第4話 嫌われ者の屍使い

 ラスに加勢した二人の軍人が、凶屍フェロックスの両腕をしっかりと掴んでいる。三人が凶屍フェロックスをとどめている間に、看護師の女性が、ビッテの背中の下で震えていたレナを助け出す。

 見事な連携プレーである。しかし、口いっぱいに腕を突っ込まれた凶屍フェロックスは、腕を噛み続けたまま唸り声を上げただけで、屍案内人の質問には答えなかった。


 ラスは「反応なし」と残念そうにこぼすと、「うっ」と踏ん張るような声を上げて凶屍フェロックスにぐいと体を押し付けた。相手を仰向けに押し倒し、腹の上にまたがるような格好になる。


「ロイズ中尉。カイン一等兵。しっかり押さえててくださいね」


 左右の軍人に協力を仰いだ。凶屍フェロックスの肩側に移動した二人がそれぞれ、暴れようとする両肩と手首を地面に押さえつける。


 凶屍フェロックスが口を大きく開け、咆哮を上げた。ラスはその隙に、噛ませていた右腕を抜き取った。続けて、右手で凶屍フェロックスの頭を押さえて固定すると、左の親指の腹を噛み、自ら出血させる。その親指を凶屍フェロックスの額にあて、手早く何かを描いた。描き終えると、暴れ狂っていた凶屍フェロックスが、ぱたりと動きを止める。


「名乗って下さい」


 ラスが再び、名前を求めた。


「オリバ……ミラー。ぎょうしょう……にん」


 凶屍フェロックスがくぐもった声で、口をきいた。イヴリンのみならず、野次馬達からもどよめきが起こる。皆、言葉を話す凶屍フェロックスを、初めて目の当たりにしたからだ。


「オリバーさんは、ケルトニア出身?」


「カメ……ロット」


 カメロットは、ここケルトニア国の北に位置する。車や汽車を使えば、フロンドサス村から一日くらいで着く都市の一つである。


「そこへ帰りたいですか? それともここで弔ってほしい?」


「妻……が待って……いる」


「分りました。詳しい住所は?」


 凶屍フェロックスは答えなかった。黙ったまま、人形のように四肢を投げ出したままぴくりともしない。

 屍案内人かばねあんないにんは項垂れる。


「また時間切れか。住所が分らないとキツイなあ」


 ぼやいた彼は、オリバーと名乗った凶屍フェロックスの上からその身をどけると、立ち上がった。右腕を水平に伸ばす。


 チリ―ン


 高い音色が響いた。ラスの右中指から吊るされている小鐘が鳴ったのだ。その音色に導かれるように、凶屍フェロックスがゆらりと起きる。

 立ち上がった凶屍フェロックスの額には、円を二つに割った魔法陣のような紋様が描かれていた。ラスが先ほど、親指の血で描いたものだ。両腕をだらりと下げた凶屍フェロックスの両目は焦点が合っておらず、亡霊のような頼りない様相だ。しかし少なくとも、暴れ出す気配は無かった。同様に、彼を押さえていた二人の軍人も、生気が感じられない立ち姿である。イヴリンはここでやっと、ラスに加勢していた軍人二人が歩く遺体――モルトス――である事に気付いた。大小二人の軍人は、体中に包帯が巻かれ、顔面の皮膚はひび割れている。


 次にラスは、レナを保護して道端に避難している看護師に歩み寄った。彼女もまた瞳がうつろで、ナース服の袖口やスカートの裾から包帯が見えている。


「マリーさん。その子を返してあげて」


 レナを両腕に抱いている看護師のモルトスに向かって、ラスが優しく声をかけた。

 マリーと呼ばれた看護師は無表情でレナを抱えたまま、動かない。ラスが困ったように笑う。


「ねえ、あなたにもう子育ては無理でしょ」


 ストレートな表現だが、柔らかい声色からは相手を傷つけまいという配慮が伺えた。

 レナの胸に回っていたマリーの細い両腕が、すとんと落ちる。ラスは「ほらおいで」と硬直しているレナをマリーからそっと離すと、肩を抱いてビッテの元に連れていった。レナが祖母の両腕にしっかりと抱かれたのを確認すると、恥ずかしそうに俯いてビッテに訊ねる。


「えっと、す、すみません。アボナ、という町へは、ど、どう行けばいいですか」


 緊張しているのか、何度もどつっかえていた。


「アボナかい? アボナは……」


 ビッテが答えかけた時、ラスが突然、「わっ!」と小さく声を上げて左側頭部を押さえた。ラスの左側頭部に直撃した小鳥の卵大の石が、コロコロと地面を転がる。


「出て行け、モルトス使い!」


 石を投げた大工の男が、ラスに向かって叫んだ。そこからは、野次馬達から次々と罵声や石が飛ぶ。


「村にモルトスを持ちこむな!」


「今すぐ出ていけ!」


 モルトス使いとは、屍案内人かばねあんないにんの俗称である。村人たちは老若男女問わず、モルトスを使って凶屍フェロックスを手懐けた若者を、攻撃しはじめた。


「え、ちょっとま、待って痛っ!」


 狼狽しているラスの肩にまた、石が当たる。


「ちょっと何するんだい!」


 ビッテが、ラスを庇うように立ちはだかる。イヴリンも預かった荷物を抱えたまま、渦中へ飛び込んだ。


「みんな落ち着いて! 彼は恩人じゃないの!」


 いきり立った野次馬達を鎮めようと呼びかけたが、効果は無かった。彼らはすぐにでもラスを攻撃できるよう、石を構えている。


モルトス使いは災いを呼ぶ! しかもそいつは、凶屍フェロックスに噛まれたじゃないか! ここで殺されないだけ有難いと思え!」


 今にもレンガを振りかぶろうという体勢で、パン屋のオヤジが叫んだ。


「あっ」と小さく声を上げたイヴリンとビッテが、ラスの右腕を見る。

 彼は、自らの右腕を噛ませてビッテを助けたのだ。服に隠されて素肌は見えないが、あらゆる抑制から解放された凶屍フェロックスは、時に骨ごと人を喰らう。そんな化け物に噛まれて、無傷のはずがない。


 行動を起こしたのは、イヴリンよりもビッテの方が早かった。ラスの背中を押したビッテが、東を指さす。


「あんた、早く逃げな! アボナはあっちだよ!」


「え、あ。は、はいどうも」


 ラスはうろたえつつも、右手の小鐘を一振り鳴らして後ろ向きに走りはじめた。四方から石を投げられても微動だにしなかったモルトス達を集めると、ラスは前に向き直って足を速める。

 追走するモルトスは、軍人二人と看護師一人。そしてつい先ほどまで暴れ回っていた凶屍フェロックスが一人。最後に、白いエプロンをつけた老人の、五人である。

 そういえば凶屍との戦いを見守っている間、隣に見覚えのない老人が立っていたなと、イヴリンは走り去る六人を眺めながら思い出す。もしかしたらラスは、彼に荷物を預けるつもりだったのかもしれない。「ダンさん」と呼んでいたし、きっとそうだ、うっかり人違いをしたのだ、と。

 そこで、気付いた。彼の荷物は、まだ自分が抱えたままである。


「やだ大変!」


 イヴリンは慌てて、道の向こうに消えた集団を追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る