第7話 誓い


 それから何事もなく、マサヒデの速攻の一撃で次々と試合は終わっていった。

 黙々と試合をこなしていく。


「それまで」


 というアルマダの声が次々と上がる。

 何本試合をこなしたか。マツモトが扉から顔を出した。


「本日はこれで終了と致します」


 と、2人に声を掛けた。


 今日の試合は終わった。

 その瞬間、マサヒデの心は沈んだ。

 棒立ちのまま、右手をじっと見て、訓練場の中央に立っている。


 アルマダが「湯をお借りしてもよろしいですか?」と聞いている。

 それを遠くの出来事のように聞きながら、マサヒデはまだ立っている。


 アルマダがマサヒデに近付いてきた。


「行きましょう」


「はい」


 2人はゆっくりと、湯に向かった。



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 からから、と戸が開いた。


「・・・戻りました」


「・・・おかえりなさいませ」


 手を付いたマツの、鋭い目。

 黒いオーラがもうもうと立ち上っている。

 だが、マサヒデは怖れるようなこともなく、立っている。


「・・・」


「どうぞ、お上がり下さい」


 言われるまま、マサヒデは黙々と履物を脱ぎ、足を払って、縁側の部屋へ向かっていった。

 うつむき加減で、何かおかしい。

 どうも、昼の事ではないようだ。

 怒り心頭であったマツも、さすがにこれはおかしいと気付く。


「・・・?」


 それでも鋭い目を向けつつ、マツは立ち上がり、夕餉の準備を始めた。



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「夕餉でございます」


 マツが進めた膳を前にして、膝に置かれたマサヒデの手が震えている

 あまりに様子がおかしい。


 しばらくして、マサヒデは箸を取って黙って食べ始めた。

 怒りで頭が一杯になっていたマツも、その様子を見て心配になり、声をかけた。


「どうか、なさいましたか」


「・・・はい」


「あの、昼の事では、ありませんよね」


「はい」


「では何か・・・」


「・・・後で、お話しします」


「・・・はい」


 マツは急に怒りが収まって、何か疎外感のようなものを感じ、ぽつねん、と黙って箸を進めた。



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 マサヒデは縁側に座り、腕を組んで、険しい顔でじっと夜空を眺めている。

