任務:徳妃の色香を抑えよ⑨

「緊張してますね」と背後からささやく声に、「そりゃあそうですよ」と返すのが今は精いっぱいだ。


どんよりと鼠色の空を窓越しに眺めながら、私たちは蝋梅ろうばい宮で陛下を待っていた。

体調を考慮し寝台に座る秀徳妃のそばには妟肖あんしょう国の侍女が三人、それに私と紫雲さん。部屋にいるのはこれだけ。


秀徳妃シュウとくひとの対面を約束した陛下は、訪問にあたって二つの条件を出した。

一つは、同席するのはすでに徳妃の"秘密"を知る者だけにすること。

そして二つめは、当日の通訳を私がつとめることだ。


「陛下はいったい何を話すのでしょうか。トウコさん何か聞いてます?」


「いえ何も……」


この部屋の誰よりも私が緊張しているのかもしれない。予期せず重役をになうことになった上に、先日の陛下の発言────「徳妃は何色が好きか」だなんて謎質問をされたのだから不安しかない。


今回の通訳にあたって陛下にはただ「時間をかけても良いから、細かなニュアンスもすべて伝えてほしい」とだけ言われている。


「よほどトウコさんを信頼しておられるのでしょう」


「……」


その信頼に果たして私はこたえられるだろうか。陛下のことを信じきれなかった私に。


部屋の外が騒がしくなり室内に緊張が走る。


開いた扉の向こうから現れたのは陛下と青藍さんだけだった。

秀徳妃が寝台から立ちあがると私たちは一斉に拱手し、陛下に揖礼ゆうれいをささげる。


「楽にしてくれ」


そう言って黒い上着の肩についた雪をはらう陛下。

いつもは幼さの残る顔が、今日はずっと大人びて見えた。


徳妃が腰を下ろし、私が側へ控える。

それを見届けると陛下は立ったまま窓の方を向いた。


「……以前ここへ来た日も、あの花が咲いていた。もう一年たつのか」


視線の先にあるのは庭の蝋梅の木。可憐で黄色い花を見つめながら陛下は続ける。


「あの日わたしが『雪の中で咲く蝋梅はさらに美しい』と教えたら、そなたは一緒に見たいと言ってくれたな」


私の通訳を聞き終えるのと同時に、徳妃がはっと顔を上げる。


「覚えて……おいででしたの」


声を震わせる徳妃に、陛下はこちらを向いてうなずいた。


徳妃はいつもこの部屋からあの蝋梅を寂しげに眺めていた。その理由がいま明らかになった。

彼女は陛下と交わした約束が叶う時を待っていたのだ。


「────長い間、会いに来れずすまなかった」


陛下は椅子に腰をおろし、おそらく一年ぶりに徳妃の顔をまっすぐ見る。

そして低く落ち着いた声で話し始めた。


「ここで過ごした時は本当に楽しかった。ただあの時、話しているうちにそなたの声が……少しずつ震えているのに気づいたのだ。それは本来聞き取れぬくらいの、ほんのわずかなものだ。わたしは昔から耳が良いようでな」


思わぬ告白に、徳妃の目が驚き見開かれる。当時側にいたはずの侍女さんたちも眉をひそめ顔を見合わせた。


複数人の話を同時に聞き分けられるという陛下の特殊な耳、それは相手のかすかな感情の振れさえ感じ取ってしまうらしい。


「その震え方は、かつて臣下たちが私の母、劉太后リュウたいこうを前にした時のそれによく似ていた。……畏怖、恐れだ」


"恐れ"という言葉に徳妃はわずかに陛下から視線をそらした。


「そなたがわたしの何を恐れているのか分からなかった。おそらく祖国が絡んでいるのだろうと思い、秘密裏に調べることにした。妟肖あんしょう国の大臣にまいないを送り、何とか聞き出せたのはそなたが……過去に一度結婚し、離縁されていた事だけだった」


かつて青藍さんから聞いた「陛下は妟肖あんしょう国へ絹や銀を贈っていた」という話がここで繋がった。

誰も気づけなかった徳妃の秘密に、陛下はたった一度の面会でそこまで迫っていたというのか。


それでも陛下はどこかきまり悪そうな顔で続ける。


「……その事からわたしはそなたが……徳妃が、子を産めぬ身体なのではないかと考えたのだ」


皆がほぼ同時にはっと息を呑む音が室内に響いた。

この世界で女が離縁される理由の最たるものは子が産めないことだ。


「確かめる術はなかったが、あの日そなたが、それが露呈ろていするのを恐れていたとすれば筋が通る。だからわたしはその"秘密"を……守らねばと思った。だからそなたを避け、間違っても夜伽などさせぬようにと」


これまでの行動の真意がつまびらかになっていく。

陛下は何も「子を産めぬ妃は用無し」と切り捨てたわけではない。ただ徳妃を守りたい一心で───その想いを乗せた言葉を私は徳妃に伝える。


徳妃や侍女さんらはただ絶句する。

一国の王が妃のためにそんな行動をするなど、にわかには信じがたいのだろう。


そして真実は私たちが予想したものよりも、はるかに健気で情深いものだった。


「そなたは優しい人間だ。きっとわたしが冷たくあたるほど周囲の者は寄り添い支えてくれるだろう。わたしは国王であるゆえ"秘密"についておおやけにたずねたり慰めることができないから。してやれることは……それだけだと、思って……」


話すのが苦手なはずの陛下が、ひとりで必死に言葉をつむいでいる。

その決断に至るまでの苦悩や葛藤を目の当たりにしているようで、胸がしめつけられた。


「……では、すべてわたくしのために────」


徳妃が思わず声を漏らす。


これは青藍さんも初耳だったのだろう、「してやられた」とでも言うように手のひらで額を覆った。

そうなるのも無理はない。私たちは見事に陛下の思惑通りになってしまったのだ。

徳妃が理由なく冷遇されているという噂は今や後宮中に広まり、他の妃や下女までが彼女に同情している。

たった一つ、陛下への不信感を代償に────。


「なぜ、そこまで……」


動揺を隠せない様子の徳妃。彼女の境遇を思えば、自分がここまで心を砕かれるなど理解しがたいはず。ましてや陛下とは一度対面しただけの仲だ。


「理由は……よくわからぬ。しいて言えばそなたが……家族だからだ」


うつむき頬を染める陛下に、私は心の中で言った。

"全部逆じゃないか"と。


『一人しかいないわけではない』

『選り好みする権利がある』


あのかたくなな態度や冷たい言葉は、全て徳妃を守るためのとりでだったのだ。

それが強固であるほどに、隠された心がどれほどの覚悟と慈愛に満ちていたかを思い知らされた。


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