任務:徳妃の色香を抑えよ⑧

シュウ徳妃の処遇をどうするか。


単純に考えれば「放っておく」というのが最適解なのだろう。彼女は男性を愛せないし、陛下も彼女を好んでいない。

このまま陛下と顔を合わせなければ、女の役目から逃れ残りの人生を静かに生きていける。


しかし私たちの誰からもその案は出てこなかった。

このままだと徳妃は「罪人」という自責の念に苦しみながら一生を過ごすことになる。

彼女の過去を知ってしまった今、それを傍観できるほど私たちは冷酷になれない。


『同性愛は罪ではありません。上級妃だからといって子を産む必要もありません』


かといって、そう私たちがいくら説いたところで彼女には何も響かないだろう。

話し合いは平行線をたどる一方だった。


「……何だか、最初に戻ってしまったようですね」


紫雲さんがため息とともにつぶやく。


「最初って?」


「トウコさんを蝋梅ろうばい宮に連れていった時ですよ。徳妃に淑やかな衣装を贈ろうとして……」


私は「ああ」と声を漏らした。ほんの数日前のことがもはや昔のようだ。

あの頃は徳妃の問題が「色気がありすぎる」ことだと当たりをつけ、彼女へ控えめな衣装を贈ろうとあれこれ思案して────今となっては見当違いもはなはだしい。


『彼女の場合、何を贈るかではなく誰が贈るかですよ』なんて自信満々に言い放った自分を思い出し、私は両手で顔を覆いたい衝動にかられた。


「………」


私はふっと下を向き、机に片ひじをついて考える。


「トウコさん、どうしました?」


「何か思いついたのか?」


急に黙りこむ私の顔を2人が同時に覗きこんだ。


────何を贈るかではなく、誰が贈るか……


私はそのまま机に両手をついて立ち上がる。

ガタンと椅子が思いのほか大きな音をたてて、ふたりの顔が同時に上を向く。


「……わかりません。お手上げです」


期待のまなざしをさえぎるように、そう言って軽く両手を上げてみせる。

ふたりは揃って大きく目を見張った。

これには青藍さんも立ち上がり「おい諦めるのか」と私をさとした。


「これまで幾人いくにんもの妃を救ってきたお前が、ここでさじを投げるなど……」


言い終わるのを待たずに私は返す。


「これまでだって意図して解決してきたわけじゃないです。どれも偶然の産物でした」


「………」


思い当たる節があるのか青藍さんは反論せず口をつむぐ。


「自慢じゃないですけど私、皆さんとは比べ物にならないほど自由で恵まれた世界で生きてきました。こんな窮屈な場所で生きる女性の気持ちに寄り添えるはずがない」


この世界の人間は、生まれた瞬間から"親の身分と性別"で人生がほぼ決まっている。

かつての私に当たり前のようにあった選択肢が、高貴な妃たちにさえ存在しないのだ。


「それに徳妃の問題は根が深すぎます。男尊女卑に同性愛、後宮────」


言葉に自然と熱がこもる。

腹の底から沸き上がる感情はこの世界ではなく自分に対するもの。思い上がっていた私自身へのいきどおりだ。


「そんな彼女を救える人間なんて、そういませんよ」


そう言い放つと私は扉の方へと足を踏み出す。


「どこへ行く」


まるで全てを投げ出すようにひとり退室しようとする私に青藍さんがたずねた。

私は振り返らずその場で立ち止まる。


「……救える人のところです」


「そんな人間などいないと、今言ったではないか」


「1人もいないとは言ってません!」


走って部屋を飛び出したのは、引き止められるのを防ぐためだった。

あの人にこの事を話せるのは今しかない。青藍さんがここにいるうちに────



*   *   *



「……トウコ、どうした?」


とつぜん清龍宮に駆け込んできた私を見て、陛下は驚きの声を漏らした。


若い宦官数人が私を制止するように立ちはだかるが、緊急時以外は女性の身体に触れられないルールのため、私は構わず部屋の中に進む。

陛下のいる執務机の前で立ち止まると、間に合わせのような揖礼ゆうれいをする。


「急に……申し訳ありません。どうしても、聞いてほしいことが……」


息を切らしながらうったえる私に陛下は眉をひそめた。そのうち何かを察したようにうなずき、部屋にいた宦官や侍女を下がらせた。


「……ようやく分かりました。あの方の抱える問題が────」


