告白①

覇葉城の敷地は大きく分けて外廷がいてい内廷ないていの二区画に分かれている。

内廷ないていというのが奥にある、いわゆる後宮。

その外にある外朝には主に公的行事を行う建物や官吏たちの仕事場がある。

外廷の中でも奥まった場所、内廷寄りにあるのが宦官たちの住む宿舎やお屋敷だ。


空が薄い水色とだいだい色の二層に染まる頃、私を迎えに来たのは仏殿の若い僧侶さんだった。彼に案内されて私は後宮の門を出る。


門を出るのに必要なものは「魚符ぎょふ」と「外出許可書」の二つ。

「魚符」とは魚の形をした銅製のキーホルダーのような割符で、左右ペアになったものの片方を私、もう片方を門番が持っている。通過する際は左右が合致するかを門番が確認する。

「外出許可証」には行き先とだいたいの帰宅時間、そして私の名が書かれ門を出る際に回収される。許可証には青藍さんの印も押してあった。


やはり妃嬪であれば後宮を出るのはもっと厳しく制限される。しかし聖人である私は本来外朝での居住も許されている身、この二点セットがあれば1人でも通れるのだそう。


「後宮の門は出る時よりも入る時の方が厳しいんですよ」


「そうなんですか?」


「はい。女官にふんして入り込もうとする者もいますし、後宮の女性がよからぬものを外から持ち込む場合も」


「ああ、なるほど…」


"よからぬもの"はたとえば男性だったりもするのだろうか。


門を出てしばらく歩くと宦官たちの居住スペースが現れた。

このエリア、昔は後宮と同じく「内廷」に区分されていたらしい。今もその頃と場所自体は変わらないが、厳重な門と共に「外廷」へとしっかり区別されるようになった。

それは宦官たちが"本物の宦官"ではなくなったことに起因しているらしい。


腰に黒い紐を垂らした僧侶さんとそんなことを話しながら歩いていると、目的地に到着した。


紫雲さんが住むのは黒塗りの木造2階建てのお屋敷だった。

外廷の住居地は面積が限られているので、広さがあまりないかわりに2階建てが多いのだそう。

それでも十分大きな家だと思った。



「こんばんは」


「ああ、いらっしゃい。あんたがトウコさんかい?」


「あ、はいそうです」


出迎えてくれたのは気の良さそうな年配の男女。ご夫婦っぽいけれど紫雲さんの両親ではなさそう。たぶんお手伝いさんだと思う。


「あの人は2階にいますからね、どうぞそのまま上がってくださいな」


「はい。分かりました」


正面にあった木造の階段を上がる。


それにしても、こんな時分に女が1人で来たっていうのに変に勘ぐられる様子もなかった。

それだけ紫雲さんはちょくちょくこうして女性を家に呼んでいるのだろうか……。

階段に足を踏み出すたびに無駄に心拍が上がり、ちょっと息苦しくなってきた。


「こんばんは。おじゃまします……」


「いらっしゃいトウコさん」


「うわあっ!」


部屋の扉をそっと開けると、ほぼゼロ距離の位置に紫雲さんが立っていたので思わずのけぞる。


「今か今かと待ちかねていましたよ」


「それなら下まで降りてきてくれたら良かったのに…」


心臓がバクバクうるさい胸を押さえながら私は部屋へ入る。


部屋の中ほどまで入ると紫雲さんはくるりとこちらを振り返り得意げに言った。


「トウコさん。今の私はいつもとどこか違ってますよね?」


「はい?」


「何が変わっているか当ててみてください」


「まあ、服装……ですかね」


今の紫雲さんは後宮で着ていた紫の衣ではなく、うぐいす色の浴衣のような衣を着ている。部屋着か普段着といったところだろう。


「惜しい!それもありますけど……」


そう言って自分のお腹の辺りをポンポンと叩く。


「あ!」


そういえば、いつも帯から垂れている紐がない。


「今の私はただの"男"ですよ?」


したり顔でニヤリと笑う紫雲さん。


「………」


……言い方よ。


しかし"アレ"を見せられるのではという私の予想は外れたのでほっと一安心。


────いや、安心していいのか?この状況……


むしろ"アレ"をしてない状態を見せられる可能性は────?


警戒するように周りを見渡せば、灯りをともすロウソクに目がいく。オレンジの炎がゆらゆら揺れて、溶けた先端から白いロウがたらりと垂れた。


とたんに顔が熱くなり私は思わず頭を抱える。


どうしようどうしよう────……


湧き上がる妄想と荒ぶる感情のけ口がなくて、その場で軽く地団太じだんだを踏んでしまう。



「何1人で踊ってるんですか?早くこっち座ってください」



気づけば紫雲さんは既に円卓の前に腰かけている。

円卓の上には既に豪華な夕食の準備がしてあった。


鼻をかすめた美味しそうな匂いに空腹だったことを思い出し、私は大人しく席に着いた。


「トウコさんお酒は?」


「あまり飲まないですね…」


……いや待てよ。

そういえば男性は酔うと"機能しなくなる"と聞いたことがある。

ここで飲ませてしまえば、私の身の安全は保障されるかもしれない。


「でもせっかくなのでいただきます」


2つの白い小さなさかずきに、透明なお酒が注がれる。


さっそく杯に口をつける。

普段酒を飲まないのでよく分からないが、日本酒と似たような味かな。甘みはあまりない。

どうせなら韓国のマッコリみたいなのだったら良かったのに。


向かいの紫雲さんが杯を唇から離し円卓に置くと、それは既に空になっていた。

そして呟く。


「私も今日はどうしても飲みたかったので、ちょうど良かったです」


「……何かあったんですか?」


後宮で嫌な事でもあったのだろうかと心配になり、顔をのぞく。


「トウコさんに聞きたいことがあったんです。素面しらふではどうも聞きづらくて、それで今日ここへ呼んだのですよ」


目下の円卓に向いていた紫雲さんの視線が上がり、目が合う。

すこし熱っぽい瞳に胸がざわついた。


今日の紫雲さんは酒のせいか、それとも"アレ"をしていないせいか、いつもの柔和な雰囲気がとれて野性的な感じがする。


「な、何でしょうか」


今度は私が視線を円卓に下ろす。

これ以上見つめ合うのは危険だ、色々と。


「………」


少しの沈黙が流れる。


きっと言おうか迷っているんだ。


あのコミュ力万能な紫雲さんが、私なんかに何をそんなに言いづらい事があるんだろうか。



「トウコさんって、もしかして─────」


静かな部屋に、ついに紫雲さんの声が響いた。


私はうつむいたまま口内の酒をごくりと飲み下す。


喉がじんわり熱くなった。



「─────私のこと、嫌いですか?」

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