第六章 忍達の稽古

第17話 忍達の稽古・1


 男が去った後、マサヒデはしばらく玄関に立ったままであった。


 後ろで、襖の開く音がした。

 クレールが起きてきたのだ。


 居間に戻ると、カオルとシズクがぐったりと肩を落としていた。

 マツの方は、まだ緊迫した顔をしていて、クレールが恐る恐る座る。


「あの・・・おはようございます・・・」


「おはようございます」


 マサヒデ以外、誰も返答せず、マツが厳しい顔のまま、


「マサヒデ様、今の者は。忍と言っておりましたが」


「試合の時に立ち会った、あの無刀取りの方です」


「あの方が・・・左様でしたか。尋常ではありませんね」


 マツが頷く。

 寝ていたクレールは訳も分からず、


「マサヒデ様、忍が来たんですか? どなたかの使いですか?」


「いえ。休暇だそうで、ただの暇つぶしに、と」


「そうでしたか」


 クレールはぐったりしたカオルとシズクを見て、


「あの、どうかされたんですか?」


 ふ、とマサヒデは笑って、


「すごい方だったので、皆さん緊張してしまったんですよ。

 以前、コヒョウエ先生が来られた時みたいな」


「え、そんなに腕利きの方なんですか?」


「クレールさん。あなたの忍が、この家の周りには居るんですよ?

 そこに、正面から忍び込んで来たんです。忍が」


「え、え?」


「玄関に立つまで、我々も、忍の皆さんも気付いていませんでしたよ」


 クレールは仰天して、


「ええー!? そんな、そんなまさか!」


「ね? すごい腕利きでしょう?」


 この家だけではなく、通りの向かいの冒険者ギルドにも、レイシクランの忍は張り込んでいる。その中に堂々と入って来て、玄関に立つまでバレなかったとは!?


「見ていても、分からなかったんでしょう。

 玄関に立って、初めて忍の気配を出した、そんな感じですかね。

 あれは仕方がないと思いますよ」


 クレールは呆けた顔をして、


「・・・仕方が、ない・・・」


 と呟いて、しばらくしてから、きり! と顔を引き締め、


「これは大事ではありませんか!

 当家の忍は、世界でも随一と誇っております!」


「え? ええ、それが何か」


「マサヒデ様! 何か、ではありませんよ! これは失態です!

 く、くぬぬぬ・・・レイシクランを馬鹿にして!」


 クレールの顔が真っ赤に染まり、拳を握ってぶるぶると震わせる。


「馬鹿にしてって、別にからかいに来たわけではないんですよ?」


「分かっております! 我らの、レイシクラン一族の失態です!

 ええい! 顔に泥を塗るとは!」


「上には上がいるってだけですよ。

 あの技術を間近で見られたんですから、皆さんも良かったではありませんか」


「く、く、く」


「父上や、コヒョウエ先生にも看破されてたではありませんか」


「同じ忍なのですよ! これでは、これでは!」


「敵に回らなければ、別に怖い方ではないですよ。

 あんな人は、世に何人もいないでしょう。

 達人をお迎えできたんですから」


「む、むむむ・・・」


「折角近くで見られたんだから、あの技術を盗めば良いだけです。

 そういう機会をくれたんです。ありがたい事ですよ。ねえ、カオルさん」


 ぐったりしたカオルが、はっと顔を上げ、


「は! いえ、仰る通りですが・・・」


「何か」


「もう、技術とかそういう所ではないような気がします。

 あれは、化け物です」


「ふふふ。アルマダさんもそんな事を言っていましたね。

 ですが、感じられたなら、身体が何かしら掴んでいるはずです。

 化け物だから勝てない、などと、放り出してはいけません」


「肝に銘じます」


「シズクさんはどうでしたか」


「よく分かんなかった。分かんなかったから、怖かった。

 初めてカゲミツ様と立ち会った時、別の世界の化け物だと思ったけど・・・

 ううん、ちょっと違う。なんか、おばけみたいな・・・じゃないな。

 見えてるのに、見えないみたいな。ええと、良く分かんない・・・」


「以前、私が言ってた事は、良く分かったでしょう?

 すぐ目の前にいるのに、全く強い人って感じがしないって」


「あ! うん、それそれ!