それが誰のことなのか、陛下はすぐに気づいたようだった。終始陛下は机に広げた書状をながめ、表面的には何の関心も示していないように見える。

私はまた話をさえぎられるのではという不安にかられ、言葉が自然と速足になる。

しかし、結局口を挟まれることは一度もなかった。


「────そうか……」


全て聞き終えると視線を書状に落としたまま静かにそうつぶやいた陛下。その目は私が話し始めた時から紙面を追ってはいなかった。


「陛下は気づいていたんじゃないですか?」


そう問うと、ようやく視線がこちらを向く。


「好き嫌いだけで、陛下が誰かを冷遇するとは思えないんです。だってあの時、楊婉儀ヨウえんぎや私たちをかばってくれたじゃないですか」


かつて妃の不注意でケガを負った陛下は、彼女たちが不当な罰を受けぬようひとり苦心していた。


『相手が誰かは関係ない』

ほとんど面識のなかった妃を庇いながらそう言った陛下が、果たして一度会っただけの徳妃を嫌い露骨に避けるだろうか。


「すみません。この前は私、全然冷静じゃなくて。陛下の言うことを真に受けて……」


あの時の陛下がそういう"ふり"をしていたとしか、やはり思えないのだ。

たとえば陛下は秀徳妃の問題に気づいていて、彼女の負担にならぬようあえて避けていた、とか。


そんなことに何故私は気づけなかったのだろう。


「……それはちがう」


自責の念から頭を下げる私に、陛下は力ない声を漏らし首を左右に振る。それから続く何かを言おうと口を開くが、代わりに出たのは大きなため息だった。


「……買い被りすぎだ。わたしは愚かで、短絡的で……」


自分自身に言い聞かせるような物言い。言葉尻が香炉の煙のように消えていく。


陛下の真意は読めない。けれど、あれほど頑なだったその心持ちはこの前とは明らかに異なっている。


私はもう一度両手を胸の前で固く組み、いつも青藍さんがするように丁寧な揖礼ゆうれいをささげた。


「陛下、あらためてお願いします。秀徳妃ともう一度会っていただけませんか」


陛下の人生は秀徳妃と似ている。王宮という鳥籠の中で育ち、幼くして即位した。人生の全てを国のために捧げる陛下こそが、本当の意味で彼女の心に寄り添えるのではないか。


「………」


ふたりきりの執務室に沈黙が降りた。


「少し……時間がほしい」


私が顔を上げると、陛下はまだ混乱の中にあるようだった。

無理もない。同性愛者だと知った上で妃とどう向き合えばいいか、その答えを知る者は誰もいない。


「そうですよね。すみません、急にこんな……」


「……必ず会いに行く。日時は追って知らせるから」


困惑に揺れる黒い瞳の中にも、力強い光がさすのを私は見つけた。


「ありがとうございます」


深く頭を下げて、私は陛下に背をむける。無理を言って押しかけた私がこれ以上とどまるわけにはいかない。

部屋から離れようとすると背後から呼び止められた。


「トウコ、ひとつだけ教えてくれ。徳妃は────」


振り返ると、かつてないほど真剣な眼差しがこちらを向いていた。


「はい」


私は無意識にごくりと喉を鳴らす。


「────徳妃は、何色が好きだろうか?」


「……は?」


……聞き間違いだろうか。

この流れで一体なぜその質問に?


「色……ですか」


「ああ」


こちらを見据えたまま机に両ひじをつき、ゲンドウポーズをかまえる陛下。

この状況はまさにあの時の─────……

私の脳裏をよぎる一抹の不安。まさか陛下、この期に及んで『徳妃にも桃饅頭100個贈ろう』みたいなことを考えているのでは?


「ええと、好きかは分かりませんが、蝋梅ろうばいの花はよく眺めておられますが……」


質問の意図が分からず曖昧な返事しかできない。


「蝋梅……か」


ゲンドウポーズのままゆっくりうなずく陛下。表情はいたって真面目だ。


「ありがとう。下がって良い」


ひとまず納得したような顔の陛下とは裏腹に私の不安は膨らむ。

……私、また何か間違えた?


徳妃の問題はこれまでとは比べ物にならないレベルの深刻さだ。

だからこそ陛下に任せるという決断を私はしたわけだが……。

ここでやらかしたら陛下、マジでシャレにならないよ?


置き場のない不安を抱えたまま私は清龍宮の門をくぐる。

胸がざわつくのをごまかすため、上着のフードを深く被った。

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