第3話 鎮圧

「……は?」


 聖王国を守護する歴史と権威ある聖騎士団、その頂点に位置する聖騎士団長。


 そんな栄えある身分に三十歳という若さで登り詰めた秀才ジェレム・ヘイラルは、今しがた部下から告げられた言葉に己の耳を疑った。


「……待て、もう一度頼む」


 ジェレムは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら、先程の言葉が聞き間違いであることを思わず祈る。


 しかし、現実は彼の心労などまったく考慮してはくれない。


「は、はい! ただ今、ルベル監獄にて大規模な暴動が発生中。原因は不明ですが、どうやら囚人たちのほとんどが檻の外に出ているらしく、現場の人員だけではこれ以上抑えるのは難しい状況です!」


 まだ若い団員が切羽詰まった表情で報告を読み上げる。その内容は、冗談交じりに笑い飛ばしてしまいたいくらいには信じ難いものだった。


 それこそ、内通者でもいない限りは有り得ない事態だ。


 何せ、監獄の枷はすべて魔封の鎖で出来ている。捕らえられた状態での魔力の運用は不可能なので、枷を外すには鍵を用いるしかない。


 あるいは魔封の鎖がすべて機能しなくなっていた、なんて奇跡的な偶然が起こっていたら可能かもしれない。


 まあ、そんなことを言い始めればキリがないが。


 ――そもそも、そもそもだ。


 今日という日はジェレムにとっては最初からついていなかった。


 貴族の末子が悪魔の手先だというので騎士団で捕縛した結果、身柄の引渡しを求めて教団が出しゃばってきたのだ。


 悪魔への対応に限って言えば、教団の人間の方が聖騎士たちよりも優れているのは確か。故に、教団は聖騎士団長とて簡単には無視できない影響力を持っている。


 とはいえ、自国の貴族の身柄をおいそれと引き渡す訳にもいかない。


 悪魔の殲滅を第一とする教団が絡んでくるのはジェレムにも予想はできていたが、それでも彼らとの折衝における疲労は自覚できる程のものだった。


 無駄に長いやり取りの末にようやく落ち着いたのがつい先程。


 やっと一休みできるかと安堵した瞬間、この追い打ちだ。


 とはいえ、投げやりな対応をとるわけにもいかない。事が真実なのであれば、あまりに緊急性の高い事態なのだから。


「都市の出入口に人員を増加して、怪しい人間がいないか確認しろ。万が一にでも脱獄者を都市の外へ逃がすようなことがあってはならない。残った者は私と共にルベル監獄へ来い」


 簡潔に指示を言い渡すと、ジェレムは愛剣を手にして立ち上がる。


 この国の守護者として暴動を看過するわけにはいかない。


「――囚人共を制圧するぞ」



♢♢♢



 正直、ここまで上手くいくとは思ってもみなかった。


 蜂の巣をつついたような騒ぎになっている監獄内の光景を見て、心の底からそう思った。


 手当り次第に囚われている囚人を解放しまくっていたら、もはや制御不可能なレベルの勢いになっている。


 生まれてこの方暴動なんて見たことがなかったので、自分がこの光景を引き起こしたんだと考えると何だか居た堪れない気持ちになってくるな……。


 ただ、こうなってしまえば騎士たちも事態の対応に追われることになる。俺ひとりに構っていられる状況ではない。


 今の監獄内には騎士はひとりも見かけないし、恐らくは今この場にいる騎士たちだけでは対処不可能と判断したんだろう。


 逃げ出すには絶好のチャンスだ。


「まあ、悪くない考えだったと言っておこう」

「お褒めに預かり恐悦至極だよ」


 こんな状況だというのに、どこか楽しげにエルメラは笑っている。


 悪魔の価値観的には今の状況は愉快なものなのかもしれない。


 当事者の俺にとってはまるで理解できない感覚だけどな。


 他愛もない会話をしながら、囚人たちで形成された人の波に続いて出口を目指す。


 そうしてしばらく進み続けていると、前方に外の光景が見えてきた。どうやらようやく薄暗い監獄とおさらば出来るらしい。


 人知れず安堵を覚えていると、いきなり囚人たちの行進が停止した。


「何だ?」


 状況が飲み込めずに困惑する。

 囚人たちが再び動き出す様子はない。


「喜べ、レルム。朗報を告げてやろう」


 悪魔らしく口角を吊り上げて、エルメラが俺の名前を初めて呼んだ。

 

 ……この時点で、俺にとっては良くないことが起こっていると察せられた。


「どうやら大物が出張ってきたらしいぞ」


 自分で状況を確認するためにも、停止している人の波を掻き分けて先頭へとたどり着く。


 そして、納得した。


 監獄の大門を守護するように立ち塞がっていたのは騎士たちだ。


 これがただの騎士たちだけだったなら、囚人たちも脱獄を目前にして立ち止まることもなかっただろう。


 しかし、騎士たちを率いるように中央に立つ赤銅色の髪の男がいた。


 印象としては、巌のような壮年の男と呼ぶのが正しいだろうか。

 ただ立っているだけなのに、まるで一本の大樹を前にしたかのような圧力を与えてくる。


 体躯は俺と比べるまでもなく大きく、鎧の上からでもハッキリと分かるほどに鍛えられていた。


 あんな太い腕で殴られれば、一撃で気を失ってしまいそうだ。


 場違いな感想を抱きながらも、頭の中の冷静な部分が厄介なことになったと囁く。


 俺は目の前の男と対面するのは初めてではない。

 会っているのは記憶が戻る前だけど、忘れられるはずがなかった。


 何せ、俺を捕まえた張本人だ。


 聖騎士団長、ジェレム・ヘイラル。

 

 紛れもない強キャラだ。


 ……さて、どうしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る