第5話 烏を追いかける

「やっぱりあんな村に帰るより、街で働けばよかった」


 ぶつぶつ独り言を口にしながら、屍案内人モルトスあんないにんの忘れ物を抱えたイヴリンは、東の街道へ走っていったはずの集団を追っていた。


 仲間が与えたラスへの仕打ちを思い出すと、胸がムカムカする。

 本当は、凶屍フェロックスに噛まれた彼を保護して経過観察をするべきなのだ。それは、この国だけではない、凶屍フェロックスを生み出す土地に住まう者の義務である。しかし村人たちは自分達の利を取った。だ。


 排他的。利己主義。日和見。


「戦争が終わっても、何も変わりゃしないんだから」


 イヴリンはでこぼこした坂道をずんずん下りながら、鼻息荒く吐き捨てた。


「出て行ってやろうかしら」


 ぽっと頭に浮かんだ考えが、口からついて出る。

 昨年、大きな戦争が終わったばかりで、爆撃を受けた都はまだ、瓦礫だらけの凄惨さだと聞く。交通網やライフラインはやっと拡張工事が始まった状態らしく、看護師不足も続いているそうだ。ならば、自分のような元従軍看護師は、都へ行った方が役に立てるのではないか。

 都で看護師をする妄想に思考を全て持って行かれ、自然に足が止まる。だが、都会生活の夢想はあっけなく崩れ去った。


「ああ~、ダメダメダメだ。看護士がいなくなっちゃう」


 重大な事を思い出して、かぶりをふる。戦後、村に帰った理由が、村に看護士が一人もいなかったからなのだ。医者は十キロ離れた町に一人。しかも村で診療をしてくれるのは毎日ではなく、たった週に二回。それ以外は、イヴリンが対応するか、医者がいる町まで足をのばさなければならない。

 イヴリンがフロンドサス村を出るというのは、村を丸ごと一つ、見捨てるのと同じ事だった。


「今は辛抱……」


 一年前、凱旋帰国した兄から一緒に都で働こうと誘われ、断った。その時と同じ文句を呟き、奥歯で噛みしめる。

 ため息を一つついて、気持ちを切り替えた。

 今は、アボナへ発ったはずの屍案内人に忘れ物を届けねばならない。偶然にもアボナは、村の非常勤医師が住む町でもある。通じている道は一本しなかい。

 一本しかないはずなのだが……


 シラカバ林を貫いた長い一本道に、彼らの姿が見当たらないのはどういうわけだろう。

 イヴリンは重い荷物を両腕で抱えたまま、わだちがくっきりと残っている道の真ん中で途方に暮れる。


「あの子、道を間違えたのかしら」


 四方へ顔をめぐらせるも、見つけたのは草むらで飛び跳ねた野兎だけだった。仕方が無いので、周囲へ呼びかけてみる。


「ラス君! 屍案内人モルトスあんないにんのラスくーん!」


 若者が口にしていた名を呼びながら前進していると、カア、という鳴き声がした。見ると、シラカバの木の枝にカラスが一羽、止まっていた。こちらをじっと見ている。

 烏はイヴリンと目が合うと、イヴリンに向けてまたカアと一鳴きし、枝から飛び立った。イヴリンの頭上を一周すると、シラカバ林の奥へと飛んで行く。


 まるで自分を導いているようだと感じたイヴリンは、その烏を追って林の中に足を踏み入れた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 未舗装の林の中は、低い草むらの中に雪が残っており、滑りやすかった。加えて烏に置いて行かれないよう上を見続ける事で、必然的に足元への注意はおろそかになる。草に残る雪や水滴が、イヴリンのネグリジェの裾を濡らし、牛皮のブーツ越しに容赦なくつま先を冷やす。荷物を抱えているためバランスもとりにくく、イヴリンは何度も足を滑らせて転びそうになりながら、必死に烏を追いかけた。


 シラカバの枝が見えなくなったと思ったら、林を抜けて牧草地に出ていた。緩やかな丘の上に伸びる石垣沿いに、屋根の一部が落ちた小屋があり、烏はそこへ滑るように入ってゆく。

 扉も柵もない出入り口からそっと中を覗くと、奥の壁に沿ってモルトスが五人、こちらに向かって整列していた。その列の左端に先程の凶屍フェロックスを見つけたイヴリンは息を飲むと、くるりと身を反転させて壁に身を隠す。


「そうよ、いると思った。ここにいると思ってた。でもどうしよう。どうする?」


 自分を落ち着かせる為に、ぶつぶつと早口で呟く。しかしその行為は、半ばパニックになっている頭の中を再認識しただけで、心を鎮める助けにはならなかった。

 どくどく拍動する心臓を落ち着かせようと、ふーふー、と意識的に大きく息を吐く。

 その時、中から若い男の声がした。

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