10.湯上り

 テントに戻る頃には黒川もすっかり自力で歩けるようになっていた。

 他の生徒に見られるのは恥ずかしいらしく、テントの手前で背中から下りた。


「ありがとう。鈴木くん」

「いや、全然大丈夫だよ。気にしないで」


 肝試しが終われば、あとは近くの入浴施設で風呂に入り、就寝するだけだ。

 肝試しが終わった生徒から入浴を開始することになっている。俺と黒川はテントに戻り、着替えを持って入浴施設に移動する。


「やっと今日の行事が終わったわね。少し疲れたからお風呂にゆっくり浸かりたい」


 黒川が溜め息を吐きながらそう言う。無理もない。慣れない山歩きに苦手な肝試し、それからカレー作りではみんなへの指示出しと大忙しだった。気疲れしている面はあるだろう。


「それじゃお互いゆっくりしよう」

「うん、今日はありがとうね、鈴木くん」


 そう言って俺たちはそれぞれ男湯と女湯に分かれる。

 俺はコインロッカーに着替えを入れると、大浴場の引き戸を開ける。

 既に肝試しを終えた男子たちが、湯舟に浸かったり体を洗ったりしていた。

 俺はまずシャワーへと向かう。まず体を洗うのが俺の入り方だからだ。

 手にボディソープを塗り広げて体を洗う。今日は歩き回ったから念入りに洗った。体を洗い終えると次は頭だ。髪を濡らし、シャンプーを手に取って頭を洗う。頭を洗っている時が一番気持ちいまであるな。温かいお湯で髪を流し終えた俺は乾いたタオルで頭の水気を拭いた。最後に洗顔をし、体を清める。

 俺は掛け湯で体を流し、湯舟に足を踏み入れた。


「お、鈴木じゃん。お疲れ」

「おー吉本か。お疲れ」


 見れば吉本が湯舟に浸かっていた。


「なあ、鈴木にちょと聞きたいことあったんだけどよ」

「なんだよ」


 唐突に吉本が俺にそう訊ねてくる。


「ぶっちゃけ姫宮と黒川、本命どっちなん?」

「ぶふっ……!」


 突拍子もない質問に俺は吹き出した。

 俺の反応を見て吉本は何がおかしいのかげらげら笑っていた。


「なんで急にそんなこと」

「いやさ、姫宮と黒川にやけに優しいなあと思ってよ」


 確かに、マンガのヒロインであった姫宮と黒川への意識は他の女子とは違っていたかもしれない。それを目ざとく嗅ぎつけたのだろう。恐るべし吉本。


「別に二人とどうってことはないよ」

「またまたー、どっちがいいなとかあるだろ?」

「知り合ったばっかりだぞ。そんな簡単に好きになるはずないだろう」

「でもよ、どっちが好みのタイプとかあるじゃん」


 吉本は食いついて離さない。意地でも俺から何かを聞き出そうという執念を感じる。仕方ない。男子の付き合いはこういうものだよな。前世ではあまりこういう話に参加したことがなかったからなんだか新鮮に感じる。

 

「あー勘違いするな。これは他の男子にも聞いて回ってるんだよ。うちのクラスの二大美少女のどっちがタイプかってな」

「確かに姫宮も黒川さんも可愛いからな」

「そうだろ。わかってるじゃねえか。で、どっちがタイプなんだよ」

「見た目だけで言えば黒川さんの方がタイプだな」

「ほう、鈴木は黒川派か」


 吉本が頷きながらそう言う。俺は前世でこのマンガを読んでいた時、見た目の好みは黒川才華がダントツだった。綺麗な黒髪と他者を寄せ付けない孤高の雰囲気。男好きのする身体なのもポイントが高い。思春期男子なんてみんなそういうものだ。

 だが、それはあくまで見た目の話だ。姫宮のような他者を気遣える性格は尊敬していた。性格は姫宮の方が好みだった。だから明確にどちらの方が好きとかはなかった。強いて言うならどちらも好きだった。他にも可愛いヒロインは登場していたし、ひとりに絞れなかったから、ある意味箱推しだったかもしれない。


