[旅はまだ、終わってしまわないから]

 人を愛し、大切にしなさい。孤児院育ちのヒバリは、幼いころからそう説かれてきた。レティシアもそうであった。そうであったが故に──。

 小一時間ほど経って。また奥の方からレティシアを車椅子に乗せてスミノフがやってきた。

 変わらず、瞼を閉じているレティシアにヒバリは不安の表情を浮かばせる。

「安心せい。準備は万全に終えた。これでようやく、君は三年越しの再会ができるというわけだよ」

 スミノフの言葉を契機に、ヒバリは婚約者の顔を見入った。

 クリーム色の髪色に、シミ一つない肌。十七歳から時が止まった体。全身が機械になり常人よりサイズは大きめだが、それでも少女然とした雰囲気は変わらない。

 ヒバリは思う──この子を一生涯愛すと。

 戦争が悪だとか、憎いだとか過ぎたことにうだうだ言うべきでないのはわかっている。だからこそヒバリは、目の前にあるレティシアに愛を誓う。

 スミノフが慣れた手つきでレティシアに繋がれた管を外していく。その光景を見つめていたヒバリは、

「レティシアはご飯を食べられますか?」

 その質問に、スミノフは目を丸くする。機械として扱っていたスミノフからすると、ヒバリのなお人間として思う在り方に、少々馬鹿らしさを覚える。

「食事は以前と同じように出来るさ。まだ人間としての機能が残っているからね。ただ、機械としてのエネルギーは別として必要になってくる」

 ヒバリは唾を飲み込む。ふっと眉の晴れた顔つきのスミノフは一言、

「安心しなさい。今のレティシアくんの性能なら普段の食事で機械のエネルギーまで還元できる」

 もういいかね? スミノフはヒバリの質問責めに疲れたようで、話を打ち切った。

 そしてちょうど、レティシアに繋がれていた管が全て外される。


 その目覚めは、ゆっくりとしたものだった。血が全身を駆け巡るように、レティシアの意識が全身に張り巡らされていく。

「おはよう、ティア」

 翠色の瞳を見開くと、少女は一人の男に視点を定めた。

「……ヒバリくん?」

「ああ、俺だよ。ティア」

 三年。その年月を失ったレティシアに対して、大人になったヒバリの風貌は、確かな違和感を覚えるものだった。

「なんか、大人になったね、ヒバリくん」

 好きな男が時を重ね、逞しくなっている。まだ夢現なレティシアが発した言葉に、ヒバリは唇を噛む。

 助けを求めるようにヒバリがスミノフへ視線をやると、

「レティシアくん、体の調子はどうだい?」

 助け舟を出したスミノフは、膝をおり、レティシアの顔色を伺った。

「えっ、博士? なんでここに──なんで、ヒバリくんも」

 レティシアはヒバリとスミノフへ視線を行き来させる。その視線には確かな動揺が浮かび、納得のいく説明を欲していた。

 あらかじめ決めていたかのようにスミノフが淡々と説明を始める。

「レティシアくん、落ち着いて聞いてほしい。君は、およそ三年間の記憶を失ってしまったんだ」

 一息で状況に合う説明をされ、レティシアの心は他人事のように静まった。

「どういうこと?」

 スミノフの発言は、レティシアにとって「今の君は君ではない」と言われているようなものだった。それが納得できるかどうか以前に、レティシアは己の存在がたまらなく怖かった。

「戦争があったのは覚えているか」

 こく、とレティシアは頷いた。レティシアの記憶ではこれから戦地に赴くところだが、ヒバリやスミノフにとって戦争はもはや過去のものなのだと、一人置いていかれた気持ちになる。

