残酷無体のパラレイド

無為憂

プロローグ

 戦争が終わって、間もなくのことだった。

 ヴィルヘルム皇国の一角に居を構えるオックス新聞社に一つの電話が入る。

「はい、こちらオックス新聞社、編集局の──」

 四十代ほどの男が受話器を取る。慌ただしい仕事の中で聴き慣れない単語が続出し、耳を疑う。話を聞いていくうちに男の額に脂汗が浮かんでいく。

 ガチャリ、といつもよりはだいぶ優しめに受話器を置いた後、編集局のデスクを通りがかった青年に声を掛ける。

「おい。ヒバリ! ちょっと来い」

「はい、局長。なんでしょうか」

 ヒバリと呼ばれた長身の青年は、上司の呼びかけにぞっとする。なにかやらかしでもしたか、過去の自分を振り返るもそんな覚えはなかった。

「お前に、軍のお偉いさんからお呼びがかかっている。午後三時に、本部に迎えと」

「え?」

 ただの新聞社に勤めるヒバリに、軍のお偉方とのパイプなんて持っていやしない。これはただのお叱りのほうが良かったかもしれない、とヒバリは思った。

「お前、なにかやったのか? 大丈夫だよな?」

「ええ、覚えがありません。本当に、自分でもなんでだか」

 ヒバリはその長身のせいもあって、不安げに上司を見下ろす。遠くの方に視線を向けている上司は、びっしょりと汗をかいているのを知る。

 ヒバリは、自分と皇国の軍の繋がりについて思い返す。それから戦争の方に視野を広げて、もしかしたら──と思うことに行きあたった。

 覚えがないというのはやはり本当で、ならなぜ自分にそんな電話が掛かってくるのか。

「わかりました。午後三時ですね」

「おお、わかっているとは思うが、くれぐれも粗相を起こすなよ。うちが潰れるぞ」

「冗談になっていませんよ」

「本当にわかっているのか?」

 ヒバリはぐっと唾を飲み込んで、わかっています、と答えた。


 その後半休を貰えたヒバリは、午後一時、皇国の首都にある軍の本部に向かった。

 社用車を運転するヒバリの心境は、少し重たいしこりのようなものがあったものの、弾んでいた。もしかしたら、という希望が重ね合わさり、自然と口元が緩む。

 受付を済まし、案内をされた場所へ向かう。

 白い鉄のドアがヒバリを感知して開く。

 覗き込むようにして中に入ると、様々な精密機械が並んでおり、緊迫したその光景は手術室を思わせた。

 予想していた場所とだいぶかけ離れた空間に、ヒバリは怖くなってくる。

「あのー」

 誰もいない室内に気味が悪くなり、声を出す。すると、奥からひょっと白髪の男が出てきた。

「はいはい」

 おじいちゃんといった風貌の男は、明朗にヒバリの声に応えた。白衣を着て、いかにも研究者といった雰囲気の男は、柔和な笑顔でヒバリを迎える。

「ヒバリと申します。この度はどのような用で私を」

「儂はスミノフ。一応軍の研究者をしておるが……。ヒバリくんと言ったか」

「はい」

 老人、スミノフの表情が途端に固くなる。ぴり、と緊迫した空気が漂い、ヒバリの肌を掠める。ヒバリはスミノフに椅子に腰掛けるよう促され、席に着く。木製の椅子と合わせたテーブルは四人ほどが卓を囲む大きさで、研究室の様相を持つこの部屋には少々合わなかった。

 一息ついたところでスミノフは口を開いた。

「今軍にいる、レティシアくんを知っているかい?」

 レティシアという聞き馴染みのある人名。それはヒバリにとってのもしかしたら、の存在だった。

「はい。存じています。というか、私の婚約者です」

「ほう、婚約者だったのか。レティシアくんもいい男を持ったね」

「ありがとうございます」

 一拍、間を置いて再びスミノフが口を開く。

「レティシアくんは、終戦と同時に任期を終えてね。今日帰ってきたんだ。君にはそのお迎えに──」

「ほんとですか! ティアが!」

 愛する婚約者の帰還を知り、興奮するヒバリ。スミノフの言葉を遮ったと気づくと、申し訳なさそうに顔を伏せた。

「はは、その勢いは大事だよ、ヒバリくん。大事なのは、これからだ。よく聞いて、見ておくれ」

 遠回しな言い方に、ヒバリは悪夢のような予想を立てた。愛する婚約者に向けて祈ったことが無力だったとは思いたくない。

 二度、スミノフが手を叩くと奥から女の人がストレッチャーを押してきた。

「え、嘘だろ……」

 沈痛な面持ちのヒバリに、スミノフは優しい口調で語りかけた。

「大丈夫だ。君の思う最悪なことにはなっていない。眠っているだけだ」

 ただ、と言葉を言い残して。

 ヒバリの目に映っているのは、ストレッチャーで運ばれたレティシアだった。ヒバリを最も驚かせたのは、儚く可憐な少女──の変わった姿だった。

(眠っている。これが眠っているだけというのか?)

