第27話 カオルの初稽古


 食べすぎてぐったりしたシズクを抱え、マサヒデはマツの家に戻った。

 からからからー。


「只今戻りました」


「お帰りなさいませ」


 メイド姿のカオルが頭を下げている。


「シズク様? どうされました?」


「ああ、大丈夫です。ただの食べ過ぎです」


 マサヒデは包んでもらった肉をカオルに渡し、


「これ、お土産です。夕飯に温めて食べましょう。何の肉か分かりませんが」


「これはまた、ずっしりと」


「ええ。何せ、金貨10枚ですから」


「え!? 金貨10枚ですか!?」


 さすがにカオルも驚いている。

 香水の小瓶では全く驚いていなかったが・・・


「シズクさんの奢りなんですよ」


「これは・・・シズク様、ありがとうございます」


「うーん、私はもういいかな・・・」


「ははは! さあ、シズクさん。上がりますよ」


 縁側の部屋に行くと、マツが座って待っていた。


「お帰りなさいませ・・・あら」


「はは、ただの食べ過ぎです。少し寝かせてあげましょう」


 マサヒデはゆっくりシズクを横たえる。


「苦しいよ・・・マサちゃん・・・」


「あらあら」


「さ、シズクさん。そのまま寝てて下さい」


「分かった・・・」


 カオルが茶を持ってきた。

 ちょうどいい。


「ありがとうございます。ところでマツさん、少し頼みがあるんです」


「はい」


「あの、私とアルマダさんが、マツさんと初めて稽古した時の、あの魔術ですが」


「えーと? どれでしょう?」


「一番最初の、私とアルマダさんが閉じ込められた、あれです」


「ああ。あれが何か」


「あれって、この家でも使えますか?」


「ええ。どこでも」


「では、カオルさんと少し稽古をしたいので、庭で私とカオルさんを閉じ込めてもらえますか?」


「え?」


「ほら、言ってたじゃないですか。誰にも見られない、聞こえないって。

 カオルさん、仕事柄、あまり見せたくない手もあるでしょうし。

 シズクさんも目の前ですし・・・寝てますけど」


「ああ、なるほど」


 カオルは何だ? という顔をしている。

 マサヒデは借りてきた訓練用の小太刀をカオルに差し出す。


「良かったら、これから稽古しましょう。先日は結局出来ませんでしたしね。

 カオルさんは仕事柄、あまり見られたくない手もありましょう。

 これから、絶対に誰にも見られない、聞こえない場所で稽古します」


「誰にも見られない、聞こえもしない場所?」


「はい。ですので、本番に向けて稽古しましょう。

 あ、先にも言いましたが、即死してしまうような毒とかはダメですよ」


「? 分かりました」


「では、庭で待ってますから」


「庭ですか? そこの?」


「はい」


 マツがにやにや笑っている。


「良かったらマツさんもご覧になりますか」


「ええ。是非とも」



----------



 一度玄関に戻って、履物を履いて庭に行く。

 既にカオルは庭にいた。


「じゃあ、マツさん。お願いします」


「はい」


 すっ、と音が消えた。


「!」


 カオルはすぐに異変に気付いたようだ。


「これは・・・」


 音がしない。声がしない。

 すぐそこで人が通りを歩いている。

 木の枝に雀もとまっている。

 なのに、一切の音がしない。


「さて、カオルさん。向かいにあるギルドへ、歩いて行ってみて下さい」


「・・・はい」


 カオルは警戒しながら、門まで近付いて「あっ!」と声を上げた。


「これは・・・?」


 開いた門の空間に手を当て、カオルが驚いている。

 何もないのに、何かの壁がある。

 手に持った小太刀で空間を叩くが、何の感触もしない。

 なのに、そこより先に小太刀が進まない。

 すぐ目の前を、人が歩いている。


「うふふ。驚きました? これが、私の特製の魔術のひとつですよ」


「・・・」


 カオルがマツに驚きの目を向ける。

 マツは凄みのある顔で、


「ふふふ・・・魔術をかけた私は出入り自由・・・

 カオル様は、もう術を解くまで、出られません。

 このまま、私達はあなたを放って出て行くことも出来るのですよ。

 誰にも見えず、誰にも聞こえず。

 たとえ誰かがこの庭に入ってきても、あなたは気付かれません。

 たとえ私を殺しても、もうあなたはここに閉じ込められたままです」


「で、では・・・!」


「ふふふ、マツさん。そんなにカオルさんを驚かせないで下さい」


 マツはにこっと笑って、


「もちろん、そんな事はしませんけどね。うふふ」


 ほっ、とカオルが息をつく。


「念の為です。ちょっと確認しましょうか。

 さあ、カオルさん。こちらへ」


 部屋に上がって、寝ているシズクを竹刀でつついてみる。

 竹刀はそこに何もないように、シズクをすっと通り抜ける。


「ほら。シズクさんは、我々を見えないし、聞こえませんし、感じません」


「・・・」


「あ、マツさん。木や茂みとか、その辺は入れてもらえますか? カオルさんが使うかもしれませんし」


「分かりました」


 雀が木の枝から飛び立っていくが、音がしない。


「カオルさん。一応、持ち物の確認もしてもらえますか」


 カオルは服のいくつかの場所を手で押さえ、


「・・・大丈夫です」


 と答える。


「さて。では、そのメイドの服を脱いで、本番の準備をして下さい。

 ここには、私とマツさんと、あなたしかいません。

 監視の方もいませんから、思い切り・・・あ」


 マサヒデはマツの方を向いて、


「すみません、念のため、何かあったら治癒の魔術をお願い出来ますか」


「もちろんですとも。ちゃんと見てますから」


「ありがとうございます。さあ、カオルさん。準備を」


 ばさっ! とメイドの服を脱ぎ、カオルが黒装束の姿になる。


(私はあなたとの試合で、大きく変わる事が出来ました。ありがとうございます)


