第4話 開眼未満・2


「ぐっ!」


 カオルは立ち上がろうとして、声を上げた。

 ずきん! とすごい痛みが走り、くらっとした。

 先程の打ち込みで、肋が持っていかれたようだ。


「あ!」


 さ、とマサヒデが駆け寄り、カオルの肩に手を回す。


「クレールさん!」


「はい!」


 ぱたた、と裸足のままクレールが下りてきて、カオルの横腹に手を当てる。


「う、クレール様、ありがとうございました」


「もう、大丈夫ですか?」


 心配そうな顔で、クレールがカオルの顔を見上げる。


「はい。もう痛みは引きました」


 くる、と打ち込まれた側の腕を回す。

 大丈夫。痛みは残っていない。


「ふう、少し休みますか」


 3人は縁側に座った。

 声を聞いたのか、マツが執務室から出てくる。


「どうされました? 何か、声が」


 マサヒデがくるっと振り向き、


「いえ、ちょっと稽古で、私が強く打ち込んじゃって、カオルさんが怪我を」


 カオルも振り向く。


「奥方様、もう平気です。クレール様に治して頂きました」


「そうですか。なら、良いのです。

 マサヒデ様、あまり熱くなりすぎてはいけませんよ」


「はい。今日は少し・・・まだまだ、未熟でした」


 マサヒデは空を仰ぐ。

 ふん、とカオルが顔を逸らす。


「何が未熟なものですか・・・私、死ぬかと思いました。

 竹刀でなくて木刀でしたら、脾腹まで割れておりました」


 拗ねた顔を逸したカオルを見て、ふ、とマサヒデは小さく笑って、


「お相手してもらえたから、お詫びにひとつ。

 カオルさんは、目が良すぎるから、いけない」


「と言いますと」


「目が良いのは悪い事ではないのですが、そこに大きく頼ってしまっている。

 目が良すぎるから、自然と相手を目で追ってしまうのです」


 うん? という顔で、カオルがマサヒデの方を向く。


「目を使うな、と?」


 マサヒデは腕を組んで、顎に手を当てる。


「いや、ううむ・・・ちょっと上手く説明が出来ないのですが・・・

 相手の動きを見て、追う。で、相手の動きに染まってしまう。そして、崩れる。

 動いてから目で追ってはいけない・・・これ、分かりますかね?」


「ううん・・・」


「相手の動きを見るよりも、自分の体勢を崩さない方に集中すると良い。

 そうすると、自然と攻めも守りも良くなってきます。

 目って、動く物を自然と追っちゃうから、中々、難しいのですが・・・」


「・・・」


「ええと、目が悪ければ、相手の攻めも見えないから、当然、目が良い方が良いんですけど・・・ああ、上手く説明出来ないなあ・・・」


 マサヒデは頭をがりがりと掻きむしる。


「相手の動きに囚われず、自分の芯を崩すな、という感じですか?」


 は! とマサヒデがカオルに顔を向ける。


「それです! そう、カオルさんは、相手に囚われてしまいがちなんですよ。

 見えちゃうから、自然と相手の動きに囚われてるんです」


「そうでしょうか?」


「そうです。さっきの私の打ち込みだって、十分見えてたでしょう?

 見える速さなら、カオルさんなら、余裕で避けられるはずなんですよ。

 なのに、食らっちゃったでしょう」


「確かに、見えてはいましたが・・・」


「なら、余裕で避けられたはずです。

 私が今までと違う動きをしたから、そこに囚われちゃっただけなんですよ」


「ううん・・・そうでしょうか・・・」


 カオルは顎に指を当て、首を傾げる。


「最後、受けたって事は、ちゃんと見えてて、身体も動いてた。違いますか?」


「確かに、見えてはいました。これは危ない、避けられないと思って・・・」


「そこです。危ない、避けられないと思った所。

 私の動きに囚われて、芯が崩れたんですよ。本当は動けたのに。

 心の芯が崩れて、身体の芯も崩れちゃったんです。

 で、芯が崩れたから、簡単に弾かれちゃったんですよ」


「なるほど」


「ここで、芯が崩れていなかったら、身体ごと簡単に避けられたはず。

 でなくても、カオルさんの技術なら、すいっと流せたはずなんです。

 シズクさんの鉄棒みたいな、出鱈目に重い攻撃じゃないんですから」


「ううん・・・確かに・・・」


「あ! そうだ! 目で追うな、囚われるな、相手の動きに飲まれるな、みたいな、こういう感じの事、良く言われましんでした?」


 は! とカオルが顔を上げ、


「む! 言われました!」


「カオルさんはそんなの気にしなくても、大抵の奴らには勝てるくらい強くなっちゃったから、いつの間にか、普通に目で追うようになっちゃってたんですよ。それでも余裕で勝てちゃう腕があるから、気にしなくなっちゃってるんです」


「なるほど・・・そうだったんですね・・・」


「動きの緩急自在ってのも、これですよね。

 相手に目で追わせて、囚わせている」


「ああっ!」


 大声を上げて、ばっ! とカオルがマサヒデに顔を向けた。

 驚いて、マツとクレールがカオルを見つめる。


「そ、そうか! そういう事でしたか!

 私、ご主人様の動きに囚われてしまっておりました!

 はっきり分かりました! 今、分かりました!」


 カオルがゆっくりとマサヒデに身体を向け、手を付いた。


「お教え、ありがとうございました」


「こちらこそ、痛い思いをさせてしまって、申し訳ありませんでした」


 マサヒデは腕を組んで、また空を見上げた。


 カオルの斬り上げから気付いた点は、ひとつだけではなかった。

 逆足で止まった事。

 ここから、カオルの斬り上げを思い返し、気付きはどんどん広がっていった。


 通常の振り方ではあり得ない動きだったのに、カオルは姿勢が崩れていなかった。

 下から小太刀が迫ってきて、身体が伸びて来た。

 小太刀に引かれるように、身体が伸び上がって来たのだ。


 手が先に、そこに身体が着いてくる。

 素人が得物に振り回されるのに近いようで、実は大きく違う。

 身体がばらばらに動かないよう、しっかりと手に着いていく。

 このように自在に振れれば、これほど分かりづらい振りはあるまい。


 カオルは、これを自然と身に付けていた。

 意識して出来た物ではなく、厳しい鍛錬を積むうちに、自然と体得したのだ。


 マサヒデがこの振りを完成させるのには、あとひとつ課題がある。

 後からまた課題が出てくるかもしれないが、今はまだひとつ。


 身体の芯。


 頭の頂点から、まっすぐ下に下りる正中線。

 基本は、身体の芯はここだ。

 だが、この振り方なら、芯は身体のどこにでも置く事が出来る。

 どこを芯にするかで、同じ振りでも大きく変わってくる。


 自在に芯を作り、振る。

 これが出来るか。

 出来なければ、素人が得物に振り回されるのと、何ら変わらない。

 せっかくの気付きも水の泡になってしまう。


 カオルが下段から斬り上げてきた、あの一振り。

 このたった一振りの動きから、多くの事に気付き、大きく変わる事が出来る。

 今までの守りの剣と、自在に振られる攻めの剣。

 この攻防の剣を交える事が出来れば、もっと強くなれるはずだ。

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