第18話 忍達の稽古・2


 夕刻。


 早速、マサヒデの出した訓練を始めるとの事で、初回はカオルに譲られた。

 今回の課題は至極単純なもので、3日以内にブリ=サンクから指定のワインを盗み、無事にこの魔術師協会へ持ち帰ること。クレールの好きな年の物だ。


「ふむ」


 眉を寄せて、カオルは首を傾けた。

 カオルは以前に見つかって囲まれた事がある。

 悔しいが、あの警備を単独で侵入、帰還するのは難しい。

 さて、どうしたものか。


「む・・・」


 しばらく考えてから、カオルは筆を取って、さらさらと手紙を書いた。

 封筒に入れ、懐にしまって立ち上がる。

 これで準備は万端。


(ふふふ。いたずら心か。奥方様、お教え、ありがとうございます)


 にやりと笑って、襖を開けた。



----------



 カオルは居間に入り、


「皆様、先のご主人様が提案された、忍の訓練を行う事になりました。

 ありがたいことに、初回は私めに譲って頂きました。

 まずは、ブリ=サンクに在中の皆様にご挨拶へ行きたいと思います。

 宜しいでしょうか?」


「おお、そうですか!」


「カオルさん、頑張って下さいね!」


 マサヒデの喜ぶ顔。クレールの元気な応援。

 カオルは皆の顔を静かに見渡し、


「本日はご挨拶。明日、侵入とお伝えしまして、警備を固めて頂きます」


 マサヒデは少し驚いて、


「カオルさん、そんな侵入予告のような事を?

 普段より警備が厳しくなってしまうではありませんか」


 カオルは神妙な顔で頷き、


「でなければ、訓練とはなりません。

 以前侵入した時は、囲まれて手も足も出なくなりました。

 しかし、侵入するまでは出来ました。

 私も、以前よりも少しは忍の腕を磨いたつもりです。

 今の腕、どこまで通用するか、レイシクランの皆様へ挑戦致したく」


 わ、とクレールが手を合わせる。


「自信があるのですね?」


「いえ、ありません。成功の見込みは1割あれば良い所かと」


 隣で聞いていたマツも驚いて、


「1割ですか? それでも、敢えて明日行くなどと」


「奥方様、此度は訓練。どこまで通用するか、それが分かれば良いのです。

 自分の足りぬ所なども、身をもって分かりましょうし」


 マサヒデは微笑んで頷き、


「うん、よい心掛けです。

 そうだ。三浦酒天でお弁当と酒でも買って行っては?

 執事さんも、お気に入りだったでしょう」


「おお、そうでしたね。そうします」


 マツが微笑みながら、


「カオルさん。いたずら心ですよ」


 カオルも笑って、


「はい」


 と頷く。

 シズクは寝転がったまま、にやにや笑って、


「お前の腕は認めるよ。でもさ、流石にお前でも無理じゃない?

 ま、応援はするよ。明日が本番だな。頑張れよ」


「勿論ですとも」


 そこで、ぽん、とカオルは手を叩き、


「おお、そうでした。

 折角行くのですから、ついでにクレール様のワインもお預かりしてきましょう。

 何かご指定はございますか?」


「ありがとうございます。

 ええと、そうですね・・・私が好きな物と言えば、用意してくれます」


「承知致しました。では、行って参ります」



----------



 三浦酒天で持てるだけの弁当と酒を買い、よっこら、よっこら、とホテルへ歩く。

 クレールも知らず手を貸してくれた。これなら成功するだろう。

 重い弁当の束と酒を運びながら、カオルは顔に笑みが浮かぶのを必死に堪える。


(よし)


