第7話 師父 フィリップ・リュー

 沈黙を破ったのはラスではなく、イヴリンでもなく、モルトス達でもなかった。椅子の脚にとまっていた烏のメイである。しかし、カアとは鳴かなかった。人語を話したのだ。「お取り込み中だったかの?」と、しわがれた男の声で。


 イヴリンは悲鳴を上げて飛び上がった。メイから最も離れた壁際まで走って逃げたが、しかしまだ足りないとばかりに壁にぴたりと背中を押し付ける。一方ラスは、ホッとしたような笑みを浮かべてメイに歩み寄った。


「シフ。ハオジュー ブゥジィェン」


 ラスが公用語ではない言語で話し、前腕を胸の前まで水平に上げ、掌を内側に重ねて軽く頭を下げる。平坦なイントネーションと複雑な舌使いから、フールー (東洋で最大の国土面積を誇る国)語ではないかとイヴリンは推測した。礼も、フールーのスタイルだ。


「すまん。急いでおるので挨拶は抜きで聞け。ギル・バンが裏切った」


 メイは時折瞬きをしながらくちばしをパカパカ動かし、実に流暢な老人口調で不穏な事を喋りはじめた。公用語だが、ラス同様どことなく東洋訛りが聞きとれる。

 絶句しているイヴリンを置いてけぼりに、ラスとメイは公用語の会話を続ける。


「ギル・バン事務総長が? でもあの人は師父の旧友のはずじゃ」


「奴は世界中がお前達の捕獲に乗り出す前に、屍と案内人を囲うと言いはじめた。そうして、平和利用に役立てると」


「や、役立てるって何です?」


 狼狽ぎみだったラスの声色に、僅かな怒りが加わった。


「この人達は、それぞれの人生を終えて、大切な人の元で眠りにつく為に故郷へ帰るんです。これ以上、何をさせようって言うんですか」


 五人の死人達を掌で示すラスの強張った表情からも、同様に怒りが感じられる。

 もしやラスが腹話術で一人芝居を始めたのではないか、と疑っていたイヴリンだったが、ラスの様子を見る限り、これは演技ではないと確信した。


「ひとまずは、戦後処理班に回すと」


 憂いたように嘴を下げたメイが答える。


「そんな、無茶ですよ」


「議論は繰り返した。我々も国連と協調関係になるからには、平和維持に努める義務がある。しかし死者が利用される事などあってはならん。例え平和の為だとしてもじゃ。しかしあやつめ、従わねば屍案内人機構を潰すと脅して来たばかりか、ワシが国連に不信任案を提出する直前に察して、ワシを拘束しおった。今は幽閉されておる」


「助けに行きます! 場所は?」


 身をひるがえしたラスは、コートのポケットから小さな鐘を取り出すと、それを荷物から突き出ている竿の先に結び始めた。しかし、その一連の動きはメイの「分らんのだわ」という悲しげな声でピタリと静止する。


「しかし連れを逃がせたゆえ、いずれ幽閉場所を突き止めて助けを呼んでくれるはずじゃ。安心せい」


「でも……」


「たちまち命にかかわる事はないと踏んでおる。今お前さんは、自分の仕事と、その娘さんとのご縁を大事にすることじゃ」


 娘さん、のところで、メイの嘴の先がイヴリンに向けられた。突然、ラスとメイの双方から注目されたイヴリンは、壁に背中をひっつけたまま、「あ~……」とこの場に相応しいコメントを思案する


「メイって喋る烏なの? それとも九官鳥だった?」


 思いついたのがこの質問だった。

 ラスが怪訝な顔で首を傾げる。


「し、喋ってるのは、メイじゃなくて師父しふだよ。公用語では……マスター」


「つまり、あなたのマスターは九官鳥ってこと?」


「ううんそうじゃなくて」


 ラスが大きく被りを振った。イヴリンも被りを振りたい気持ちだった。頭の中は大混乱である。

 再び気まずい沈黙が流れる。それを破ったのもまた、メイだった。


「電話は知っとるかねお譲さん」


 戦地で電話の使用経験があったイヴリンは、「ええ」と答える。


「屍案内人の連れは電話の役割もする」


「メイは機械だったって事?」


「なかなか強情な頭のお嬢さんじゃ」


 石頭呼ばわりされてムッとしたイヴリンは、口を結んだ。

 イヴリンの不快感に勘付いたのか、ラスが会話に割って入る。


「れ、霊魂を千切って飛ばすんだよ。メイの体を借りて、話す。伝言も残せるんだ」


「人間にそんなこと出来るの?」


「古代ペラ人の血がもたらす才能じゃ。ワシらにはできるが、お前さんにはできん。それだけのこと」


「こいつ丸焼きにしてやりたい」


 立て続けに蔑まれた気持ちになったイヴリンは、腰に手をあてて生意気な烏を睨みつけると、壁際から一歩前に踏み出した。

 ラスが大慌てでメイを抱き上げ、小屋の隅へ避難する。


「め、メイはとてもいい子なんだ。お願い焼き鳥にはしないで!」


 顔面を引きつらせたラスは、本気で怯えていた。メイに憑依した師父が、「ラスは今年で二十二じゃが、冗談は全く通じんぞ」と遅い助言をくれる。


「二十二!?」


 ラスを未成年だと思いこんでいたイヴリンは声をひっくりかえらせた。

 ラスが必死に、謝罪と弁解を始める。


「ごめん。その、案内人は基本、夜中に活動するから。ご、ごめん。生きてる人と話すの、慣れてなくて。と、特にあなたみたいな美しい人が相手じゃ余計に緊張するから」


 ごめん、と最後に結んだラスは、俯いてしまう。何となく、頬や耳が赤くなっているようにも見えた。美しい、と思いがけず褒め言葉を頂戴したイヴリンは、気をよくする。


「謝らないでいいのよ」


 自分は年下だと判明したものの、年長者の気持ちで、内気な青年に微笑みかけた。


「面白い友達ができたようでよかったの」


 師父に憑依されているメイが、嘴をパカパカさせた。ラスは腕に抱いていたメイを、裏返った椅子の脚に戻す。


「それじゃあ、僕はとりあえず、予定通り五人を送り届けます。何か変化があったら連絡をくれると、約束して下さい」


「それでよい。今まで以上に人目を避けよ。軍がお前達を欲しがっておる事、ゆめゆめ忘れてはならんぞ」


「気をつけます」


「もしもの時は迷わず救難陣きゅうなんじんを使えよ」


 はい、とラスが頷いた数秒後、メイが翼をはばたかせ、カアと鳴いた。普通の烏に戻ったらしい。

 イヴリンに顔を向けたラスが、はにかむように笑い「ごめん、い、いきなりでびっくりしたよね」と謝った。イヴリンは謝罪に応える代わりに、師父との会話文の中で気になっていた事を訊ねる。


「ギル・バンてもしかして、国連事務総長のギル・バン?」


「そうだよ。さ、さっき話してた、師父は、世界屍案内人機構の代表、フィリップ・リュー」


 屍案内人に大きな組織体制があったのは初耳だったが、国連はよく知っている。終戦とほぼ同時に発足した、世界初の国際平和機構だ。そのトップが、ギル・バンである。砂漠の大国、ペラの元外務大臣だ。


「あ~、やっぱりそうなんだ」


 イヴリンは引きつった笑顔で幾度か頷いた後、床に視線を落として思いきり顔をしかめた。


「烏が喋ったややこしい話全部、聞かなかった事にしたぁい……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る