 信じられない、といった顔をするヒバリを思って、スミノフはこう言った。

「これは、レティシアくんが戦争で戦ううちに何度も死にかけた結果なんだよ」

 鋼鉄の少女。それがレティシアと呼ばれた人間の全貌なのだった。

「はじめは右腕、次に左足。銃弾を受け、爆風にとばされながらも彼女は戦った」

 右腕は砲のように一回り大きく、左足は見るからに鉄の義足。生の肉体を失い、その代わりに武器を仕込んだ。冷たく言えば、それはかつてレティシアだった機械だ。

 ヒバリは、ゆっくりと説明するスミノフの言葉にかろうじて耳を傾けながら、現実と悪夢の間を行き来していた。

(希望は? 俺の、ティアは?)

「レティシアくんは、義手や義足になりながらも、戦った。今や、生の肉体はほとんど失い、機械の体へと換装された」

「なんで、ティアはこんなんになるまで、戦ったんですか! あまりに非人道的だ! 許せない! 許せませんよ、こんなの!」

「本人が望んだんだ」

「嘘だ! 嘘を言うな!」

 ヒバリの激昂に、スミノフはそれが紛れもない事実だと、口を閉ざして何も言わない。

「レティシアくんの部隊は、試験的に造ったパワードスーツを着用しての戦闘だった。今や、レティシアくんの体の一部は、そのパワードスーツを転用している」

 ヒバリの目から涙が垂れる。白い外装を持った体に、レティシアの固く目を閉じた顔。

「最終戦線で、ついにレティシアくんは頭に攻撃を貰い、その衝撃で記憶まで無くしてしまった。本当に微かな記憶を残して、これまでのことを全部だ」

 ヒバリはもう、なにも言わない。ただ、うわごとのようにティアと呟くばかりだ。

「しかし、幸運なことに、軍の各基地で、兵士の脳をスキャミングしたデータがあるのを思い出してね。普通の兵士なら、極限状態に陥った精神状態の診察に使う程度だが、半機械のレティシアくんならそのまま記憶データとして利用できるんだよ」

 長い説明に、息を整えてスミノフは、

「ヒバリくん、とても辛い現実だと思うよ。でもね、まだ希望はあるんだ。絶望する前にそれをよく覚えておいてほしい」

 希望、という言葉に反応したヒバリが顔を上げる。潤んだ声で、ヒバリはスミノフに尋ねる。

「だから、そのデータを使えばレティシアはどうなるんだ? 俺はそれがよくわかりません。ティアはただ眠っているだけじゃないんですか?」

「人の根幹は記憶、つまり思い出だ。今レティシアくんを起こせば、起きるのはも抜けの殻の彼女だろう。赤ちゃんよりも虚無を持った木偶の棒としてね。つまり、君に出来ることは二つ」

 二本指を立ててスミノフは、

「一つは、今ここでレティシアくんは死んだことにして引き取ること。二つ目は、本部にある最初にスキャニングしたデータをインストールして、彼女を起こすこと。二つ目を選べば、彼女は戦争を経験する前のレティシアくんとして蘇る」

 スミノフの話を慎重に聞くも、ヒバリに決断は下せそうではなかった。

「俺たちは、孤児院の出なんです。身寄りのない俺には誰かの意見に頼ることも出来ない。どうすれば、いいんですか。わからない、俺には何もかもわかんないですよ。俺はティアの幸せを一番に考えてます。だからこそ、ここで終わりにしてやることが最善なのかわからない」

 本当に、わからないんです──大粒の涙を溢して、ヒバリはスミノフの言葉に縋った。

「儂が思うに、君はまだレティシアくんのことを愛せるか、愛しているのか? それが大事なんじゃないかと思うよ」

「当然です、俺はティアのことが大好きです。それは変わりません」

「なら、やってみる価値はあるんじゃないかね」

「そうですかね、ティアはそれで俺を許してくれますか?」

「いい加減にしなさい。自分のパートナーでしょうが。あなたの幸せはあなたが決めなさいよ」

 スミノフの言葉に、ヒバリははっとする。暗闇の中で、ひよらない正論という光がヒバリの胸をつく。

「ティアを──レティシアを起こしてください」

 ヒバリの決意を聞くと、スミノフは、にっと頬を綻ばせた。

 スミノフは先ほどストレッチャーで運ばせた女の人に、指示をして中へ戻させた。

「ヒバリくん」

「はい……」

「報告によると、第一拠点、第二拠点でもデータをとってあるようだ。レティシアくんが、戦争の記憶も取り戻したいと言うのなら、もう一度ここに来なさい。我々が全面協力をしよう」

 スミノフはそう言うと、彼自身も奥の方へ引っ込んでしまった。ヒバリは、まだ僅かに心にざらつきはあるものの、すっきりとした心情でスミノフの背中を見送った。


 これはいつかの記憶。ヒバリがレティシアへ告げた原初の記憶。

「俺は、ティアを健やかなる時も病めるときも愛すと誓うよ。だから、結婚してください」

 レティシアはその答えに、ひとつ条件を付け足した。ヒバリは、覚えているだろうか。

「私を愛して。私が死んでも、私が私でなくなったとしても」

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