8.鼓動
登山を終えた俺たちを待っていたのはテント設営だ。テントは男女に分かれて設営する。初めての経験で慣れない作業だったが、キャンプ経験者がいたので助かった。
無事にテント設営を終えると、夕食の準備に取り掛かる。メニューはカレーだ。こういうキャンプでは定番のメニューだな。
「料理は未経験だけど、全員で協力して美味いカレーを作ろうぜ」
班のメンバーの吉本という男子が意気込む。気合は十分なようだ。
俺は手を挙げてみんなの注目を集めると、早速黒川のサポートを始める。
「料理の経験者はいる?」
手が上がったのは黒川のみ。どうやらうちの班で料理経験者は黒川のみのようだ。
「黒川さんだけか。よし、じゃあ黒川さんに指示を出してもらおう」
「私でいいの?」
「あったりまえだろ。俺ら料理したことないんだからさ。助けてくれよ」
「そうそう。頼りにしてるね、黒川さん」
班のメンバーに口々にそう言われ、黒川も自信を付けたようだった。
黒川は胸に手を添えると深呼吸をひとつする。
「わかったわ。それじゃまず手分けして材料を取ってきましょう」
俺たちは黒川の指示に従い、材料の確保に動く。用意された材料を受け取り持ち場に戻ると、既に黒川が調理器具を広げて準備して待っていた。
「それじゃ藤本さんはまず野菜を水で洗ってくれるかしら。吉本くんはお米を水で研いでくれる」
「お、おう」
「篠原くんは火の準備をお願い。薪を火が通りやすいように組んで、新聞紙に火を着ければ大丈夫だから」
「わかった」
てきぱきと指示を出し、作業を進めていく黒川。全体を見回さなければいけない黒川は大変だろう。俺にできることは少しでも足を引っ張らずにいることだ。
米を研ぐことを指示された吉本はいまいちやり方がよくわかっていないようだ。だが、それに気付いた黒川が傍で丁寧にやり方を口頭で説明したおかげで、吉本も迷いなく米研ぎができているようだった。
「鈴木くんには野菜を切ってもらうわね。玉ねぎは私がやるわ。初心者だと目が痛くなるのに慣れていないでしょうから」
「わかった」
藤本が洗い終えた野菜を受け取り、黒川に指示された通りに包丁を入れていく。じゃがいもを縦半分に切り、さらに半分に切ったものを二等分する。ひとつのじゃがいもをだいたい八等分ぐらいに切り分けて、ボウルに移していく。普段料理をしないからか、かなり不格好なじゃがいもだが、それもまた手作りの味わいがあっていいだろう。
野菜を洗い終えた藤本がにんじんを調理していく。縦半分に切って、乱切りにしていったものをボウルに移していく。
既に黒川は玉ねぎを切り終え、俺たちが切り終えるのを見守っていた。
全ての野菜を切り終えた俺たちは、野菜の入ったボウルを黒川に渡した。
「それじゃみんなが切ってくれたこの野菜を炒めていくわね」
鍋にサラダ油を引き、牛肉、玉ねぎ、そして俺たちが切ったじゃがいもとにんじんを入れて火にかける。
流石黒川は手慣れた様子で具材を炒めていた。
「そろそろかしら」
肉に焼き目がつき、玉ねぎが黄色くなってきたタイミングで、黒川は鍋に水を入れた。
「それじゃこの鍋を移動させるわね」
「俺がやるよ」
俺は鍋を持つと、篠原が火が着けた場所へと運ぶ。
隣では吉本が研いだ米が火にかけられている。
火力は結構強く、勢いよく炎が立ち上っている。
しばらくすると、鍋が沸騰し始めた。黒川は網じゃくしを手に鍋に近付くと、あくを取り始める。
「こんなもんかな」
あくを取り終えた黒川は額の汗を拭うと、鍋を見守る。
待つこと十五分ほど。黒川が「そろそろかな」と呟くとカレーのルウを割りながら鍋の中に投入する。
「ほんとは一旦火を止めて溶かすのがいいんだけれど、ここじゃそういうわけにもいかないから」