 それでさ、もう、何が何だか良く分からなくなっちゃった。

 頭ではすごい強い奴って分かってるのに、全然そんな感じがしないから」


「ああいう達人もいるんですよ」


「うん。良く分かった」


「カオルさん、シズクさん。良い経験になったでしょう」


「はい」「うん」


「出来れば・・・また、お会いしたいですね。

 次は、ちゃんともてなしをして、色々とお話ししたい」


 マツがふう、と息をつき、


「怖ろしい方でしたね。お父上とは、全く違う怖ろしさがありました。

 静かで、にこやかな方で、殺気など微塵もありませんでしたのに」


「そうですね。皆さん、可能な限り仲良くしておきましょう。

 あの方は、魔剣の存在も、雲切丸の事も、いや、我々の全てを知っています。

 知っていますが、胸の中にしまっておいてくれています」


「全てを?」


「魔剣の存在や雲切丸だけでなく、普段の生活まで全部筒抜けのようです。あのナイフも強情橋で回収したと知っていましたし、マツさんの正体も、クレールさんの事も、カオルさんが伸び悩んでいる様子まで・・・一体、どう探っているのやら」


「マジかよ・・・」


 シズクが呆然とした顔で呟く。


「しかし、気を付けようにも、相手の手が分からなければ、どうしようもない。

 まあ、この辺にして、朝餉にしましょう。

 カオルさん、お願いします」


「は」



----------



 朝稽古を終え、魔術師協会へ。


 居間に上がった時、マサヒデ達は気付いた。


「む?」


 普段、気配を消しているクレール付の忍達の気配をはっきり感じる。

 いつもなら、気を付けなければ、全く分からないのだが。

 おや、とカオルとシズクも顔を合わせる。


「只今戻りました」


 手のひらに雀を載せて集中しているクレールに声を掛ける。


「あ! マサヒデ様、お帰りなさいませ」


 クレールの手のひらから雀が飛び、クレールが手を付いてマサヒデを迎える。

 マサヒデは誰も見えない庭に顔を向け、


「皆さん、どうされました?」


 クレールは渋い顔をして、


「今朝、お訪ねになられた方に触発されたようです。

 稽古をしたいと、皆が申し出まして。

 ま、当然ですね!」


 マサヒデは苦笑して、


「なるほど。そうでしたか」


 どんな稽古をしているのかさっぱり分からないが、庭が賑やかだ。


「しかし、これでは庭に誰かが潜んでいると、私でも丸分かりですよ。

 護衛の組はいつも通りで、休憩中の組は稽古と分けた方が良いのでは。

 普段なら、カオルさん、シズクさんでも気を付けなければ分からないんです」


 ぴた、と庭の気配が小さくなる。


「む・・・その通りですね」


「それに、忍の稽古なら、この庭で訓練するより、どこかに潜入してみるとか、そういう訓練の方が良いのでは? この町であれば・・・そうですね、ホテルにも忍の方々がおりますし、そこに潜入するなんてどうです。互いに腕を磨けます。奉行所なんかも良いかもしれませんね。お奉行様には悪いですけど」


「お、おおー! さすがマサヒデ様です!」


「お仲間ですから、配置などはある程度は分かっているでしょう。

 ですから・・・ううん・・・ええと・・・」


 マサヒデは首を捻って、


「敢えて姿を晒しながらとか、単独でとか、何らかの課題をつけるのはどうです。

 何かを盗んでくるとか、『忍び込みました』と手紙を置いてくるとか。

 見つかった後の逃げ方なんか・・・どこまで逃げたら良しとか・・・

 ええと、見つからず、長く潜入していたら良し、みたいなのも良いでしょうか」


 おお、とクレールとカオルが感心して声を上げる。


「戦闘の訓練であれば、私達がお相手します。

 まず、戦闘にならない事が大事だと思いますから、そうなってしまったら失格。

 切り合いになって被害が出たら、お仕事にも支障が出ましょうし。

 カオルさん、この案、どうでしょう?」


 カオルは頷いて、


「素晴らしいと思います。あの、クレール様」


「何でしょう?」


「出来ればで良いのですが・・・その、私も参加させて頂ければありがたく」


 クレールは頷いて、縁側に出て「ぱん! ぱん!」と手を叩いた。


「皆の者! 聞いておりましたね!」


「は!」


 いつも通り、誰も見えない庭から返事。


「マサヒデ様の案で、訓練なさい。

 細かい所は、あなた方で詰める事。

 支障がなければ、カオルさんにも参加してもらいなさい。

 他派の技術を見る良い機会だと考えれば、問題ないでしょう」


「は!」


「では、まずは休憩中の者に今の案を伝え、皆でしかと詰めること。

 決まったら、訓練を始めなさい。

 くれぐれも、こちらの警護に支障が出ないように」


「は!」


「宜しい。あなた方はいつも通りに警護に戻りなさい」


「マサヒデ様! ありがとうございます!」


 礼の声が聞こえ、しん、と庭が静まった。

 満足そうに、うむ、と、クレールが頷く。

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