第16話 イヴリンの出立

 ラスを荷台に乗せた軍用トラックが、黒い排気ガスを吹かして走り去る。その様子を倉庫の窓から確認したイヴリンは、早速行動を開始した。


「はい、こっちこっち。そうそう、上手ね~」


 まずは、手を叩いてモルトスらを部屋の外へと誘導する。ラスが言っていた通り、リンが無くても、五人は拍手を頼りについてきてくれた。


 モルトスは周辺の情報を、肉体ではなく中に宿る霊魂で受け取っている。その霊魂に最も響くのが、リンの音色。次に、拍手なのだそうだ。原理は説明されてもよく分らなかった。肉体はただの荷物同然で、五感は働いていないらしい。感覚も、運動も、霊魂一つに頼っている。


「おおおい、何をやってるんだイヴリン!」


「まだ火葬の準備はできとらんぞ」


 兄たちの見送りから戻ってきた神父と村長が、モルトスを連れたイヴリンを発見するなり叫んだ。


「火葬なんかにするわけないでしょ!」


 イヴリンは、両目をカッと見開くと、年長者二人を怒鳴りつけた。兄を上手く騙せた高揚感と、困難なミッションを請け負ってしまった緊張で、短気になっているのである。


「待て待て。お前、こいつらを火葬するって、さっき言ってなかったか」


 アレックスとの会話を廊下で聞いていた神父が、イヴリンを止めようとする。イヴリンは神父を廊下の角に「邪魔」と押しやった。そしてまた、手を叩いて五人の誘導を再開する。


「私、これからアボナとカメロットに行ってきます。数日休むって、ドクターに言っといて下さいな」


 廊下の隅で唖然としている二人の前を、後ろ歩きで通り過ぎながら、伝言を託した。イヴリンの言葉の意味を理解した村長が、顔面を硬直させて、「ひゅっ」と喉を鳴らす。


「お前、兄さんをたばかったのか」


「ええ、たばかりましたよ。お二人には一緒に来てくれとは言いません。兄に黙っててくれたらそれで結構」


 イヴリンは、ラスと自分を監禁させた二人に対して、溜飲を下げていなかった。手を叩きながらぞんざいに言って、後ろ歩きで角を曲る。


「では失礼」と顔面蒼白の二人の視界から消えた。しかしすぐに、ある必須作業を思い出し、角の向こう側でまだ直立しているであろう村長と神父に、再び声をかける。


「やっぱり二人ともちょっとだけ来てもらえます? 手伝ってほしい事があるんで」


 曲がり角の壁の向こうから、二人がまごついている気配が伝わってくる。焦れったく思ったイヴリンは、「駆け足!」と怒鳴った。


 はいはいはい、と返事が聞こえ、すっかり威勢を失った村の年長者二人が、角から飛び出してきた。



「うう、酷い臭いだな、これは」


「あ、あ、皮膚が裂けてしもうた」


 イヴリンの家にモルトスたちを連れこんだ三人は、浴槽にぬるま湯を張り、そこでオリバーの全身を洗っていた。透明だった湯は茶色く濁り、浴室には生ごみ臭が充満している。


「気をつけて下さいよ。モルトスの怪我は治らないんだから」


 洗体を男性二人に任せ、オリバーの着替えを用意していたイヴリンは、うっかりオリバーの体の傷を増やしてしまった村長に、浴室の外から注意した。ジャケットを含めた父親の古着一式をそっと浴室に差し入れたその手で、汚れた服を回収し、袋に入れる。オリバーの家族が見つかったら、住所を訊いて郵送しようと考え部屋の隅に置いた。


 次にクローゼットから大きめのリュックを取り出して口を広げると、数日分の着替えを詰める。食品棚から取り出したパンとチーズを布にくるみ、それも入れる。財布と、簡単な救急用品もだ。ベッドの前で整列している四人のモルトスの前で、イヴリンは小さな家の中を行ったり来たりしながら旅支度を進めた。

 ある程度荷物を詰め終えると、外に出る。


「メイ! メーイ!」


 きっと近くにいるはずだから呼んでみてくれ、とラスに言われていたので、四方に向かって呼びかけてみた。ほでなくして、一羽のからすがシラカバ林の方角から飛んでくる。金色に光る物を口に咥えている。ラスのリンだ。


 メイはイヴリンの肩にとまると、リンをイヴリンの掌にぽとりと落とした。


「巻き込んでしまったようじゃのう。実に申し訳ない」


 メイの嘴がパカパカと開き、東洋訛りの公用語が滑り出る。イヴリンは目を瞬いた。


「あら、師父じゃない。知ってたんだ」


 憑依すると記憶が伝達されるのか。それとも、どこかで成り行きを見守っていたのか。どちらにしても、モルトスに詳しい屍案内人のトップが、メイに憑依しているのは、イヴリンとしても好都合であった。


