第17話 屍らのボイコット
昨夜、イヴリンはラスと、深夜まで策戦を練っていた。
実のところイヴリンは、計画中の策戦に懐疑的だった。不安要素が大きすぎたからである。私が兄をだしぬく手伝いをいたしましょう、と胸を叩いたはいいものの、いざ計画をつめてゆくと、弱腰になってしまったのだ。
あれはどうしよう、これも心配だ、と頭を抱えたイヴリンは、顔を覗きこんでくるラスに励まされ続けた。
アイコンタクトが苦手で、アレックスに挑発されても、斜め下から前髪越しに睨み返す事しかできなかったラスである。しかしその時は、目を合わせようと努めて、イヴリンに語りかけてきたのだ。
『ねえイヴリン。よく、よく聞いて。ご、五人の詳しい住所は分らないけど、役所に行って調べれば、きっと見つかる。ダンさんは、少し足が遅めだから、気をつけてあげて。カイン一等兵は、無茶をしやすい。マリーさんは、気配り上手。ロイズ中尉は、頼りになる』
『無理よできっこない。三日しかないんでしょ。もし間に合わなくて
『できるよ。できる。大丈夫。馬車か車があれば、何とかなるよ。そう、それに君は、勇気があるから』
『適当な事言わないでよ』
ラスが首を横に振った。その青い瞳でイヴリンの両目をしっかりとらえると、『村が
『自信を持って。君は彼らに、好かれてるから』
ラスはそう明言して、遠慮がちにイヴリンの手を取り、ぎこちなく微笑んで見せた。そこでやっと、イヴリンの腹が決まったのだ。
「お譲さんは、ラスに惚れなすったんか」
昨晩のやり取りを思い出しながら、御者席でぼんやり手綱を握っていたイヴリンに、リュックの上で羽を休ませている師父が言った。
一二月の麦畑は、黄金色である。しっかりと成長した麦が風に揺れている。その中にのびる一本の農道を、五体の
「イヴリン・フォードよ」
まだ名乗っていなかった事を思い出したイヴリンは、遅い自己紹介をした。続けて、「案内人て、みんなそういう不躾な喋り方するの?」と苦笑う。
「母国語ならもう少しマイルドに話せるぞ。ニィ クワンシミイッダ ラス シェンマー?」
パカパカと嘴を動かしながら、師父が流暢なフールー語で喋った。
「何言ってるか分んない」
イヴリンは遠慮を忘れていた。
「でも、どうして好きになったなんて考えたの?」
「こんな面倒で危ない仕事を、よく引きうけてくれたもんじゃと思うてな」
なるほどね、とイヴリンは笑う。
「まあ、あの人、優しいのは確かだし、恩人だから悪いイメージはないけど……。だからって別に、好きだから引き受けたわけじゃないわ」
「ほう?」と師父。
「そうね……。助けを求められて、助けたい気持ちもあるのに、何もせずただ見過ごすって、惨めじゃない。戦争が終わってやっと、他人が大事にしてるものも守れる余裕が出てきたっていうのに」
ふ、と師父の嘴から、小さな笑い声が漏れた気がした。烏の黒い目が、細められたようにも見える。
気恥ずかしくなったイヴリンは、「それよりも」と話題を変える。
「ラスをどうにかしなきゃ。そっちの団体から交渉して、解放させるっていうのは無理なの?」
「相手はケルトニア軍だけではない。世界中が案内人と
「へぇ。一応役に立つのね、あれ。落書きにしか見えなかったけど」
「信号を発する狼煙みたいなもんじゃ。ワシらには見えて、お前さんには見えん。これは古代ペラの」
「ペラ人の血を引いているからでしょ分かってます!」
昨日、小屋で師父と交わした屈辱的な会話を思い出したイヴリンは、精神的疲弊を少しでも軽減する為に、言葉の先を奪った。
師父は、そのとおり、とでも言うように、幾度か頷いた。続けて、何かに気付いたように、ふと顔上げる。
「また一つ狼煙が上がったな。随分遠い。おそらく海の向こうじゃ」
嘴は、南西の方角を向いている。ルシタニアのあたりだろうかと推測するイヴリンの隣で、師父が深いため息をついた。
「案内人は数が少ないというのに。根こそぎ攫う気か……」
どうやら、自分が想像していた以上に困った状況にあるようだ、とイヴリンは悟った。
