第4話 片鱗
あともう少し足を進めれば自由が待っているのに、その少しが絶望的なほど遠い。
これならまだ主人公を相手にする方がマシだよ。
いや、ほんとに。
「警告する。これ以上その場から前に進むようなら、即刻切り捨てる。大人しく降伏しろ」
ジェレムが腰に差している剣を抜き放ち、油断なくこちらに構えた。
警告に嘘はないだろう。
俺たち囚人は今、生死の境界線を前にしている。
ジェレムが前に立っているというだけで、その事実を意識せざるを得ない。
ゴクリと、無意識に生唾を飲む。
今すぐに牢獄に戻り、この場の命の危機から脱却して安心したい。
そんな弱音がひょっこりと顔を出して、俺の足を地面へ縫い付けていた。
だって、勝ち目がない。
相手はこの聖王国で最も強い騎士だ。
原作でも明確な強キャラとして描かれていたし、いくらエルメラと契約を交わしたといってもこの場で打ち倒すのは不可能だろう。
なら、ここは引いて次のチャンスを待つか?
……いや、ありえない。今以上のチャンスなんて訪れるわけがない。
ここで足を引けば、俺の首を落とす相手が変わるだけだ。
「…………はぁ」
腹の底に溜まった恐怖を吐き出すように、深呼吸。
恐怖は思考を鈍らせる。
迷うな。怯えるな。勘違いをするな。
俺の勝利条件を見誤ってはならない。
何も、ジェレムを打ち倒す必要なんてないんだ。
五体満足でこの監獄から逃げ出すこと。
それが俺の目的なんだから。
『覚悟は決まったか、人間?』
俺が落ち着きを取り戻したのとほぼ同時、脳内に突然声が流れ込んでくる。反射的に肩を軽く跳ねさせてから、声の正体がエルメラであることに気付いた。
え、なにこれ。
『契約による繋がりのお陰で、わざわざ声を発さずとも私とは意思疎通ができる』
なるほど。
周りに人がいるときにエルメラと話すと、俺が虚空に話しかける変人になることを避けられるわけか。
ちょっと気になってたから助かるな。
『お前の世間体なんてどうでもいい。それよりも……レルム、お前はあの人間をどうにかする策はあるのか?』
冷静にはなったものの、正直これといって有効な手立ては思いついていない。
他の囚人たちが突っ込んで、場を乱してくれるのならその隙に脱出できるかもしれないが。
まあ、そんな命知らずな人間がいるはずもない。
かといって力尽くで突破するのも不可能だ。
手詰まりのようにも思えてしまう状況。
だから、次のエルメラの言葉は俺を驚かせた。
『お前は少しばかり私を甘く見ているようだからな――私がお前を勝たせてやる』
……何かあるのか、方法が。
『私はお前に魔法を使えないと言ったが、実はお前の魔力を間借りすれば使用自体は可能だ。まあ、あまり規模の大きいものは無理だが』
わざわざそんな言い方をするってことは、何か代償なり危険があるっぽいな。
『代償という程のものじゃない。魔力を通常よりも多く消費するだけだ。ただ、これが常人だと魔力が足りずに気絶する』
それ、俺は大丈夫なのか?
『お前は人間にしては珍しく、魔力量だけなら長く生きた悪魔に並ぶほどだ。一度や二度なら問題ない』
そうか、問題ないなら構わない。
俺は何をすればいい?
『お前は初撃を凌ぐのに集中しろ。そのあとは私が魔法を放つ。お前は気にせず全力で門に向かって走れ』
初撃、か。
生き残れるなら何だってやってやるよ。
『さて、勝ちに行くぞ』
その言葉を合図に、俺は軽くなった足を前へと動かした。
引かれた境界線の向こう側へと。
♢♢♢
警告を無視して動き出した人物を目にしたジェレムは、少しばかり驚いた。
相手が自分が今日捕まえたばかりの人間だったからか。
確かにそれもある。だが、それ以上に。
(まるで別人だな……)
悠々と、しかし油断なくこちらに歩み寄る少年。
ジェレムが彼を捕らえたときは、自らの先行きに絶望してか泣き言や命乞いが止まらなかったものだ。
とてもじゃないが、自分に立ち向かおうと考える種類の人間ではない。
一瞬自暴自棄になっているのかとも考えた。しかし、少年の目を見た瞬間にそんな考えは捨てた。
ジェレムは直感的に悟る。
目の前の少年は、確かな自信と覚悟のもとにこの場に立っているのだと。
だからこそ不気味だった。
こんなにも早く人間は変われるものなのだろうか。
得体の知れない嫌な予感が胸の中で膨らむのをジェレムは自覚する。
そして、そのすべてを振り払うように強く剣を握った。
警告は既に終えている。
なら、ジェレムが次に取るべき行動は決まっていた。
「ふっ……!」
彼我の距離を踏み込みによって一息で詰めると、直剣を横凪に振るう。少年はその一撃を全力で後方に飛び退くことによって回避してみせた。
だが、大仰な回避行動のせいで体勢が崩れてしまっている。
こうなれば少年が立て直すよりも、ジェレムの剣が届く方が早い。
剣を真っ直ぐ振り下ろし、ジェレムが己の勝利を確信した瞬間。
「っ……!」
剣を握る手に伝わってくる感触と、自身の目で捉えた光景が彼に今日一番の驚愕をもたらした。
刃の形をした闇の塊が、少年を守るようにして剣を受け止めている。
――魔法の行使。それも完全な無詠唱で。
命のやり取りに慣れた熟達した魔術師でもなければ、到底使いこなすことはできない技術だ。
それをまだ成人すらしていないであろう少年が実戦の中で行使している。
別人とも思える人格の方はまだいい。
心境の変化だとか、猫を被っていただとか、探せばまだ理由は見つかる。
だが、この実力は明らかに異常だ。
剣にいくら力を込めようとも押し込めず、それどころか刃の方が押し返してくる始末。
魔法の強度が並のものではない。
これが中堅の魔術師の魔法であったなら、一秒とかからずジェレムは破壊できている。だが、目の前の刃を突破するには全力で剣に魔力を注がなければ不可能だろう。
それほどの魔法の使い手が果たしてこの聖都に何人存在するだろうか。
嫌な予感はとっくに確信に変わり、ジェレムの表情に焦りが滲む。
(危険すぎる、想像以上に……!)
この少年だけは逃がしてはならない。今ここで、確実に仕留めなければ。
「お前ら今だ、行けぇぇぇぇ!!!」
一瞬膠着した戦況を好機と見たのか、静止していた囚人たちが再び動き出した。
まるで連動するように、魔法に守られていた少年も門へと向かって走り出す。
だが、刃に抑え続けられているジェレムはその場から動けない。
囚人たちが動き出したことを考えると、少年がこの場から逃げおおせる可能性は非常に高いだろう。
「お前だけは逃がさん!」
ジェレムは剣に魔力を注ぎ込み、闇の刃を強引に叩き割った。これで動けるようにはなったが、少年の姿はもう門の目前だ。
僅かに遠いその背に向けて、ジェレムは剣に込めた魔力を解放する。
直撃すれば胴体が真っ二つになる程の威力が込められた斬撃が、宙を飛んで少年を追った。
だが、斬撃が少年の背に触れる直前。
またしても闇の刃がするりと伸び、容易く勢いを止めてみせた。
そして闇の刃は形状を変えると、門諸共少年の前の騎士たちを吹き飛ばす。
彼を止めるものは、もう何もない。
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