第5話 強くなるために

 喧騒から逃れるように走り続けてどれくらい経っただろうか。


 監獄を離れて聖都の中に紛れたはいいものの、土地勘なんてものがあるはずもない。


 とにかく人の多い場所を避けて、適当な路地裏で足を休ませることに決める。


「あー、もう無理だ、一歩も動けない……」


 倒れ込むように壁に背を預けて座り込む。


 体力がないのも確かだけど、極度の緊張が途切れたせいかドッと疲労が湧いてきた。


「もうしばらくはアイツには会いたくないな」


 全力で俺を殺しに来ていたジェレムの姿が今でも鮮明に思い出せる。


 あんなの物語の序盤に敵対していい相手じゃないって。動きを目で追うのがやっとで、初撃に反応出来たのもほぼ奇跡に近い。


 次に見つかったら今度こそあの剣で切り裂かれそうだ。


 もはや何か考えるのも億劫で、夜空に浮かんでいる月をぼんやりと眺める。


 すると、ずっとフワフワ浮いていたエルメラと目が合った。


「そうだ、さっきはありがとう、エルメラ。助かった」

「礼など要らん。私のためにやっていることだ」

「まあ、それでもな」


 実際、エルメラがいなかったら俺は間違いなく死んでいただろうし。


 命の恩人と言っても決して過言じゃない。


 なら、俺もきっちりエルメラへの義理を果たさないといけないだろう。この危機を乗り越えて魔界へとたどり着き、彼女を封印から解放する。


 そのために今、俺に一番必要とされているものは何だ。


 これはもう俺の中で結論が出ている。


「なあ、エルメラ。俺を鍛えてくれないか?」


 俺に明確に欠けているもの。


 それは『強さ』だ。


 さっきの交戦も俺に戦えるだけの実力があれば、もっと楽にあの場を切り抜けられたはずだ。


 きっとこれからもそういう機会は増えてくる。


 その度に死にかけていたら、命が幾つあっても足りやしない。


 あと、俺の精神の安穏を保つためにも。


「鍛えるのは構わない。元よりそのつもりだったしな。だが、今のお前にそんな余裕があるのか?」

「まあ、問題はそこだよなぁ……」


 とりあえず監獄から逃げ出せたのはいいけど、食べ物も寝る場所もないんだよな、俺。


 この際寝る場所にはとやかく言ってられないが、食べ物は死活問題だ。


 ただ、ついさっきまで囚人だった俺に金があるはずもない。


 ……次から次へと、問題が山積みだな。


 遠い目で現実を憂いていると、突然エルメラの表情が少し険しくなる。


「レルム、ここを目指して接近している人間がいる」

「おいおい、まさか追っ手か……?」


 いくら何でも早過ぎないか。


 多少は休めたので動けないことはないけど、長時間の追いかけっこはできれば遠慮したい。


「いや、数はひとりだ」

「ひとりって……騎士なら多分複数人で来るよな。たまたまこの付近の道を通ってる人がいるとか?」


 道というか、路地裏なんだけど。


「そういう様子でもない。間違いなくこの場を目指している」

「敵なら敵で、ハッキリしてくれた方が楽なんだけどな……」


 とりあえず何かあったときに逃げられるように立ち上がる。


 今すぐに逃げ出した方がいいのかもしれないが、相手の正体と目的が分からないままというのも不気味だ。


 だから、逃げるならせめて相手を目視してから。


「正面から来るぞ」


 月が雲に隠れ、暗がりだけが俺の目の前に広がっていた。


 それでも俺は闇の中に目を凝らし、待ち構える。


 そしてすぐに、その人物は俺の前に姿を現した。


 肩にかかるくらいの藍色の髪に猫のような碧眼が特徴的な少女だ。


 彼女は俺の姿をその瞳に捉えると、ゆっくりと足を止めた。


 見覚えのある顔だった。


 確か、俺が一番最初に解放した囚人の少女だ。

 

 ここで出くわす相手としては、正直予想外の部類に入る。


「ようやく見つけた」

「……俺に何か用か?」


 特に探されるような深い関わりでもないはずなんだけどな。


 解放のお礼を言いに来たって雰囲気でもなさそうだし。

 

「あなたと取引がしたい」

「取引? 俺と君が?」


 思わず疑うような声音を出してしまう。


 罪人同士で何をしようって言うんだ。


 今日は最強の悪魔と命を懸けた取引をしたばかりだっていうのに。


 俺の脳はもう休みたがってるよ。


「うん。――私と組まない?」

「何のために」

「お互いに罪人という立場は同じでしょ。なら、生き延びるために協力し合えると思わない?」

「場合によるとしか言えないな」


 今の俺に他人を助けている余裕なんてない。


 エルメラという存在がいる分むしろ単独行動の方が都合がいいし、目の前の少女と手を組むメリットがパッと頭の中に浮かばなかった。


 向こうも俺が難色を示していることに気付いたのか、ならばとひとつ指を立てて言葉を続ける。


「私があなたに提供できるのは、この都市で聖騎士たちに見つからないように休める潜伏場所」

「……なるほどな」


 その話が本当であれば、今の俺にとっては魅力的な提案だ。


 この余裕のない状況で、安心して体を休められる場所は中々手に入るものじゃない。


 だからこそ対価が怖い。


「それで、俺に何をさせたいんだ」

「この都市を出るまで、私を守って欲しい」

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