任務:徳妃の色香を抑えよ⑦

「───私ももう13の娘ではない。愛することと婚姻は別物だと分かっているし、世継ぎを産むという役目もわきまえているわ」


過去をしのぶように語る秀徳妃を見て、頭の中のハリシャという少女がようやく目の前の彼女と重なった。


「けれどあの日、私の前から去る陛下を見て……この"罪"が見透かされたのかもしれない。そう思って怖くなったの。早くそれを否定せねばと」


徳妃は寝台の上で震える自分の腕をつかむ。

彼女はこの国に来た時からずっと、こうして己を押し殺し"理想の妃"を必死に演じていたのだろう。


「じゃあ……もしかしてあの媚薬、陛下ではなくご自身に使うつもりで?」


私がたずねると徳妃ははっとした顔をこちらに向けてから、うなずく代わりに顔を伏せた。

これには私の横にいるチェンさんも驚きの表情をみせる。


私は徳妃に媚薬を渡した時のあの微妙な反応にようやく合点がいく思いだったが、まさか自分で飲むつもりだったなんて想像もしなかった。


「男性が……怖いわけではないの。ただ、どうしても普通の女性のようにはお仕えできないから。でも……」


うつむく徳妃は続く言葉をためらい飲み込んだ。

ブルーグレーの瞳が揺れ、涙がじわりとにじむ。


「あの夜お話しした陛下があまりにも……お優しくて。世の中にあのような男性がいることをはじめて知った。陛下に……これ以上嘘をつきたくない。たとえ子を産んでも、この罪を隠したまま陛下や我が子に向き合う自信がない」


複雑な胸中を吐露しながら、ついに涙をこぼす徳妃。

その表情を見て私は確信する。

彼女がいつも蝋梅ろうばいを眺めながら陛下を待ち焦がれる眼差し────やはりあれは本物だ。

ただその根底にある気持ちは想像と違い、限りなく純粋なものでしかなかった。


かける言葉がない。

人の心はそのすべてが「異性愛者」「同性愛者」という枠におさまるほど単純ではない。

そんな当たり前のことになぜ気づけなかったのか。


「陛下はやはり私の罪に気づいて、だから私を嫌っておられるのかしら……」


涙ながらに徳妃がつぶやく。


「それは───……」


「それは誤解だと思います」


返答に迷う私の代わりにチェンさんがこたえた。

橙さんは両手で軽く拱手し発言を続ける許しを請う。


「同性愛者に対するそのような治療まがいはの話は聞いたことがあります。それらに医学的根拠は見いだせず、ただ心身を崩壊させるための虐待行為だと僕は考えます。陛下もその現状に心を痛めておられましたから、もし陛下が徳妃様の秘密を知ったとしても罪人だとは思わないはずです」