 マサヒデは剣を構え、カオルに心の中で感謝した。



----------



「では!」


 カオルがさっと駆け込んできた。

 やはり速い。

 下から斬り上げてくる。


 試合の時は、ぎりぎりで避ける事が出来たが、鼻を折られた。

 だが、もう受け流すことが出来る。

 流しても、カオルは崩れない。横からくる。

 これも受け流せる。


 瞬間、カオルは跳び下がった。

 もう、まともに打ち合って勝てる相手ではない。

 試合の最後が脳裏に浮かぶ。

 完全な死角から斬りかかったのに、受け流されて、武器を飛ばされたのだ。


「・・・」


 腹を決めて、ぐっと腰を落とし、また走り出す。


「おっ」


 マサヒデは驚いた。

 左右にくいくいと曲がりながら走るカオルの残像が見える。

 これが分身の術というものか。

 すぐ目の前を走ってくるのに、音もない。

 だが、実際に斬りかかってくるのは残像ではない。


(左)


 すっと剣を上げたが・・・


(あれ?)


 いない。

 はっとして跳び下がると、薄く粉が舞っている。

 毒か。


「・・・」


 見回すと、もうカオルは消えている。


(さすがだ)


 完全に気配が消えている。

 小さな音がして、そちらを向いた刹那、後ろからカオルが跳んでくる。

 ぱっとマサヒデは跳んだが、


「う!」


 撒菱。着地する場所に、撒菱が撒いてある。

 さっきの小さな音はこれだ。

 竹刀を地に立てて、ぐいっと身体を押し上げ、何とか撒菱の向こうに着地。

 振り向きながら、思い切り剣を払い、跳び込んできたカオルを横に叩き落とした。


 ぱん! と音がして、どすん、ごろっとカオルが転がる。


 ぱちぱち、とマツが拍手する。


「ふう・・・お見事です」


「く・・・」


 カオルが顔を上げると、マサヒデは手に持った竹刀を見つめていた。


「これが、本身だったら・・・

 さっき地面に刺した時、折れていたかもしれませんね。

 柔らかい竹刀だったから、跳ねることが出来た。

 本身で折れていたら、私はカオルさんを払えず、死んでいた」


「・・・折れていなかったら、私は宙で真っ二つでしたね・・・」


「まあ、そうですね。じゃあ、これは相打ちということで」


「・・・」


「では、もう一戦、行きましょう。あ、撒菱、拾わないと」


「はい・・・」


 撒菱を拾って、カオルに手渡す。


「では」


 カオルがぱっと跳び下がり、なにか小さな物を投げつけてきた。

 手裏剣ではない。

 叩き落とさず、すっと避ける。


 ぱっとカオルは屋根に跳び乗り、また何か投げつけてくる。

 これも避けたが、すぐ後ろで何かがふわっと広がり、マサヒデの首筋がそれを感じた。


 ばっと飛び退くと、カオルがまた何か投げてくる。

 当たらない、と思ってそのままでいたが、さっき後ろで広がった何かに向かって飛んでゆく。


(火!)


 小さな火花が見えた瞬間、ぼん! と大きな音がして、火が上がった。


 驚いて飛び退くと、火の向こうからばらばらと何かが飛んでくる。

 身を右に屈めたが、広がって飛んできて、避けきれない。

 撒菱を投げつけて来たのだ。


「む」


 左腕と肩に刺さっているが、手裏剣と違って深いものではない。

 何か塗られていたら、と、はたくように落とすと、カオルが跳んでくる。

 さっと立ち上がるが、カオルはマサヒデまで届かず、少し手前で落ちる。


(あれ)


 と思った瞬間、カオルは地に何か叩き落した。

 また粉が巻き上がる。

 また火か。毒か。それとも目潰しか。


 視界は遮られたが、息を止め、目を閉じ、思い切って粉に突っ込んで、カオルに向かって跳ぶ。

 竹刀を振ったが、やはり手応えなし。


 そのまま少し駆け、体勢を立て直そうとした所で、茂みの陰からカオルが飛び出してきた。

 真横を飛び抜けながら、小太刀がマサヒデの首に迫る。


 くるっと左足を軸に身体を横に回して、ぎりぎりで小太刀を避ける。

 皮一枚。小太刀が首を掠める感触をはっきり感じた。


 カオルは着地して、そのまま飛び掛かろうとしたが、身体を回したマサヒデは後ろを、カオルの方を向いている。

 マサヒデの竹刀が目の前に置かれていて、カオルの動きが止まった。


「ここまでです」


「ま・・・参りました・・・」


 マツがまたぱちぱちと拍手をする。


 カオルはがっくり肩を落とし、俯いた。


 もう、この男には敵わない。

 カオルは、今の一戦で、持てる全てを出し切った、と感じている。

 もちろん、出していない手はまだある。

 だが、全て躱され・・・最後は斬られる、と確信した。

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