「いやー、すげえよ。クラスの男子に聞いて回ったが、ちょうど半数で分かれたぜ」

「二人とも魅力的だからな」

「かあー。どっちかと付き合えたら最高なんだけどな」

「そうだな」


 こういう男子らしい話に少し憧れがあった俺は、意外に吉本とのこういう話を楽しんでいた。

 男子で話せる友達はまだいなかったから、この宿泊研修で話せる男友達ができたのは良かったと思う。


「それじゃ、そろそろ上がりますか」


 吉本が風呂から出ようと腰を上げる。俺も十分温まったので出ることにする。

 脱衣所で髪を乾かし、服に着替えていると、吉本が下卑た笑みを浮かべながら話し掛けてきた。


「おい、鈴木。女子の湯上り見たくねえか?」

「そりゃ見たいが、何を企んでる」

「女子の出待ちをしようぜ。一斑の姫宮と二班の黒川が風呂に入ってる。二人の湯上りを見るチャンスだ」

「別にかまわんが、嫌がられないか?」

「コーヒー牛乳でも買って待ってれば怪しまれないさ」


 吉本はノリノリでそう言った。

 まあ、俺とて年頃の男だ。女子の湯上りを拝みたいという気持ちはある。それに吉本とはこれから仲良くやっていけそうだ。付き合っておくのも悪くはないだろう。

 俺たちは脱衣所を出ると、自販機でコーヒー牛乳を買った。

 それをちびちび飲みながら女子たちが出てくるのを待つ。ぽつぽつと女子たちが出てくる。しばらく待っていると、お目当ての姫宮と黒川が出てくる。


「あ、真だ」

「おう、姫宮」


 短くまとめたピンクの髪に、艶のある肌。湯上りの女子の破壊力を俺は目の当たりにした。


「真も今上がったの?」

「いや、俺らは少し前に上がった。コーヒー牛乳を飲んでいたんだ。姫宮も飲むか?」

「いいの?」

「奢ってやるよ」


 俺はそう言って財布から小銭を取り出すと、コーヒー牛乳を二本買った。


「ほい、姫宮。あと黒川さんも」

「私もいいの?」

「いいよ。今日はカレー作りの時、黒川さんに世話になったからな」

「私の方が鈴木くんにお世話になった気がするけれど」


 黒川はしっとりとした黒髪を頭の上でまとめていた。湯上りの黒川はなんというかエロい。男の情欲を刺激してくる。姫宮は可愛らしいといった感じだが、黒川は誘われているような心持ちになるのだ。


「そういえば真、黒川さんを背負ったんだって」

「あれ、黒川さん、姫宮に話したの」

「ええ。恥ずかしいけど、姫宮さんも鈴木くんに背負われた仲間だから」

「かっこいいよね。ためらいなく女子を背負えるんだから」


 そう言われるとなんだか照れくさいな。確かに前世でも女子を背負った経験なんかないが。二人ともやむを得ない状況だったから仕方ないと思うが。


「聞いたよー。真、黒川さんをめちゃくちゃフォローしたんだって? 黒川さん、すっごく褒めててたよ」

「ちょっと、姫宮さん、本人に言わないでよ。恥ずかしいじゃない」

「あ、ごめんごめん」


 いつの間にこんなに仲良くなったのか疑問だが、おおよそ姫宮から話し掛けたのだろう。話し掛けられれば黒川も無下にはしないはずだろうから。


「真、コーヒー牛乳ありがとう。私たちはもういくね」

「ああ。気付けてな」

「鈴木くん、ご馳走様」

「うん、黒川さんも気付けて」


 そう言って手を振って二人を見送る。


「ずるい」


 静観していた吉本が呟いた。


「どうした?」

「ずるい! なんで鈴木ばっかり二人とあんな仲良さげに話してるんだよ! 羨ましい!」


 吉本は歯を食いしばりながら悔しがった。

 

「そんなこと言われてもな。俺は普通にしてただけだし」

「それが羨ましいんだよ! 鈴木ばっかりずりいぞ」


 喚く吉本を宥めながら、俺たちもテントへと向かう。

 テントまでの帰り道、俺は吉本の愚痴に付き合うのだった。



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