 のんびり月でも、という顔にはとても見えない。

 マツがそっと、湯呑を差し出した。


 マツは少し後ろに引いて、マサヒデの背中をじっと見ていた。

 言葉を待つ。


 そのまましばらく沈黙が続いた。

 マサヒデは冷めた湯呑を取って、一口茶を呑み、ことん、と置いた。


「・・・マツさん」


「はい」


「昼の試合、見ていましたか」


「はい」


「最初の試合も、見ていましたか」


 あの、忍のような男との試合か。


「あの、顔を隠した方との・・・」


「はい。その試合です」


「ふふ、お見事でした。最後の居合抜き、かっこよかったですよ。私も、怒りを忘れてしまいました」


 マツはそっと近付いて、マサヒデの横に座った。

 顔を見上げると、マサヒデはまだ険しい顔で、空を見上げている。


「・・・」


「あの試合、どうかなさいましたか」


「マツさん。私、今回の試合に全て勝つ、と心に誓いました」


「はい」


「最初は、ただ強い者と戦うことが、楽しみだった」


「・・・」


「しかし、あなたと、あなたの腹にいる子が、私を見ている」


「・・・」


「そう思った時、楽しもう、などという気は失せました。必ず全勝し、あなたと、子に・・・」


 マサヒデはそこで言葉を切って、また沈黙した。

 マツはそっと腹を見て、そっと手を当て、険しい顔のマサヒデを見上げた。


「あの試合・・・私は、負けました」


「え?」


「・・・試合は私の勝ちでしたが・・・」


「勝ったのに負け? 分かりません。どういうことでしょうか」


「もし、あれが真剣での勝負であったなら、私は、負けていた。死んでいた」


「真剣の勝負だったら、負けて・・・」


 「死」、という言葉を、マツは飲み込んだ。

 マサヒデは小さく頷いた。


「あなたと、子に、とても合わせる顔がない。そう思いました。それでも、謝らねば。そう思って、ここに来ました」


「マサヒデ様」


 マツは、ことんとマサヒデの肩に顔を置いた。


「本当に、わがままな方」


「申し訳ありません」


「あなたが勝手に立てた誓いで負けてしまって、それで、もう合わせる顔がないなんて」


「・・・」


「そんなこと、私は許しませんよ。私とこの子に誓いを立てるなら、私達の所に来てから誓って下さい」


「それは・・・いや、たしかに仰る通りです。自分勝手な誓いでした」


 マツはにこっと笑って、立ち上がった。


「さ、マサヒデ様。こちらを向いて。片膝を立てて、手を付いて下さい」


 マサヒデはマツの方を向いて、片膝を立てた。

 マツは「きりっ」と真面目な顔になり、マサヒデに言った。


「マツ=フォン=ダ=トゥクラインが申し付ける。マサヒデ=トミヤス。今ここで誓え。愛する妻の為、愛する子の為、そなたは、これからの一生、全ての勝負に打ち勝ち、妻と子に栄光をもたらすのだ」


「マツさん」


 マサヒデはマツの顔を見上げた。

 真剣そのものの顔だ。


「これを誓えるのならば、繰り返せ。愛する妻の為、愛する子の為、そなたはこれからの一生、全ての勝負に打ち勝ち、妻と子に栄光をもたらす」


「愛する妻の為、愛する子の為、私は、これからの一生、全ての勝負に打ち勝ち、妻と子に栄光をもたらします」


「よろしい。マサヒデ=トミヤス。そなたの誓い、このマツ=フォン=ダ=トゥクライン、しかと受け取った。そなたの妻と子に、必ず栄光と・・・そして、必ず幸せをもたらせ。これはフォン=ダ=トゥクラインからの命である」


「はい。必ず」


 マツは真面目な顔を崩し、にこっと笑って、マサヒデの前にしゃがみこんだ。


「うふふ」


「誓いました」


「誓いましたよ」


「これから、全部勝ちます」


「さ、崩して下さい」


 マサヒデは元のように縁側に座った。

 マツも、マサヒデの隣に座って、また肩に顔を乗せ、腕を絡ませた。


「ね、マサヒデ様。あなた、今、トゥクラインに誓いを立てたんですよ。もう、負けは許しませんからね」


「ええ、もう負けません」


「言いましたね。ちゃんと聞きましたよ。でも、私や、お父様達にも勝てるかしら」


 マツがいたずらっぽい顔で、笑みを浮かべる。


「そのつもりです」


「うふふ。本当に勝てますかしら? 実戦稽古では、ハワード様と2人がかりでも、私に手も足も出なかったじゃないですか。お父様は、私よりも遥かに強いんですよ?」


「うっ・・・」


 全くその通りだ。

 マサヒデが知っているだけでも、自分より遥かに強い者は既に4人いる。


 マツ、父、魔王、あの忍の男。

 アルマダにも一本取られているから、5人かもしれない。


「・・・じゃあ、逃げるのは許して下さい・・・」


「マサヒデ様ったら、この子に尻尾を巻いて逃げる姿を見せるんですか?」


「まあ、それも兵法のひとつですから・・・」


「弱気なこと。そんな気持ちで誓いを立てたんですか?」


「・・・」


「じゃあ、今の誓いはなかったことにしてあげます」


「・・・はい・・・」


「でも、残った試合は全部勝って下さいね」


「はい」


「それと・・・」


 マツが少し言い淀んだ。

 ふ、と息を吐いて、言葉を止め、夜空を向く。


「なんでしょうか」


「あの銀髪の子。もし、マサヒデ様の所に『そのつもり』で来たら、ちゃんとここに連れて来て下さい」


「はい・・・」


「もう、許してあげます」


「いいんですか」


「勝手に誓ったとはいえ、マサヒデ様があんな誓いを立ててたなんて。怒っちゃいましたけど、私、本当に嬉しかったんですから。きっと、この子だって・・・」


「・・・」


「でも、条件。私が正妻ですよ。妾でも、なんて言いましたけど、ずっと私が正妻。今後、もしマサヒデ様が妻を増やすことになったとしても、正妻は私。ここは誰にも譲りませんよ。絶対に。いいですね」


「はい」


 2人はぺったりくっついて、夜空を眺めた。

 マサヒデの険しかった顔も、穏やかな顔に戻っている。

 ちーん、ちりーん、と風鈴の音が静かに響く。

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