。あとは……」

 申し訳なさそうにインディゴが頭を掻いた。

「レティシア嬢の体には、いくつかプロテクトがかかっていてな。それを少し好奇心で外しちまった……」

 ヒバリは目を丸くする。あれだけ手間をかけたロック解除を技術者はこうも簡単にやってしまうのか……。落胆と期待が入り混じる、なんとも言えない気持ちになった。

「いや、大丈夫だ。逆に感謝を言いたいくらいだ」

「そうだったのか? それは、良かった」

「なんだその反応は。もしかしてティアに細工でもしたか?」

 一瞬で憤怒の表情に切り替え、インディゴは肝を冷やす。

「そういうわけじゃない。ただな、後々プロテクトがかけられた意味を考えるとぞっとするんだ。ま、ないならいいよな。はははは、は」

「おい」

「すみません」

「ちゃんと説明しろ」

「はあ……。ほんの少し見栄を張ったが、実際は一つしか解除出来てねえよ。他は──考えるとすれば、特殊な環境化でレティシア嬢が自力でするしかないだろうな」

「どういうことだ?」

「このプロテクトは思考AIが制限してて、それが全身に作用してる。つまりレティシア嬢の本質は機械ってところだ。至る所に隠された武器はそのAIが管理してるっていう寸法さ。しかしな、面白いことにこのAIは記憶ツールと繋がっているんだ。記憶ツールはどうやら損傷を受けているようで今は無理だが、これを直すか自然回復すれば、連携しているAIのプロテクトも解除出来ちまうってことよ」

 ヒバリはインディゴの説明で腑に落ちる。ヒバリとレティシアの目的地がなぜ存在するのか、裏に目的があるとするならば──それは、辿り着いて見れば分かるだろう。

「で、実際修理出来たのはどこまでだ? それを教えてくれないと安心できない」

「俺が外せたのは、レティシア嬢のボディの改良とほんの少しの武器のロックだけだ」

 情けねえ、とインディゴはぼやいた。自分の技量不足が悔しかったらしい。

「わかった。ありがとう。金の方は?」

「パーツ代で十分だ。こちらもまだまだ未熟だって勉強になったしな」

(げ……)

 ヒバリは提示された金額に震える。手持ちでは到底足りない。

「少し待っててくれ」

 戻ってきていたロヴェインを呼び寄せて、相談し小切手を用意させた。

「紙っぺらいのは好きじゃないんだが……。まあいいや頂戴した」

 金銭の授受が成立してもレティシアは目を覚さない。ヒバリはそれが気がかりだった。

「レティシア嬢は直に目覚めるだろうよ、旦那」

「どうして言い切れる?」

 極度な心配のせいか、ヒバリは荒く当たってしまう。たいして気に留めるでもなく、

「ネジを閉める時、電源をオンにしておいた。こればっかりはよォ、人とは切り離したものだからわかるって訳さ。ま、生身の方にエネルギーがないから活動するにはちと厳しいだろうがな」

「なるほど。すまない、当たってしまって」

「気にすんな。それより食事でも用意しておけ。うちにはマシなもんがないからな」

 インディゴの言う通り、この一日マシなものを食べていない。携帯食料と水で乗り切ったのだ。

「ヒバリ様、お食事は用意してあります」

「本当ですか? ですが、どうやって……。まさか」

「お気になさらずとも大丈夫です。我々は南下する形で第一拠点に参ろうとしていた次第ですが、インディゴ様に拾って頂いたここは幸運にも最南。セプロンという小国との国境がある場所です。少し下れば食事くらいはご用意できます」

「そうか、それは良かった。ロヴェインさんありがとうございます」

「恐れ入ります」

「ティアを呼んできます」


 *

 体が熱い。助けてほしいと頼めばいいのに声が出ない。こう言う時先生が近くに居てくれたら。

 先生は今日孤児院を出ていらっしゃるのよ、と誰かが言った。

『なんで? どうしてなの?』

 知らないわ、と遠くで返答があった。

『私を一人にしないで』

 ……熱なんて出すからよ。

 汗が垂れる。自分の熱のせいで、額に載せられたタオルが温い。

 はあ、はあと呼吸が荒くなる。私は死んでしまうのかもしれないな、と何度目かの軽い覚悟をした時。

 タオルが取られてぴちょん、と水の音が聞こえた。ぽたぽた、と絞った後なのに床に水滴が垂れる。

『レティシア、大丈夫……?』

 男の子が傍で看病をしてくれたと気づいたのは、熱が下がってからだった。


『ヒバリでしょ、私のタオル変えてくれたの?』

『何それ! 知らないよ!』

『しらばっくれても私は知ってるんだからね』

『ほんとに! 僕はなにも知らないよ』

『そ……ま、いいわ。ありがとう。院長先生も誰かに感謝したいって言ってたわ』

 ヒバリの頬が赤く緩む。それでもヒバリは知らぬ存ぜぬを突き通した。

『……どうも』

 最後の最後でボロを出して、私は笑う。周りの女の子に意地悪されてもこう言うことがあるから孤児院の生活も悪くないと思ってしまう。


 *

 レティシアがちょっとした夢を見ていた、と気づいたのはヒバリに起こされたからだった。

「体調はどう?」

 気にかけながらも、ヒバリの瞳は涙で溢れる。

「どうしたの、そんなに泣いちゃって」

「ティアのせいだよ。ううん、俺のせいだ……」

「気にしないで、私はまたヒバリくんと喋れて嬉しいの」

 ガラスの寝台から体を起こして、レティシアは涙を拭ってやる。ヒバリの涙腺は極度のストレスでおかしくなっており、それはまた感情も同じだった。起伏の激しい感情に身を委ねてヒバリは泣いた。なんで泣いているかもわからず。

「ご飯の用意ができてるよ、食べようか」

「うん」


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