「話が早くていいわ。色々教えてくださいな」


 イヴリンは師父を肩に乗せたまま、家の中へ戻る。

 部屋に入ると、腰にタオルを巻き、椅子に座ったオリバーに迎えられた。その両側には、汗びっしょりの神父と村長が立っている。


「服も着せてあげてね」


 軽い調子で指示を出すと、肩で息をしている老境の二人が、揃って悲鳴を上げ、天井を仰いだ。


「少し休ませろ。腰が痛んでかなわんわ」


「時間が無いんです。用意したおむつも、ちゃんと履かせてあげてくださいよ」


 腰をさすっている村長に容赦なく言い放ったイヴリンは、テーブルの上にあるカップを手に取ると、その茶色い中身をオリバーの口にゆっくりと注ぎこむ。ビッテが作っておいてくれた、内臓洗浄用の薬草茶だ。


「この薬、下から出るのっていつぐらいかしら?」


 イヴリンは左肩に乗っている師父に訊ねた。生きている人間であれば、排泄時間の予想がつくが、オリバーは死体とも生体ともいえないモルトスである。イヴリンにとっては、未知の領域だった。


「個体差があるでの。数時間から数十時間じゃ」


 師父が答えるや否や、オリバーを立たせようとしていた神父が「今喋ったのか、そのカラス!」とのけぞった。村長は黙って腰を抜かしている。


 説明を面倒に思ったイヴリンは、二人と師父に申し訳ないと思いながらも、「九官鳥です」と嘘をつく。


「あ、アー。オムツは、サンチャク、ヒツヨウ。ニモツノナカニ、アルー」


 気を使ったのか、師父が九官鳥を真似て助言してきた。


「普通に話していいのよ」


 ラスの荷物はアレックスが持っていってしまった。仕方が無いので、残りの二着はシーツを破って作る事にする。その他にも、モルトスが新しい傷を作ってしまった時に、縫合する為の針と糸。野営となった際に火起こしできるようマッチなど、師父から助言をもらいながら、荷物をまとめてゆく。


 オリバーの着替えが完了し、他の四人の包帯も替え終えた頃、幌つきの馬車を調達してきたビッテが大声で文句を言いながら現れた。


「ガスパーのやつ、馬鹿みたいな使用料ふっかけて来たんだよ。こんなボロ馬車なのに、ああヤダヤダ! さあほら、早く乗せて乗せて!」


 休む間もなく、ビッテとイヴリンの二人で、モルトスらを荷台へと誘導する。五人はイヴリンが鳴らす鐘の音を頼りにして、スムーズに馬車へ乗りこんだ。


「電話が見つかったら、連絡をおくれよ。絶対だよ」


 大きく膨らんだリュックを御者席の横に乗せたイヴリンに、ビッテが新しい包帯と飲用水が入った水筒を渡して念押しする。


「分ってる。心配しないで。ちゃんと帰って来るから」


 包帯と水筒をリックに押し込んだイヴリンは、白衣の上にコートを羽織りながら、笑顔で答えた。


 イヴリンの役目は、三日以内に、五人を家に送り届け火葬するか、他の案内人に託す事だ。エーテルの供給源である案内人から三日以上離れれば、再び凶暴化するからである。


「無理するんじゃないよ」


 ビッテは愛用の肩かけを外すと、イヴリンの首に巻いた。抱擁を交わし、元気付けるようにイヴリンの背中を強めに叩く。


「あなたがいて助かったわ」


 ビッテの肩に顎を置き、たっぷりとした背中を優しくさすってから抱擁を解いたイヴリンは、玄関先でぐったりと座っている神父と村長にも微笑みかける。


「二人ともご苦労さま」


 労いの言葉をかけて軽く手を振ってから、師父が待っている御者席に乗り、手綱を取った。

「じゃあね」と告げて、馬車を走らせる。


「しっかりねー!」


 馬車の骨組みがガタガタとぶつかり合う中、後ろからビッテの激励が聞こえた。

 イヴリンの、手綱を握る手に力がこもる。


 ラスは、他の案内人が救難陣の信号に気付けば、必ずイヴリンを探して五人を引き受けてくれるはずだと言っていた。しかし、救難陣とやらの性能をいまいち信じきれないイヴリンは、他の案内人を探すよりも、少しでも早くアボナに到着し、四人の家族を見つけ出そうと考えていた。






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