第4話 試合・4


 扉が開き、最初の挑戦者がマサヒデの前に立った。


「よろしいですか」


「いつでも」


 静かなマサヒデの声。

 変わらず、片手に木刀を下げたまま。


「はい・・・」


 同じく静かな、しかし固い声で槍を構える挑戦者。


「では、始め」


 瞬間、かん! と音がして、槍が飛んだ。

 挑戦者の腕が上がり、踏み込んだマサヒデの木刀が、あばらを砕く。


「・・・」


「それまで」


 後ろの方で「がらん!」と大きな音がして、槍が落ちた。


「か、かっ・・・」


 治癒師が駆け寄って、手を横腹に当て、少しして2人は出て行った。


「では、次の方、どうぞ」


----------


 10人ほど倒した後。


(そろそろか)


 入ってこなくても、はっきり分かる。あの魔術師が来ている。

 扉の向こうから、ただならない空気を感じる。


「はじめ」


 ぱん! と相手の剣を落とし、小手を切り上げる。

 骨が砕ける感触。


「それまで」


「うぐっ!」


 折れて曲がった両腕を胸の高さくらいに上げて、座り込む挑戦者。

 駆け寄る治癒師。


 その様子を横目に見ながら、マサヒデは扉の方をじっと見つめる。

 治癒師と冒険者が下がり、扉が開いた。


 やはり、先程の魔術師だ・・・


 マツとは違うが、やはり、武術家や武術主体の魔術師とは違う、独特の空気。

 とす、とす、と、ゆっくり小さな歩を進め、銀色の髪がマサヒデの前に立った。

 手に、訓練用の小さな杖を持っている。


 何の表情もない赤い瞳が、じーっとマサヒデを見上げる。


 死んだ目をしているわけではないが、目に何も浮かんでいない。

 目はちゃんと生きているのに、何も見えない。

 これは、無心というやつだ。

 剣であれば、極限まで鍛え上げた、ほんの一握りの者だけが、達することの出来る境地・・・


(分かってはいたが・・・やはり只者ではない)


 マサヒデよりも、はるかに小さな、細い身体。

 だが、怖ろしさを感じる。

 マツのようなあからさまな恐怖とは違う。静けさがある。

 だが、その静けさが怖ろしい。


「・・・」


 アルマダがごくり、と喉を鳴らす音が聞こえた。


 マサヒデは、試合が始まってから、ずっと片手に持っていた木刀を、初めて両手で構えた。

 構えたマサヒデを見て、はっと気付いたように、アルマダが口を開いた。


「よろしいですか」


「いつでも」


 静かな声でマサヒデが答える。

 アルマダには、その声が少しこわばっているのが分かった。


「・・・」


 黙ったまま、静かに礼をする挑戦者。


(あ!)


 その時、礼をした銀髪の向こうに、ちらっと何か見えたのを、マサヒデは見逃さなかった。


「それでは・・・始め!」


 合図の瞬間、マサヒデは思い切り横に跳んだ。

 ぶわ、と銀髪の後頭部の髪が上がり、背中の首筋から黒い物が飛んで、マサヒデが立っていた場所に広がった。


(やはり! あれは虫だ!)


 アルマダも驚いた目をしている。彼が閃いた、あの死霊術の使い方、そのままだ。

 派手な音がしないから、蜂ではないだろう。

 おそらく、小さな毒蛾のようなものか、それとも毒が仕込んであるか。


 何もない目が、ゆっくりとマサヒデの方を向く。

 軽く杖を振ると、虫が広がって、マサヒデの方にゆっくりと近付いてくる。

 この虫は早いものではないようだが・・・


(まずい。離れてはいけなかった)


 一瞬で低く踏み込んで決めてしまえば、おそらく相手は反応出来なかっただろう。

 これまで通り、速戦即決で良かったのだ。

 跳んで逃げたのは失策であったが、今更遅い。


(虫も魔術も、これだけとは限るまい)


 アルマダとの話を思い出す。

 ノミのような小さな虫でもばらまかれていたら。

 このゆっくり飛んでいる虫は囮で、足元に・・・ということは十分考えられる。


(急いで間合いに入らなければ!)