「ねえ、あなたも捕まってて大変だろうけど、これは個人でどうにかできるレベルじゃないんじゃない? 力を持ってる人間か、組織が動いてやらなきゃ」
「動いておるが、時間がかかる。軍に捕まるという事は、すなわち死。それを皆、承知の上で働いておるのだよ」
師父の言葉を聞くなり、イヴリンは鼻根に皺を作って、不快感を露わにした。
「その自爆的な思想、ちょっと時代遅れだと思うわ」
案内人は
「案内人にとって死は避けるものでも、求めるものでもない。受け入れるものであるからして」
「達観的なご意見は結構よ」
諭そうとする師父の言葉を、イヴリンは再びきつい口調で遮った。
「せっかく平和になったのよ。もういい加減、生きる事を欲張ったっていいじゃない」
「……そうよな」
しばしの沈黙の後、師父が呟いた。
「ラスはワシにとっても特別な子じゃ。ワシとて、死なせとうはないが……」
その時、ドスン、という鈍い音が後方から聞こえる。
「今、何か落ちた?」
師父と顔を見合わせたイヴリンは、手綱を引いて馬の歩みを止めた。馬車を降りて、荷台へと回る。そこにあった光景に、「ええ!?」と目を丸くした。
ロイズ中尉が、道の真ん中に転がっていたのである。出立前に閉めたはずの荷台扉は、いつの間にか開いていた。他の四人は、出立前の位置に大人しく座っている。ロイズ中尉だけが、転げ落ちたようだ。
「あれ? あの人、一番の奥に座ってたのに」
ロイズ中尉に駆け寄ったイヴリンは、コートのポケットに入れてあった
首を傾げたイヴリンは、
「ほら、起きてちょうだい。馬車に戻って」
二度目を叩く。
三度目。今度は、強めに叩く。
四度目。半ばやけくそに、何度も叩く。
ここまでやっても、ロイズ中尉の巨体は反応しない。
「冗談でしょ。あと少しでアボナなのに!」
イヴリンはロイズ中尉の上半身を背中側から起こすと、両脇に腕を差し入れ、力任せに荷台の方へと引きずった。
「あ」
しかし数メートルほど引きずったところで、牽引を中止せざるをえなくなる。ロイズ中尉の脇の下あたりに、何かがずれたような、ずるりとした嫌な感触を覚えたからだ。
「こりゃ駄目だ。皮膚が剥ける……」
剥ける、というか、実際に剥けたのだろう。家族に渡す前に一度体を確認しなければ。ずれた部分が大きければ、糸で縫合する必要もあるかもしれない。
イヴリンは途方に暮れた。
「え~、どうしよう。誰か通らないかな」
一人ではどうにもできない。せめて脚を持って一緒に担いでくれる人がいれば、中尉の体を傷つけずに荷台に戻せるのだが。
イヴリンが人影を求めてきょろきょろしていると、馬車の方から、再び大きな物が落ちる音がした。今度は複数だ。
振り向くと、残りの
事故ではなく、明らかに五人とも、自らの意志で落ちたのだとイヴリンは悟った。
「どうしてよ!?」
泣きそうになったイヴリンが、濁音交じりの叫び声を上げる。イヴリンの声を聞きつけたのか、師父が飛んできた。
師父は、集団落下した頂上にいるダンの背中に降り立つと、彼の肩甲骨あたりを嘴で軽くつついた。小首を傾げた数秒の後、今度はロイズ中尉の頭の上に移動し、頭頂部をまた、嘴でつつく。
「ふん」と納得したように中尉の頭の上でチョンと跳ねた師父は、イヴリンを見上げた。
「アボナへは行かんそうじゃ」
「へぇ!?」
「ラスの元へ戻ると、皆は言うておるのよ」
イヴリンは口をあんぐりと開けて固まった。言いたい事は色々あった。ただ叫んでもよかった。しかしどの言葉も、言葉にする必要のない叫び声すら、喉につっかえて止まってしまう。声を詰まらせながら、山積み状態になっている四人とロイズ中尉を交互に指さし、次に両腕でバッテンを作ったイヴリンは、最後に両手で顔を覆った。
「好かれてるって、言ったくせにぃ」
ラスへの恨み事だけが、情けない声となって滑り出てきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます