ラブコメマンガの悪役主人公に転生してしまった

１８.勇気

　守護神はなんとかツーアウトまでこぎつけた。あとアウトひとつで勝利が決まる。

　俺たちが固唾を飲んで見守る中、守護神はラストバッターに渾身の一球を投げ込む。

「やばい！」

　姫宮が悲鳴を上げる。打者が打った打球は一二塁間を抜け、ライト前ヒットとなる。セカンドランナーが一気に加速し、ホームへ帰ってくる。バックホームを試みるが間に合わず、同点のホームイン。

　球場が溜め息で包まれる。あとアウトひとつだったのに。これもタイムアウトのないスポーツのおもしろさか。

　守護神は後続を打ち取り、なんとか同点で食い止めた。

　攻守が入れ替わり、ブレーブスの攻撃になる。

「相手も守護神だからそう簡単に打てないと思うけど」

　姫宮が不安そうにそう呟く。ブレーブスは四番からの攻撃。初球を見逃して二球目だった。四番の振りぬいたバットにボールが当たり、気持ちの良い音が響いた。打球は高々と上がっている。その瞬間球場は大歓声に包まれ、ファンが総立ちになる。打球はぐんぐんこちらへ迫ってくる。というか、俺たちの方へ向かって一直線に伸びてくる。

「危ない！」

　俺は咄嗟に手を伸ばして姫宮を庇った。運よくボールを素手でキャッチすることができた。手がじんわりと痛い。俺はびっくりして、取ったボールを見つめた。

「す、凄い！　ホームランボールをキャッチしたよ真！」

　姫宮が興奮気味に俺の手を取る。スタンドはお祭り騒ぎだった。四番のサヨナラホームランで試合はブレーブスが勝ったのだ。ファン同士でハイタッチをしている。俺もその輪に加わり、周囲のファンとハイタッチをした。係員が怪我はないかと聞きにきたが、問題ないと返答した。

「見せて」

　姫宮が目を輝かせて俺が取ったホームランボールを要求する。俺は姫宮にボールを手渡す。

「すっごーい！　ホームランボールなんて初めて見た！」

「ラッキーだったな。姫宮に当たると思って焦ったよ」

「守ってくれてありがとうね、真。かっこよかったよ」

　姫宮にカッコいいと言われ、俺は照れて頬を掻く。まさか初めての野球観戦でホームランボールをキャッチできるとは思わなかった。とても貴重な体験ができた。姫宮に感謝しなくちゃな。

「それ、姫宮にやるよ」

「え？　いいの？」

「姫宮が喜びそうだし、あげる」

「うっそ。すっごく嬉しい！　ありがと、真！」

　姫宮は鼻息を荒くして喜んだ。余程嬉しかったのだろう。姫宮はボールを写真に収めると、SNSにアップしているようだった。

　グラウンドではヒーローインタビューが行われ、試合を決めた四番が大歓声を受けながらインタビューに答えていた。

　それを見届けた後、俺と姫宮は球場を後にする。

「楽しかったね！」

　帰りの電車で俺と姫宮は興奮気味に語り合う。

「ああ。めちゃくちゃエキサイトした。まさかホームランボールを取れるなんて思わなかったよ」

「しかもサヨナラホームランだよ。一生思い出に残るやつ。真、ラッキーだね。初めての野球観戦でサヨナラホームランを見れたなんて。普通はそうそう見れないよ」

「そうなのか？」

「うん。私５年ファンやってるけど、今日が初めてだし」

　だとしたら姫宮のおかげだろう。今日こうして俺を野球観戦に連れ出してくれた。彼女に誘われなければ、俺は一生野球観戦なんてしなかっただろう。

「試合も勝ったしホームランボールは取れたし言うことなしだね！」

「ああ。姫宮があんなに楽しそうにしてるのも見れたしな」

「あはは、野球になると私うるさいから」

　姫宮は照れくさそうに頬を掻く。

　実際、学校でいる時と違って、姫宮はかなり生き生きとしていた。好きなことに夢中な姫宮はとても魅力的に映った。

　電車を降り、朝待ち合わせた場所に帰ってくる。

「送るよ」

「ありがと」

　そう言って俺たちは姫宮の家に向かって歩き出す。

　生まれて初めてのデートでどうなるかと思ったが、お互い楽しめたんじゃないかと思う。そう考えれば成功だろう。なにより俺が楽しめたのが意外だった。もっと気を使うものだとばかり思っていたが、その辺は姫宮が上手く誘導してくれたのだろう。

　一緒に隣でエキサイトするという貴重な体験もできた。こんな彼女ができたらどれほどいいだろう。

　だが、それでもやっぱり怖さが勝る。姫宮がいい子なのはわかる。俺も好ましいと思っている。だが、もしも彼女が俺を殺すヒロインだったら。そう考えるとどうしても俺の足は竦んでしまう。

「真に楽しんでもらえたのすっごく嬉しかったよ」

「ああ。正直野球でここまで楽しめるとは思わなかった」

「今日は楽しかったし、また今度も一緒に遊びにいかない？」

　姫宮は軽く誘ってきたが真剣な眼差しを向けてくる。彼女なりに勇気を出したのだろう。俺も少し勇気を出さなくてはいけないのかもしれない。

「ああ。姫宮とならどこでも楽しめそうだ」

「ほんと？　嬉しいな」

　姫宮が満面の笑みになる。その眩しい笑顔を見て、俺は自分の勇気に自信を持てるようになった。

「真が何を怖がってるのか知らないけど、私は真といるの楽しいよ」

　姫宮も俺が何かを恐れているのを察知している。結構露骨に避けたりしてたからな。無理もない。

「俺も、いつまでもこのままじゃ駄目だと思ってる。だから向き合えるように努力はする。姫宮がいつまで待ってくれるかはわからないけど、ちゃんと答えを出すから」

　いつまでもこのままじゃいけない。姫宮は俺が避けたた事情も汲んでこうして接してくれている。それから目を逸らし続けるのは不義理だろう。

「いつまでもだよ」

　姫宮が即答する。姫宮のその答えに俺は圧倒され、息を呑む。こんなにいい子が俺のことを好きでいてくれる。これ以上に幸せなことはないんじゃないかと思えるぐらい。

「真が勇気を出せるそのときまで」

「ありがとう」

　俺は姫宮に感謝する。本当なら愛想を尽かされてもしかたないはずなのに。それでも姫宮は待つと言ってくれた。俺もそれに応えなければいけない。

「じゃあ、今日はありがとう」

　姫宮の家に着き、彼女を見送る。家の中に消えていく彼女の姿を、俺はずっと見守っていた。

　この一緒にいて楽しいと感じる気持ちこそ、きっと俺の本心なのだろう。あとは俺の勇気の問題だけだ。

　それを出せるのはいつになるか。そう遠くない未来だといいなと、俺は思った。