第11話 閉じ込められた部屋で

 がらんとした部屋だった。あるものといえば、空っぽの棚が一つだけ。かつては食品庫だったのだろう。ゴツゴツとした石壁の隅に、袋から漏れたらしい一握り分程度の小麦粉が、埃と混じり合って溜まっている。しかしあとは、何もない。干からびたレタスの葉一枚、玉葱の皮一枚さえだ。理由は簡単。戦後の食糧不足である。明り取りの小窓から差し込んでくる長方形の光が、どこにもぶつからず真っ直ぐに、ざらざらとした石床を照らしている。


 本来ならばネズミ捕りの籠の一つくらい置いてあってもおかしくはない。だが、ネズミ捕り用のエサにする食べ物があるなら自分達で食う、といのが現状なのだ。大きな蜘蛛の巣だけが、せめてもの慰めとでもいうように、天井の梁と梁とを繋いでいた。

 そんな寂しい一室に、イヴリンとモルトス御一行は放り込まれたのである。


「ほんとにごめんなさい」


 壁によりかかって座るイヴリンは、心底情けない面持ちで謝罪した。反対側の壁際で膝を抱えて座る屍案内人が、遠くの床を見つめたまま、うっすらと微笑む。


「いいよ。メイは逃がせたから」


 そう言って間もなく、彼は何かに気付いたように「あ」と天井を見上げた。続いて、笑いを堪えるように口元に拳をあてる。


「これじゃ師父とおんなじだ」


 くくくと小さな笑い声をもらす。連れを逃がした状態で拘束されているこの状況が、師匠と同じだと言いたいのだろう。何が面白いのかイヴリンには分らなかった。だが、死人と共に収容されたこの密室で、嘆き悲しんでいるよりは健康的だと思い、「そうね」と頷く。

 とその時、ラスの腹がぐううと大きな音を立てた。


「ま、丸一日、食べてないから」


 腹を押さえたラスが、恥ずかしそうに俯く。

 このフロンドサス村へは、休息と、道を尋ねる為に立ち寄るつもりだったのだとラスは明かした。牧草地にあった壊れた小屋にモルトスを一旦隠し、食料を調達しようと考えていたらしい。しかし、メイが凶屍フェロックスの排泄物らしきものを林の中で発見し、それがまだ新しかった事が分り、急いで皆を連れて村に入ったのだそうだ。


 イヴリンは「へえ」と感嘆した。


凶屍フェロックスって、うんちするんだ」


 遺体が排泄行為をするなど、考えも及ばなかったのである。しかしラスは、きょとんとした顔で「入れたら出るよ当たり前だろ」と言った。 


「彼、これまで色々食べちゃってた、みたいで。な、内臓は殆ど動いてないから中で腐るだけで、それを下から出すのが精一杯、だけど」


 なるほど。単純に排泄であって、行為ではないらしい、とイヴリンは理解する。やはり、トイレを使う凶屍フェロックスなど、いるわけがないのである。

 言われてみれば、元行商人の彼は、ラスが連れてきた四人よりも明らかににおった。排泄物が体や衣服に付着しているからだろう。屋外や風通しのいい小屋ではあまり気にならなかったが、この密室ではその臭気が目に染みてくる。


「ほ、本当は、落ち着かせたらすぐに、内臓なかを掃除できる薬湯を飲んでもらって、体を洗って服も着替えさせるんだ。だけど全部、荷物の中だから」


 持ち物を全て没収されてしまったラスは残念そうに言うと、元行商人のモルトスに振り返り、「ごめん、気持ち悪いよね。後でちゃんとするから」と謝った。


 ラスの荷物は、村長か神父が持っているだろうとイヴリンはふんでいる。何とかして取り戻せないものかと思ったが、第三者の協力なしでは無理な話だ。


 立ち上がったイヴリンは、扉の格子窓から廊下を覗いた。人の気配は無い。


 この部屋にトイレは無い。腹も減っている。喉も乾いている。時刻は昼近いはずだ。そろそろ気を利かせた誰かが覗きに来てはくれないだろうかと考える。そうすれば、相手によっては説得を試みられるのに。


 トイレに行かせろ! と騒いでみようかとも思ったが、やめた。殿方の前で、流石にそれは恥ずかしい。

 もう暫く待ってみるか、とくるりと体を反転させて扉にもたれかかると、正面の壁際に行儀よく並んでいるモルトスらと向き合う形になった。


「この人達もお腹すく?」


 退屈しのぎに訊いてみる。

 顔を上げたラスが、首を横に振った。そしてまた、教科書を丸暗記したような文面を早口で喋る。


「死者に必要なエネルギー源は、エーテルのみ。案内人から常に受け取る事で、不足による凶暴化を防ぐ。身体のいずれかに陣を描く事で術は達成される」


 右の人差し指で自分の額に円を描くと、同じ指で元行商人のモルトスを指さした。

 元行商人のモルトスの額には、円の中心を波状に斬ったような図形が残っている。ラスが自ら親指の腹を噛んで、その血で描いたものだ。その図形が、ラスに宿っているエーテルとやらを遺体に流すパイプのような役割をしているのだろう。そのように理解したイヴリンは、「なるほどね」と頷く。

 

「じゃあ、あなたは五人の主人で、しかも大事な栄養源なわけだ」


 五人のモルトスに向かって両手を広げたイヴリンは、努めて明るく、冗談めかして言った。だがイヴリンの努力はラスに響かなかったようで、彼は膝を抱えたまま静かに、しかしはっきりと、「主人なんかじゃないよ」と否定した。

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