第9話 迷信の証拠

 イヴリンはラスを引っぱって走った。力いっぱい走った。ラスはイヴリンよりも背が高く脚も長い。凶屍フェロックスと対峙した時の動きから考える限り、足は速いはずだ。しかしラスは後ろのモルトス達に気を取られ、どうしても遅れがちになった。それをイヴリンは必死に引きずって、早く、早くと急かした。

 シラカバ林を抜け、村へと通じる坂を駆け上がる。


 凶屍フェロックスに噛まれた者は、一度教会に連れて行かれる。神の御前で神父や村人達に傷口をさらし、判定が下されるのを待つのだ。

 経過観察か、即安楽死か。だがイヴリンが知る限り、この村で経過観察が選ばれた事例は無い。一度もだ。安楽死が選ばれると、すぐに病院へ連れて行かれる。


 農地には誰もいなかった。いつもならとっくに放牧されているはずの羊や牛が、出されていない。村境に入った。やはり、誰もいない。

 イヴリンは教会への道を急いだ。


 教会の前に着いた途端、ぬかるみに足をとられて転倒する。


「大丈夫!?」


 ラスの声が聞こえ助け起こされた気がしたが、礼を言う間さえ惜しく、腹に添えられた腕を無言で引っ張って、残り十数メートルを急いだ。


 聖堂の正面扉を、ぶつかるように開け放つ。

 開けた先には、正面に神の像。その真下に一人の青年が上半身裸で跪いている。短く刈った赤毛から、羊飼いのトーマスだとすぐに分った。彼の横には医療用の手袋をはめた神父と、その後ろにシスターが二人、立っている。そして、二人を左右からはさむように、村人達が集まっている。パン屋。大工。農民。役場の職員。郵便局員。村長。見知った顔ばかりだ。ビッテもいる。

 トーマスは右上腕部から出血していた。その腕を真っ青な顔で、神父に差し出している。丁度、審議の最中だったのだ。

 聖堂に飛びこんだイヴリン達を、トーマスと神父を含め、そこにいた全員が注目する。


「彼は、凶屍フェロックスにならない!」


 開口一番、イヴリンが叫ぶと、どよめきが起こった。


「イヴリン、どこに行ってたんだよ!」


 ビッテが声を上げた。続いて神父が、「何故そんな事が言える。理由は?」と問う。

 イヴリンは息を整えると、ずっと握っていたラスの手を掲げる。


「説明はこの人がうわあっ!」


 しかし隣にいたのはラスではなくモルトスだった。驚いたイヴリンは掴んでいた手を投げ捨てるように放し、尻もちをつく。


「そいつはさっき村を襲った奴だろうが!」


 大工の男が声を荒げた。

 イヴリンは跳ねあがる胸を押さえながら、先程まで手を握っていた相手を見上げる。確かに、目の前にいるモルトスはラスが落ち着かせた元行商人である。イヴリンが手を握っているはずだったラスは、元行商人を挟んだイヴリンの反対側に、荷物を背負って立っていた。鐘がついた竿の上には、メイがとまっている。

 ずっとモルトスの手を握っていたと知ったイヴリンは、思わず身震いをした。


「いつ入れ替わったの!?」


「さっき、転んだ時」


 棒立ちしたままのモルトスの向こうから、ひょいと横顔を出したラスが答える。どことなく、笑いを噛み殺しているような表情だ。


「それで? その凶屍フェロックスが説明をするのかね?」


 村長のジョージがやや苛立った様子で、元行商人のモルトスを杖で指し示して訊ねた。


「いいえ」「そうじゃなくて」


 イヴリンとラスの返答が重なる。

『いいえ』と否定したイヴリンは一歩下がって、ラスに発言権を譲った。笑顔で目配せし、『どうぞ』の意味で手をさし向ける。

 ラスが戸惑いつつも、口を開く。


「こ、この人はもう、凶屍きょうしじゃなくてかばねです」


 発言内容は皆が期待していたものから大きくずれていた。イヴリンは『そこじゃない』という気持ちのもと笑顔を引きつらせたが、発言権を譲った限りはとりあえず任せようと、割り込みたい気持ちを抑える。


「君は、トーマスが凶屍フェロックスにならないと保証できるのかね」


 村長からの問いかけに、「ほしょう?」とラスがオウム返しした。すぐさま「『ほしょう』ってどういう意味?」と小声でイヴリンに訊ねてくる。

 どうやら『保証』という公用語は、フールー語を母国語にしているラスのボキャブラリーには、未登録だったらしい。黙っているつもりのイヴリンだったが、通訳係を担う必要性を感じはじめる。


「どうして言い切れるのか? って聞かれてるのよ」


「どうして、って……」


 ラスは困ったように口ごもると、前へ出た。凶屍フェロックスに右腕を噛まれたトーマスの元へと、中央の通路をゆっくりと歩いてゆく。竿から飛び立ったメイが、神の像の後面にある、十字架のてっぺんに止まった。イヴリンは後ろに残してゆくモルトス五人を気にしながら、ラスに続く。


 トーマスの横にラスが立った。上腕部の傷口を確認し間もなく、ふっと笑う。


「こんなちっちゃい傷。どこが怖いんだろう」


 その独り言で、場の空気が一気にピリついた。明らかに、反感を買ったようである。


「これは凶屍フェロックスの噛み傷だ。呪いを受けた以上、凶屍フェロックス化は免れん」


 小屋でのイヴリン同様、世間の一般常識を丁寧に説く神父の声色にも棘がある。


「なりませんよ」


 神父の肩のあたりに視線を止めたラスが答えた。目を合わせて会話するのは、相手の性別美醜関係なく苦手なようだ。


「なぜ」


「な、なぜって、そういう研究結果が出たからに決まってる。だ、だってもう百年も前の話です。知らない方が、おかしい」


「すみません神父様!」


 悪気なく周囲の神経を逆なでし続けるラスの言動にたまらなくなったイヴリンは、ラスと神父の間に、半ば強引に割って入った。


「彼ちょっと、たまに発言が刺さるんです。でも悪意は全然ないので、どうかお気になさらず」


 説明をラスに丸投げした事を後悔しながら、必死にフォローをする。

 

 トーマスが「なあ」とラスに呼びかけた。


「俺は、ホントに死なずに済むのか?」


 すがるような目で、ラスを見上げている。頷いたラスが口を開き何かを言いかけたが、その前に村長が先手を打つように追求した。


「証拠は? 文献でもあるなら納得もできようが」


 待ってました、とばかりにイヴリンは胸を張る。


「証拠ならここにあるわ」


 そう言うと、ラスの肩に手を置いた。





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