「………」


橙さんの話はいつも憶測や感情ではなく事実に基づいており、そのぶん説得力がある。


────ああそうだ。陛下は……


私も目が覚めた気分がした。感情的になりすぎていた自分に気づき、今一度すべきことを思い出し顔を上げる。


「徳妃様、この件もう一度我々に任せていただけないでしょうか」


はっきりとした声で問うと、濡れた瞳が静かにこちらを向いた。


「私は徳妃様と比べ人生経験が浅い上に配慮も足りません。なのでそのお心に寄り添い救うことは難しいのかもしれません……」


私は手元のBL小説にいっしゅん視線を落としたあと拱手する。


「ただ、徳妃様へ心を寄せる者は私一人ではありません。私たちのできる全てを尽くし、徳妃様の憂いを少しでも軽くして差し上げたいのです」


「………」


徳妃は少女ハリシャの顔で静かにうなずいた。



「────なんて大見得おおみえきっちゃいましたけど、そもそも今の話って誰かにして良いものでしょうか?」


蝋梅宮から出た私は橙さんにたずねた。空はすでに灰色と橙色の二層に染まっている。


妟肖あんしょう国ほどではないが、この国も男尊女卑的な考えや同性愛者への偏見はある。

何より国王の妃が同性愛者というのは国をゆるがす大問題ではないか。

罰せられたり、祖国へ送り返されたりしないだろうか。


不安にしずむ私に対し橙さんはいつもと変わらぬ少女のような笑みをみせた。


「トウコ殿が心から信頼できる方には、話してみて良いと思います。昔から後宮には"そういう人"、けっこう多いんですよ」



*   *   *



「そうでしたか……」


私が話し終えると紫雲さんはそう言って大きくため息をついた。

いつも柔和な人がそんな反応をするということは、やはり後宮にとって大問題なのだろうかと不安が大きくなる。


「ああ、落胆したのはそれに気づけなかった自分に対してですよ。私としたことが不覚でした」


そして申し訳なさそうに拱手し頭を下げる紫雲さん。


「でも紫雲さん、徳妃の"匂い"の違いには気づいてましたよね」


彼女が普通の女性とは違うことを紫雲さんの嗅覚は察知していた。

しかし徳妃は同性愛者とはいえ婚姻歴があり、何より彼女の憂いの原因はそれだけではない。いずれにせよ今回はあまりにも難しすぎた。


「まさか徳妃にそんな過去があったとは……全く気づかなかった」


その一方で眼鏡の奥の瞳を震わせる青藍さんは相変わらずの反応だ。


「……あの、徳妃は婚姻歴も隠してたみたいですが、それもまずいのでは?」


私の問いに2人は息を呑み、静かな仏殿に一瞬だけ心地悪い空気が流れた。


「……いや。それはさほど問題ではない」


答えたのは青藍さんだ。


女性には貞淑さが好まれるとはいえ、後宮にも離婚歴のある妃が全くいないわけではない。

何せ過去には前王の妃を娶ったり、人妻や妓女を無理やり後宮に入れる国王もいたくらいだからと。


「じゃあ同性愛者という点は?」


今度は紫雲さんがこたえる。


チェン医師の言う通り後宮には"そういう人"も少なくありません。やはり男性との接点が少なく、女の園で暮らすうちにそうなる方が多いようですね」


紫雲さんが言うには、そういう人は公表こそしないが女の役目や寵愛争いから外れそれなりに楽しく暮らしていたそうだ。


続いて青藍さんが「俺が言うことではないが」と前置いた。


「四夫人とはいえ必ずしも子を産む必要はないし、国王とほとんどまみえる機会のない妃は大勢いる。正直な話、徳妃がそれほど気に病む必要もないと思うのだが……」


ただ青藍さん自身にとっては頭の痛い問題ではある、というのは表情から見てとれた。


私は彼に同意を示しつつ「秀徳妃は繊細な方なんですよ」とこたえた。


たとえば彼女が紅貴妃のような豪快な女性であれば、さほど問題にもならなかったのだろう。

それに加えて徳妃はある種のマインドコントロールにより自分が罪人であると植え付けられている。


しばらく話を聞いていた紫雲さんが心痛な面持ちで自分の胸元をつかんだ。


「いま徳妃の心は、罪の意識と陛下への思いで板挟みになっておられるのでしょう。このまま"冷遇された妃"というレッテルを貼られ続けるのも不憫ふびんですね。蝋梅宮の女官たちはまだ事情を知らないのでしょう?」


紫雲さんの話にうなずきつつ青藍さんは話を本筋に戻す。


「目下の問題は、今後の徳妃の処遇をどうするか、だな……」


今回は問題が問題なだけに、大っぴらにすることもできない。


「せめて重圧から逃れて静かに暮らせるよう、四夫人から格下げしてみては?」


私の提案にふたりはそろって複雑そうな顔をした

妃の降格には相応の理由が必要だし、何より異国の妃となれば相手国との軋轢あつれきになりかねない、と。


「それに、妃位に関しては陛下の許可が必須だからな……」


そう言いよどむ青藍さんの気持ちもわかる。


チェンさんの言う通り陛下は同性愛者を嫌悪するような人ではないはず。しかしどんな人格者であろうと自分の妃がそうだと言われて「ハイそうですか」と素直に受け入れられるものだろうか。

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