 横に、だっと走り出した。

 走りながら手裏剣を投げつけたが、予想通り、防がれた。水球が浮く。

 マツの物ほど大きくはなく、手裏剣は抜けたが、大きく逸れて飛んでいく。


(呪文を唱えないな)


 呪文を唱えければ、魔力を大きく使う。

 だが、この銀髪は死霊術を使いながら、他の魔術を使ってくる。

 マツほど無尽蔵ではないだろうが、一戦くらいは呪文なしでも軽く持つ、と見て間違いない。


 続けて2本手裏剣を投げたが、やはり水球がぽん、ぽん、と浮いて逸らされる。

 十分魔力があるのだ。


 虫の群れから離れた所で一旦足を止める。


 跳ぶか? まっすぐ駆けるか?

 雷を打たれては終わりだ。

 雷を打つ準備を始めても、放つ前に、こちらが打ち込める距離に入らなければ。


 虫の群れも、1つとは限らない。

 別にまだ隠していると見てよいだろう。


 手裏剣を投げるように腕を振りながら、前に駆け出す。

 投げるふりだけだ。相手の注意をそらし、集中さえ切らせば、雷は打たれない。


 ぽん、と水球が浮き、次いで、足元に小さく穴が空いたが、駆け出す時にこれは予測していた。

 足の向きを少し変えて、穴を避ける。

 ざ、ざ、と続けて穴が開く。避ける。


 顔の前にぽん、小さな水球が浮いたが、この大きさなら木刀で弾ける。

 軽く振って、ぱん、と弾き、あと一歩で間合いに入る、という所で、ぼふん! と音がした。

 もうもうとすごい砂煙が舞ったが、マサヒデは構わず木刀を振りながら駆け抜けた。


 手応え、なし。


「・・・」


 横に跳び、砂煙から出た所で振り返ると、銀髪が立った体勢のまま、すー・・・と、先程までマサヒデが立っていた所にゆっくり降りていく。

 銀色の髪が巻き上がっている。

 あれは、風の魔術だ。


 虫がまた、遠くからゆっくりとこちらに近付いてくるのが見える。


 打ち込みを避けられはしたが、今までの一連の動きで、大体、相手が分かってきた。


 マサヒデの速さもあろうが、距離があっても、一切、呪文を口にしていない。

 基本的な魔術でも、呪文なしでは大きく魔力を削ぐ。

 水球と穴くらいしか使っていないが、それでも連続していくつも出している。

 このくらいの魔術なら、十分に余裕がある、ということだ。


 おそらく、火は使うまい。使うにしても、非常に小さいもの。

 規模が大きければ、虫が燃える。

 だが、追い詰められれば放たれる怖れもある。


 土はそれほど得意ではなさそうだ。

 基本の土壁や、石を飛ばしたりは当然出来るだろう。

 だが、咄嗟に出せるのは、先程のように小さな穴を開ける程度。


 水はかなり得意そうだ。

 今まで出てきたのが小さな水球なのは、魔力の節約か。

 マサヒデが飛ばした手裏剣の前に、正確に水球を浮かばせた。

 穴を避けながらぐねぐね走っていたのに、これも正確に目の前に水球を浮かばせてきた。


 マツのように泥を作らないのはふたつ考えられる。


 ひとつ。魔力の節約。

 小さな魔力で小さな範囲では、穴を作るのと変わらないし、そのまま駆け抜けられる危険もある。

 咄嗟の場合の為に、魔力の節約している。


 ふたつ。飛ばない虫が既にばら撒いている。

 当然、泥を使えば、この虫達の動きが止まる。


 おそらくこのふたつのどちらかだ。


 単純に、泥が苦手、ということはないだろう。

 魔力もありそうだし、苦手でも泥は適当に広げておけば良い。正確さはいらない。


 風。