「レティシアくんは、懸命に戦って我が国の勝利に多大に貢献した。だが、最終決戦の地で君は頭に攻撃をくらってしまい、その衝撃で記憶を無くしてしまったんだ」

 貢献、勝利、攻撃、それらの単語がレティシアの脳裏に過ぎる。記憶を無くす前の自分が、ちゃんとお役目を果たしたことに安堵する。

 レティシアはそこで初めて視線を落とした。目覚めた時から感じていた、記憶を無くす前の感覚との違和。

「ああっ、ああ……。あ……」

 誰に泣きつくでも、誰を責めようともせず、ただレティシアは己の現状をひとりで受け止めようと励んだ。

「レティシア」

 レティシアはタンパク質とカルシウムで作られた指先ではないことを、矯めつ眇めつ眺めた。

 意に介してなどいない、とヒバリはレティシアを抱き寄せた。

「ヒバリくん、私……」

「ティアはティアだよ。変わらない」

 覚悟を決めたヒバリの言葉に、レティシアの硬くなった心は融かされていく。

「私、泣いていいの?」

「うん。うん。ティアには俺がいるからね」


 *

「落ち着いた?」

 たっぷりと涙を流した後のレティシアに、ヒバリは投げかける。三年という月日と、自分はもう純粋な人間ではなくなったことはすぐに受け止め切れるものではない。そのことはここにいる誰もが思っていた。しかし、その優しさに甘えず、そのまま塞がっていてはなんの意味もないことを、人一倍レティシアは感じていた。

「うん。ありがとうね、ヒバリくん」

 ヒバリは握っていた右手をそっと離す。

「それで私は、どうすればいいんですか?」

 そしてスミノフへと視線を投げると、スミノフは堅くしていた口を開いた。

「細かいことはすでにヒバリくんに話してあります。詳しいことは彼に聞いたほうがいいでしょう」

 レティシアは、ほんと? とヒバリに目で訊く。うん、とヒバリは言う。

「ひとつ、忘れていました」

「なんですか?」

 スミノフは白衣のポケットから掌大の大きさの端末を取り出して、操作を始めた。無意識にヒバリはレティシアの右手を握る。

 廊下を駆けてくる音を聞き、レティシアとヒバリに僅かな緊張が走る。レティシアにこれ以上の刺激は危ないとヒバリは感じ取っていた。

 センサーが反応しない端の壁に三度のノックがあり、スミノフが声で許可をする。

 自動ドアが開き、悠然としたスーツ姿の男が現れた。

 紳士靴が小気味良い音を響かせる。

「お初にお目にかかります、バチェラーをやっておりますロヴェインと申します」

「このロヴェインが身の回りの手伝いをすることになるから、なんでも頼ってやってくれ」

 驚きを露わにするヒバリに、スミノフはしたり顔で、

「レティシアくんが残した功績を鑑みての結果だ。これは国からの慰謝料だと思ってもらって構わない。まあ、これが慰謝料だと言うのも馬鹿な話だが。別に、報奨金も出るから、金のことは安心してくれ」

 孤児院育ちの人間にはありえない待遇を与えられて、レティシアは呆けている。

「そんな、困りますよ」

 我に帰ったレティシアが、手を振って拒否をする。ヒバリも同感だと意を体し、出会って数秒の人に何かを命じるなんて出来ないと思う。これは家族の問題なのだから、と。

 行き場のなくなったバチェラーのロヴェインは顔色を変えずスミノフに指示を仰ぐ。

「わかった。儂としてもちと性急だったと思う。必要になったらいつでも言ってくれ。待機させておく」

「ありがとうございます」レティシアがお辞儀をする。「ロヴェインさんも。ありがとうございます」

 ロヴェインは笑顔で、

「何かお困りごとがあったらいつでもお申し付けくださいませ」

 そう言うと、名刺を渡してくる。レティシアはあわあわと狼狽えるので、ヒバリが受け取る。

「ヒバリくん、いつの間に」

「まあ三年分成長してるからね」

「もう、いつから年上気取り? 私にはまだダメなヒバリくんでいてほしいのに……」

 他人の目を気にせずいちゃつくレティシアに、ヒバリはやめてくれと心の中で思う。

「こほん」

 わざとらしく咳き込んで、スミノフはじゃあと別れを告げる。二人はいつまでもここにいるべきではない、と邪険に扱う。そうとも、二人の生活はこれからなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る