第13話 助けに来るという人は

 包帯を直し終えたら、やることが無くなった。定位置のように元の場所に戻った二人は、部屋に放り込まれた時と同じ格好で、時間が過ぎるのをじっと待つ。


「おなかすいた……」


 呟いたイヴリンは、体をぶるりと震わせると、開いていたガウンの前襟を合わせた。体温を逃がさないよう両膝を胸に寄せ、出来る限り小さく丸まる。ただでさえ冷たい部屋が、空服のせいで余計に寒く感じるのだ。


「メイは何か食べられたかな」


 反対側で膝を抱えて座っていたラスが、イヴリンの呟きに同調するように、ぽつりともらした。その反応を嬉しく感じたイヴリンは、コミュニケーションが不得意な同室者に微笑みかける。


「あなたは何が食べたい? 何が好きなの?」


「腐ってなければなんでも」


 遠くの床を見つめたまま、ラスがぼんやりと答える。苦笑ったイヴリンは「私もよ」と共感した。昔は肉の煮込みを包んだパイが好きだったが、大戦とともに食糧難が始まってからいつの間にか、食べられればなんでもいい、という境地に達してしまった。


「戦争の弊害ってやつね」


 苦々しい思いを笑いに変えたところで、足音が近づいてきた。間もなく、扉がノックされる。


「イヴリン。あたしだよ」


 ビッテだ。カールした赤毛が、格子窓から見えている。イヴリンは慌てて立ち上がると、扉に駆け寄った。ラスも遅れて扉に近づく。


 ビッテは、来るのが遅くなった事を詫びた後、食事と服を持ってきたと告げて、扉の格子窓から布包みを三つ、順番に差し入れた。二つは食べ物、一つはイヴリンの着替えである。


「来てくれると思ってた。ありがとう」


 イヴリンは歳の離れた友達に、心から礼を言った。聖堂から連行される時に見えた、罪悪感に駆られたようなビッテの表情から、様子を見に来てくれるはずだと思っていたのだ。差し入れを受け取ったイヴリンは早速、着替えの包みを床の上で広げた。中から出てきた白一色のワンピースを持ち上げ、目を丸くする。


「ナース服?」


「それなら間違いないだろ」


 ビッテは自信満々だ。厚手のコートやセーターを期待していたイヴリンは「そりゃそうだけど」と唇を尖らせた。しかしながら、別の服を持ってきてくれと頼むのも気が引ける。今着ているネグリジェよりは幾分マシだと考え、白衣を着る事にした。

 次に食べ物を確認しようと袋を解いていると、今度はラスが扉に張り付いた。「あ、あのっ」と切迫感が伝わる声色でビッテに話しかける。


「お、お願いです。外に出してもらえませんか」


「あたしゃ鍵、持ってないんだよ」


 ビッテが申し訳なさそうに首を横に振った。

 断られた場合をあらかじめ考えていたのだろう。ラスはすぐさま、妥協案を出す。


「じゃあ、何か床に書けるようなものを。チョークとか」


 チョーク? とビッテが怪訝な顔をする。


「何に使うんだい」


「な、仲間に、助けを求めるんです。この国には、僕の他にも何人か、案内人が来てるはずだから。ぼ、僕は拘束されたとしても、五人を託す事が、できれば」


 ラスはそう言うと、格子窓の向こうにいるビッテにも五人が見えるよう体をずらし、後ろで整列しているモルトス達を顧みた。


「彼らを家に、帰したいんです。あと少しなんだ」


 わかんないねえ、とビッテが腕を組む。


「今逃げなくたって、三日後に軍のトラックで運んでもらえばいいじゃないか」


 死人を連れて歩くより、軍の加護を利用した方が安全で確実に決まっているのだ。


「軍は助けてくれない!」


 苦しげな表情でかぶりを振ったラスは、つっかえながらも堰を切ったように話し始める。


「今、世界中で、屍が注目されてるんだ。軍事力として、利用できないか。案内人は研究に協力しろって、圧力を、かけられてる。見つかったら、拘束される。そうなったら、みんなもう、家には、帰れない!」


 しばしの沈黙。イヴリンはラスを仰ぎ見た。格子窓に手をかけたラスは、努力的に喋り続けた反動で、息を切らせている。

 ビッテの「ええ……?」という困惑した声が、イヴリンの耳に届いた。


「でももうあたし、アレックスに電話しちまったよ」


 それを聞いたイヴリンは、弾かれたように立ち上がる。


「え!? どうしてアレックスに!」


 良かれと思ったんだよ、とビッテ。


「だって兄さんじゃないか。たった一人の家族なんだし、絶対あんたを助けてくれると思って」


「そりゃそうだけど」


 イヴリンは扉にもたれかかると、ずるずると座りこんだ。ビッテを責める事はできない。軍と案内人の軋轢などは知らなかったのだから。自分達を助けたい一心で人目を忍んで唯一電話のある役場へ行き、わざわざ空軍省に連絡をとってくれたのだろう。ラスの事をどの程度話したのか確認したら、包み隠さず全部話したとの返事が来た。


「アレックス、すぐ出発するって言ってたよ」


「じゃあ明日には着くわね」


 頭が痛い思いで、みけんを揉む。一方ラスは、期待を帯びた瞳でイヴリンを見下ろした。


「イヴリンの、お兄さん? それじゃあ」 


 その先を察したイヴリンは、「期待しないで」と遮った。


「兄はあまり、私の話を聞いてくれないの。あとちょっと、他者ひとより出世欲が強いっていうかね」


 説明しながら、交渉相手としてはハズレに等しいとイヴリンは思った。ラスの表情に落胆の色が浮かぶ。


 しかしよく考えてみれば、軍がいつ来るか、誰が来るかが分ったのは収穫だった。アレックスの性格はよく知っている。助力を求めるのは無理かもしれないが、利用はできるだろう。上手くやれば、ラスとモルトスを逃がす事も可能かもしれない。


「よし。策戦、考えましょ。食べながらね」


 ハズレだと思っていた展開に僅かな希望を見出したイヴリンは、差し入れの袋からリンゴを一つ取り出すと、ラスに向かってぽん、と投げた。キャッチされたのを確認すると、もう一つの袋から同じくリンゴを取り出し、悪戯っ子のような笑みを浮かべてガブリと齧る。

 イヴリンは、腹八分目で最も知恵が回るタイプだった。

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