 マツは風を起こして目潰しをしたが、おそらくこれも使ってこない。

 そよ風程度でも、虫は散ってしまうからだ。

 今のように、大きく風が起こる術も、虫がどこかに散ってしまうから、追い詰められなければ出すまい。


 かまいたちのような術は苦手そうだ。

 小さいものなら、それほど魔力を使う魔術ではないはずだ。

 そうでなければ、とっくに・・・


 と、そこまで考えて、はたとマサヒデは気付いた。


 虫以外、何も飛ばしてこない。

 火は魔力を多く使うそうだから、飛ばさないにしても、他のものなら飛ばしてきても良いはず。

 石などは単に苦手なだけかもしれないが、あれだけ正確に出してきた水球も、飛ばしてこない。


(はて?)


 虫の群れはまだ遠く。余裕はある。


 マサヒデはもう一度、駆け出した。

 足元に穴が空く。ひょいひょいと避ける。目の前に水球が浮く。

 弾かず、後ろに跳んで離れてみる。


 水球は浮いたまま。

 少しして、消えた。


 手裏剣を続けて数本投げる。

 ぽんぽんと水球が浮いて、手裏剣は逸れていく。

 やはり水球は浮いたまま、少ししてから消えた。


(やはり、飛ばしてこないな)


 どうやら、何か飛ばすことが苦手なようだ。

 ゆっくり飛んでくる、虫の群れ。

 自分が魔術で何かを飛ばすのが苦手だから、こういった死霊術の使い方をするのだ。


(よし!)


 マサヒデは、ばさっ! と諸肌を脱いだ。


「あっ」


 と小さな声が銀髪から上がる。


 手裏剣をゆっくりと相手に見えるよう、3本引き抜いた。

 投げる。

 水球が浮かぶ。


 そして、マサヒデは水玉に向かって急いで駆けた。

 水球が消える前にやらなければ。

 脱いだ道着を水玉に向かって振る。

 道着が濡れた。


 マサヒデはくるっと向きを変えて、虫のかたまりに走り出した。

 濡れた道着を、被せるように虫に向かってふわっと投げる。

 虫のかたまりは、濡れた道着の重さに包まれて、ばさっと地に落ちた。


「・・・」


 ゆっくりと、銀髪の方を向く。

 口を手で押さえ、驚いた顔をしている。

 初めて、目に表情が浮かんだ。


 再度、手裏剣をゆっくりと相手に見えるよう、3本引き抜く。

 ぐっ、と腰を落とし、走り出した。

 やはり、同じように小さな穴が空く。

 数は先程より多いが、気を付ければ大したことはない。

 小さな水球も沢山浮く。

 一振りして、ぱん! と目前の水球だけを弾く。


 銀色の髪が巻き上がり、また風で飛ぼうとしている所で、思い切り手裏剣を投げつける。

 同時に、跳びあがる。

 小さな水が下に浮き上がっているのが見える。


 ばさばさと音を上げて巻き上がる、銀色の髪。

 「あっ」という顔をした、驚いて口を開いた子供のような顔が、マサヒデを見上げた。


 そのまま落ちながら、一撃。

 風で少し流されたが、肩口に入った。十分な手応え。


「きゃあっ!」


 と女のような悲鳴が上がり、浮いていた水球がぼとんぼとんと落ち、訓練場の中の全ての魔術が消えた。

 銀髪が肩を押さえてうずくまる。


「そこまで!」


 アルマダの声が響いた。


「ふうー・・・」


 思わず、息がついて出た。

 やはり魔術師は強い。


 扉が開いて、治癒師が銀髪に向かって走り寄って行く。

 くるりと振り向いて、マサヒデは中央に向かって歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る