第3話 屍案内人 ラス・リュー
抱き合うようにして帰ってゆくビッテとレナを庭先で見送ったイヴリンは、憂鬱な面持ちで空を見上げた。
朝焼けが、畑の向こう側に見える教会屋根の十字架の根元まで達している。近所の家の煙突からは、煙が出ている。そこに住まう人々が既に生産活動を始めている証だ。小麦が焼ける香ばしい匂いは、通りを二つ挟んだパン屋からだろう。
イヴリンの家には、あばら家には勿体ないくらい美しい置時計がある。両親が生きていた頃に暮らしていた家から持ってきたもの。開きっぱなしだった玄関扉から、ちょうどそれが見えた。針は六時半を示している。二度寝したかったが、無理なようだ。
村を囲む林を超えて来た一陣の風が、イヴリンの首筋に触れた。顕わになっていたうなじを冷やされ、イヴリンはぶるりと体を震わせて首をすくめる。
「着替えよう」
ガウンの襟元を合わせると、家へと引き返す。出勤前に、朝食も食べなければならない。三日前に買ったパンとチーズ。それから玉葱が残っていたはずだが。
食料棚の中身を思い出しつつ玄関ポーチへ急いでいると、遠くの方で甲高い悲鳴が上がった。イヴリンは足を止めて、悲鳴が聞こえた方に顔を向ける。するとまた、更に幾つか、性別が入り混じった絶叫が聞こえた。
「イヴリーン!」
先程帰ったばかりのビッテが、レナを引きずるようにして戻ってきた。その両目はカッと見開かれ、たっぷりとした頬肉は強張っている。恐怖しているのだ。ビッテの他にも村人たち数人が、血相を変えてこちらに走ってくる。
「今度は何!?」
訊ねたイヴリンにビッテが、「
その人間が周囲と一線を画しているのは、走り方。足は速いが、両腕には力が入っておらずバタバタと揺れている。体のふり幅も大きい。脚だけで走っているという感じだ。次に、服装。シャツやズボンのそこら中が破けており、泥や血がこびりついている。最後に、肌と顔つきだ。血色が悪く、傷口が黒く変色している。若い男性のようだが、人間らしい表情は失われており、まるで狂った獣のようだ。
否。
そしてたった今、村を襲っている
「ビッテ! 早く!
イヴリンは大きく腕を振って二人を手招きする。
後ろを振り返ったビッテが、走行速度を上げた。次の瞬間、レナが地面の窪みに足を取られ、転倒する。右の脇からすり抜けるようにして倒れたレナを置いて数メートルほど走ったビッテは、慌てて立ち止まり、うつ伏せになっている孫娘の元へと戻った。
そこへ、
ああ、とイヴリンは叫んだ。昔の記憶が呼び覚まされそうになり、目を覆いたくなる。
と、その時。イヴリンの横に黒い影がすっ、と現れた。
「へえ。この国じゃフェロックスって言うんだ」
のんびりとした若い男性の声。少しだが、東洋の訛りがある。イヴリンは突然現れた見知らぬ若者を見て、目を瞬いた。
彼が村人でない事は一目で分かった。まず人種が違う。このフロンドサス村にいる人間に、
「でもよかった。寒いから動きが鈍い」
若者は、のほほんとした調子で言いながら、竹細工の四角い鞄を背中からおろした。それを子供の背丈ほどある杖と一緒に「ダンさん。持ってて」とイヴリンに押しつける。
「え、なに? ちょっと!」
イヴリンは面食らった。若者はイヴリンに構わず、口元に笑みを浮かべると、逃げてくる村人達に逆走する形でダッと駆け出す。軍人らしき男が二人と女性看護師が一人、それに続いた。
ビッテは、レンガや石を投げて
一際大きな咆哮を上げた
噛まれる。
その場で目撃していた誰もが覚悟しただろう。しかし、
「僕は、ラス・リュー。
絶句している村人達に見守られながら、ラスと名乗った屍案内人の若者は、
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