そう言いながら黒川はおたまでルウを溶かしながらよくかき混ぜる。
「なんで一旦火を止めるのがいいんだ?」
「沸騰してるところにルウを入れると溶けにくいのよ。だから温度を下げて、ルウが溶けやすいようにするの」
「さすが黒川さん。同じ班で良かったよ。料理っていろいろ手間があるんだな」
「そうね。だから今回は火にかけながらだから普段よりよくかき混ぜないと」
「変わろうか?」
「そうね。お願いできるかしら。ゆっくりかき混ぜてくれたらいいから」
俺は黒川からおたまを受け取ると、鍋をゆっくりとかき混ぜる。ルウが溶けてとろみがついてきていて、おたまが少し重い。
だが、混ぜるほどにとろみがついて美味しそうな匂いがしてくるので、俺はだんだんと楽しくなってきていた。
黒川からおたまを受け取ってから十分ほど煮込んだだろうか。黒川が「よし」と言って、火を止めた。
「これでカレーの方は完成。あとはご飯ができるのを待つだけね」
「おおーすげえ。俺、初めて自分で料理したよ。めちゃくちゃ美味そうにできたのな」
「無事にできて良かったわ」
「これも黒川さんのおかげだな。ありがとう」
「いえ、これぐらいは誰にでもできるわ」
黒川が照れくさそうに横を見る。
「そんなことないよ。黒川さんいなかったらここまでスムーズにできなかったよ。あたしも料理勉強するね」
藤本がそう言って黒川の手を取った。
「黒川さんのおかげで美味いカレーにありつけるんだ。マジ感謝してるって」
吉本も黒川に感謝の言葉を告げる。篠原も同じく頷き、班のメンバー全員から感謝された黒川は、照れくさそうに微笑んでいた。
ごはんも無事に炊き上がり、夕食の時間になった。自分たちで作ったカレーを食べた俺たちは驚くほどのハイペースで完食した。自分たちで作ったのが隠し味になったのか、いつも食べるカレーの何倍も美味しかった。
食べ終わったら後片付けが待っている。俺と黒川が洗い物担当になった。他のみんなは火の後始末やら、掃除やらに駆り出された。
洗い場は少し離れた場所にある。俺と黒川は二人で協力して食器や鍋を運び、隣に並んで洗い物を始めた。
「いやー、今日のカレー本当に美味しかったよ。ありがとう、黒川さん」
「鈴木くんに喜んでもらえたのなら良かったわ。昼間はお世話になったから」
「でも本当に黒川さん、料理得意なんだね。めちゃくちゃ頼りになったよ」
「私でもみんなの役に立てたんだって思ったら嬉しいわ。私こそお礼を言いたいわ。鈴木くん、ありがとう」
そう言って黒川は微笑んだ。マンガではほとんど見せることのなかった笑顔をこんなにも頻繁に見せてくれるなんて。黒川は本当はこんな風に笑うんだな。
「私がみんなと打ち解けやすいようにしてくれたの、ちゃんとわかってるから」
「俺は何もしてないよ」
「ううん、いっぱいしてくれたよ。こんなにもクラスメイトから感謝されたのって初めてだから、私、すごく嬉しくて」
マンガの黒川は誰とも交わらない孤高の存在だった。だが、本当は彼女だってそんなこと望んでやしなかった。今こうして黒川の笑顔を見ていると、それがよくわかる。
黒川の笑顔を見ていると、心の奥底がちくりと痛む。わかっている。これは鈴木真のマンガの主人公として植え付けられた感情なんだ。俺の本当の感情ではない。
だったら俺の本当の感情はどこにあるのか。そう考えずにはいられない。
「これからもよろしくね、鈴木くん」
黒川の笑顔が、俺の心を搔き乱す。俺はこの三年間、本当に耐えらえるのだろうか。動き出した鼓動を聞きながら、そんなことを思った。
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