 ホテルはもう目の前。

 あと少し・・・


「お手伝いしましょうか」


 声の方を振り向くと、上等な服を着た男。

 一見、どこぞの貴族と見える。

 だが、これはレイシクランの忍だ。


「ふうー、ではお言葉に甘えて」


 と、酒を渡す。

 男は酒を持ち、


「明日ですか」


 と、小さく笑った。


「はい。私程度でどこまで通用するか分かりませんが、よろしくお願いします。

 全力で参りますので、胸をお貸し下さい」


「はは、分かりました」


 男はにこにこ笑いながら、ホテルまで酒を運んでくれた。



----------



 ホテルのロビーに入ると、大荷物のカオルを見て、従業員がワゴンを押してきた。

 これはレイシクランの忍ではない。


「ありがとうございます。クレール=フォン=レイシクラン様の部屋まで。

 私もご挨拶がありますので、一緒に参ります」


 と、従業員に頭を下げ、酒を運んでくれた忍の方へ向いて頭を下げる。


「お手伝い下さいまして、ありがとうございました」


「いえいえ、構いませんとも」


 男はにこやかに笑って、レストランに歩いて行った。



----------



 従業員2人が弁当と酒を持って付いてくる。

 前の1人が、案内役。

 気を付けてみたが、この3人も忍ではない。


「こちらでございます」


 と、ドアの前で止まった。


「ありがとうございます」


 とん、とん、とノックをして、


「マサヒデ=トミヤスの内弟子、カオル=サダマキでございます」


「おお!」


 と、部屋の中から声がした。執事の声だ。

 マサヒデの名を聞いて、従業員達も驚いた顔をしている。

 流石にマサヒデの名は知れ渡っている。

 かちゃ、とドアが開いて、執事が顔を出し、満面の笑みで頭を下げ、


「サダマキ様、ようこそいらっしゃいました。

 いや、聞いてはおりましたが・・・うむ、これは艶やかになりましたな」


 執事は、カオルがメイド姿だった時しか知らない。

 この内弟子姿を見るのは初めてだ。

 カオルも笑顔を返して頭を下げ、


「ご無沙汰しております。ささやかながら、お土産も持って参りました。

 三浦酒天の弁当と酒です」


「おお! これはこれは! いや、誠にありがとうございます。

 以前、この味には本当に驚きまして・・・ささ、どうぞ中へ!」


「では、失礼致します」


 頭を下げて、中に入った。

 従業員も弁当と酒を持ち、執事が「こちらへ」とテーブルの上に置かせる。

 従業員が下がって行くと、


「ささ、サダマキ様、どうぞ。

 忍より報告はうけておりますが、皆様のお話などお聞かせ下さい」


 カオルはにこりと笑って、


「ええ、時間もありますので。

 さ、弁当の方も、冷めぬうちに」


「サダマキ様は如何なさいます?」


「では、お言葉に甘えて。紅茶を頂けますか。

 私は、仕事柄・・・折角の酒も、飲んでも無駄になるだけですので」


「む、分かりました。少々お待ち下さい。最高の葉をご用意致しますので」


 執事が「ぽん、ぽん」と手を叩くと、壁に並んだメイドが奥の部屋に入って行く。

 カオルはにっこり笑って、


「私の前で礼儀など無用です。

 ささ、三浦酒天の弁当と酒、お召し上がり下さい。

 食べながら、飲みながらと参りましょう」



----------



「ほう・・・洞窟の奥では、そんな事が」


「ええ、あれには驚きました。クレール様は分からないと仰っておられましたが、マツ様のお話では、現在の魔術は分かりやすいよう分類されただけで、それに該当する術がないだけという事。今でいう、独自の魔術だとか・・・それとも、分類前の、古の魔術でしょうか?」


「ううむ、なるほど・・・」


 頷く執事の横には、持ってきた弁当の空箱が山積みになっている。

 彼もレイシクランなのだ。

 窓の外を見れば、すっかり日も沈み、暗くなっている。良い頃合いだろう。


「あ、もうこんな時間に・・・申し訳ありませんが、そろそろ」


 執事も窓に顔を向け、


「おお、これは遅くまで引き止めてしまいまして・・・

 いや、申し訳御座いません」


「そうでした。クレール様にワインをお届けしますので、見立ててもらえますか。

 クレール様がお好みの物、と言えば用意してくれると」


「はい、承知致しました」


 執事が立ち上がり、少しして桐箱に入ったワインを持ってきた。

 箱に年が書いてある。これが指定のワインだ。

 クレールの好みと言えば、やはりこれが出てくる。


「クレール様の好みと言えば、こちらですな」


「ありがとうございます。

 あ、そうそう。あの、忍の方々の訓練のお話しはお聞きですか?」


「聞いております。マサヒデ様が、素晴らしい案を考えて下さいまして。

 いや、流石ですな。剣の腕もさることながら、その教えも一級です。

 や、あの年で、驚くべき才ですな」


 カオルは頷いて、


「実は、その訓練、初手を私に譲って頂きました。

 明日の夜、こちらへ忍び込みますので・・・」


 と、懐から封筒を取り出す。


「いつ向かうか等、こちらに書いてあります。

 明日、忍の皆様に中をお伝え頂きますか」


「え? ・・・いや、それは、いくらなんでも」


「構いません。剣だけでなく、忍の技も少しは磨いたつもりです。

 成功するとは思ってはおりませんが、全力で参ります。

 折角の機会、今の腕がどの程度通用するか、皆様に見定めて頂きたいのです」


「むう・・・」


「名だたるレイシクランの忍相手に、自信があるわけではありません。

 私の腕は、私自身が良く分かっております」


 カオルが真剣な顔で頭を下げると、執事も頷き、


「む、分かりました。訓練ですし、戦闘はしないと聞いております。

 しかと、伝えておきましょう」


「ありがとうございます。それでは」


 ワインを受け取って、カオルはドアを開けて一礼して去って行った。


「ううむ・・・」


 執事が眉を寄せて、封筒を開ける。


 『ご指定のワイン、本日しかと頂きました。

  明日、皆様にお伝え下さい。


  カオル=サダマキ』


「ほ?」


 少しして、執事がげらげらと笑い出し、封筒を内ポケットにしまった。

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