第二章 鉄扇

第4話 鉄扇・前


 カオルは夕方になって帰ってきた。


 庭の方に回り、素振りをしていたマサヒデに、


「只今戻りました」


 と、頭を下げた。

 ぴた、と素振りを止めて、マサヒデがカオルに顔を向ける。


「どうでしたか」


「は。カゲミツ様からお言伝を・・・」


 どんよりとした、カオルの顔。

 これは何かあったかな。痛めつけられた訳では無いようだが。


「父上から? 何と?」


「弟子を甘やかせすぎるな、と・・・」


「ははは! そうでしたか。

 やはり、弓の話はしないでおいた方が良かったですね」


「・・・」


 笑うマサヒデと対象的に、カオルはがっくりと肩を落とす。

 居間で寝転がったシズクが、カオルに声を掛けた。


「マサちゃんは甘やかしすぎか! あははは!

 どうせ、カゲミツ様に何か聞いてみたんだろ? あの振り方かな?」


「む・・・はい・・・」


「で、カゲミツ様と手合わせは出来たの?」


「いえ、相手にもしてもらえず」


「あららー・・・厳しいじゃない。私は相手してもらえる事あるのに。

 何回か行ったら、相手してもらえるかもよ?」


 がっくり、とカオルは肩を落とした。

 マサヒデがカオルを見て、


「まあ、そう気を落とさず。まだ、無願想流の振りを覚えたばかりです。

 少し練習して、私の言った所が分かってから、もう一度行ってみては」


「はい。そうします」


 意気消沈して肩を落とし、カオルは玄関に回って入って行った。

 マサヒデは声を掛けそうになったが、ふう、と息をついて、


(甘やかしすぎか)


 と、声を掛けるのをやめて、素振りを始めた。

 少しして、とんとんとん、と包丁の音が聞こえてきた。


「む!」


 しゅ、とマサヒデの木刀が振られる。

 包丁の音を聞いた瞬間、ぐぐっと腹が減ったのを自覚する。


(今日はここまでにするかな)


 マサヒデは木刀を収めて、縁側へ行き、木刀を置いて手拭いを取った。

 井戸へ行って、諸肌脱ぎで身体を拭く。

 戻って居間へ上がると、


「んふふー」


 肘枕のシズクが、マサヒデを見上げて含み笑いをする。


「なんです、気持ち悪い」


「マサちゃん、私も甘やかしてよ。強くなるコツ、教えて」


「駄目です。シズクさん、何度も気付く機会があったって言ったじゃないですか。

 自覚していないだけで、私の目の前で、何度も何度もやってたんですよ」


「そんなに!?」


 驚いてシズクが身体を起こした。


「そうです。何度もです。さすがに、気付いても良いと思うんですけど」


「ええ・・・」


 シズクが自分の手を見つめる。


「もう、カオルさんもアルマダさんも気付いてると思いますよ。

 自分では気付かないうちにって多いですけど、さすがにそろそろ・・・」


「・・・」


 マサヒデは言い置いて、奥の間に下がって行った。

 少しして、木刀を置いて、着流しに着替えて戻ってくる。

 眉を寄せて、シズクは手を見つめたまま。


「ここ最近の立ち会いを、良く思い出してみることです。

 私も見ていたんです。一緒にいた時の立ち会い、全部思い出してみて下さい」


「うん・・・」


 シズクは身じろぎもせず、難しい顔で手を見つめたまま、黙ってしまった。

 縁側で涼んでいると、少しして、仕事を終えたマツが出て来た。

 マサヒデは振り向いて、


「お疲れ様でした」


「マサヒデ様も、お疲れ様でした」


 と返して、マツが隣に座った。


「これ、お渡しするのを忘れておりました。

 先日の、お奉行様からの」


 そう言って、マツが扇子を出して、マサヒデに差し出した。

 マツは渡すかどうか迷ったのだが・・・


「ノブタメ様の。ああ、ハチさんが持ってきてくれたやつですね」


 受け取ると、ずしっと重い。

 これは、鉄扇だ。


「む、鉄扇ですか」


 ぱらりと開くと、中は紙ではなく、金属だ。

 枝に留まった雀が3羽、顔を寄せている。


「・・・これは、銀では・・・」


「ええ」


 マサヒデは驚いて、目を見開いた。


「随分と高そうですが・・・

 もらってしまって良いのでしょうか」


 シズクと一緒に寝転んでいたクレールが、ごろんと転がって起きてきた。


「マサヒデ様、私にも見せて下さい」


「どうぞ」


 す、とクレールに差し出すと、


「わあ!」


 と、驚いて落としそうになり、ぐっと手を持ち上げる。


「鉄扇てこんなに重いんですか!?」


 くす、とマサヒデとマツが笑い、


「中まで金属ですからね。

 外側の骨だけ鉄で、中は普通に紙ってのが多いのですが」


「でも、綺麗ですね! ううむ、銀というのが、また良い・・・

 銀は時間が立つ程、綺麗に黒くなるんですよ。

 だんだん、絵が綺麗に見えるようになってくるんですね」


「ほう。それで銀なんですね」


 マサヒデがクレールの手の扇子を覗き込む。

 マツが笑って、


「うふふ。さすがお奉行様ですね。良い物を頂けましたね」


「雀が3羽、顔を寄せて・・・

 これ、きっと、私とマツさんとクレールさんですね」


「そうでしょう。粋な物をお選びになって下さいました」


 マサヒデは右の少し小さな雀を指差し、


「これがクレールさんですかね? 少し小さめになってます」


「マサヒデ様はどれでしょうか?」


 マツが膝を寄せて、


「マサヒデ様は、きっと真ん中の雀ですよ。私は左の雀です」


「ん・・・」


 じっと、クレールが真剣な目で鉄扇を見つめる。


「うーん、雀に目が行きがちですけど、この枝も綺麗に描いてありますね・・・

 おそらく、この葉の所がカオルさんです。

 で、左に少し見える幹の部分が、シズクさんです」


「あら」


「ふうむ? どうしてそうなるんです?」


「この幹の所、横に切れて見えていますが、形から太い幹だと分かります。

 この葉の部分、雀が横を向いて、尾で隠れるようになっていますね。

 ここまで綺麗に描けるのに、わざと隠れるように描いたのです」


 さすがに、クレールは美術品には優れた目を持っている。

 そういう風に描いてあったのか・・・


「ううむ・・・この絵に、私達が全員入っているのですね」


「さすが、お奉行様は良い物を贈って下さいますね」


 クレールは鉄扇を畳んで、横からじっと見て、マサヒデの顔の前に差し出した。


「マサヒデ様、この畳んだ所、よーく見て下さい。

 ほんの少し、紙1枚くらい、隙間が空いてますね」


 受け取って、目を細めてじっと見ると、確かに・・・空いているような?

 マサヒデには良く分からない。


「中の銀の部分が擦れて、絵が崩れないようになってるんですよ。

 空き過ぎず、綺麗に隙間が空いています。

 これが、開くとぴったりと・・・」


「ううむ・・・すごい作りなんですね」


「大事にした方が良いですよ。これは業物ですよ」


「うん、大事にしましょう」


 と、ぱらりと開いて扇ぎだした。

 クレールが驚いて、


「ええー!? 大事にしましょうよ!?」


「何でそんなに驚くんです・・・扇子はこうやって使う物じゃないですか」


「し、しまっておきましょうよ!

 扇子をお使いになるのなら、普通の紙の物を買ってくれば!」


「何を仰ってるんですか・・・折角贈ってくれたんですから、使わないと」


 マツも驚いた顔でマサヒデを見て、


「マサヒデ様、こちらは素晴らしい絵が入っていますし。

 それに、そんなに重い物で扇いでは、手首を痛めますよ!」


(こうなると思った!)

 

 これを予想して、マツは渡したくなかったのだ。


「そうですかね?」


 ふあ、ふあ、とマサヒデは普通に鉄扇で扇いでいる。

 良くもあんな重い物で・・・


「あの、マサヒデ様、普通の紙の物を別に用意した方が・・・

 良い香りのする物もございますよ?」


「香り?」


「ええ。紙に香を染み込ませて、扇ぐと香りが」


「へえ。そんな物もあるんですか・・・高そうですね」


「高くはありませんから。明日、買って参りますから」


「でも、2本も持ってたら不自然ですし、邪魔ですよ」


「別に、暗器にするわけではないのですから。ね?

 不自然でも全く問題はございませんとも」


「そうですか?」


「そうですとも! ねえ、クレールさん!?」


 美術品として見ているマツとクレールが、慌てて扇ぐマサヒデを止める。


「そうですよ! 帯に挟んでおくだけにして下さい!

 咄嗟の時にこう、得物として使うようにして下さい!」


 び! び! と帯から手を振り上げるように、クレールが手を振る。


「ううん・・・折角、綺麗な絵なのに、開かないんですか?」


「マサヒデ様もご存知でしょう。銀は柔らかく、曲がりやすいのです。

 扇いでいて、ほんの少しでも曲がってしまったら、大変です。

 絵が擦れて消えてしまいますよ」


 確かに、薄い銀板だから、簡単に曲がりそうだが・・・

 軽く扇いでいる程度で、曲がってしまうだろうか?


「でも、それじゃあ、得物としても使えないじゃないですか・・・」


「咄嗟の時だけですから! ね! ね!

 普段使っていて、しょっちゅう曲がってしまっては、直すのも大変ですし!」


「そうですよ! マサヒデ様!」


 マサヒデは良く分からないな、という顔をして、


「勿体ないですねえ・・・折角、良い物を頂いたのに、使わないなんて」


 と、夕焼けの空を仰いだ。

 空を見上げたマサヒデを見て、ぱちん、とマツが手を合わせ、


「そうだ! では、こうしましょう! 別の鉄扇を買ってきては!

 こちらは素晴らしい絵の出来ですから、開いて飾っておくのは如何です?」


 扇ぎながら、扇子の絵を見る。

 これだけ綺麗に描かれた扇子を傷めるのも、勿体ないか?


「ううん・・・じゃあ、そうしましょうか。

 確かに、こんなに綺麗な物を壊してしまっては、申し訳ないですね」


 ほ、とマツとクレールが胸を撫で下ろす。


「では、明日、私とクレールさんで、良い物を選んで参りますから。

 こちらは私がお預かりしますね。

 そうだ、綺麗ですから、床の間に飾りましょう。ね?」


「ん、それも良いですね」


 ぱらりと鉄扇を畳んで、マツに渡すと、ふう、と2人が息をついた。

 ちりり・・・とマツとクレールを笑うように、小さく風鈴が鳴る。

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